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ヒストリー

ヒロシマの記録1988 12月


1988/12/1
仏が南太平洋で核実験。ニュージーランドが発表
1988/12/1
荒木広島市長が仏の核実験に抗議文。3日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1988/12/1
東京・中野区が8月6日に広島へ派遣したボランティア活動家の「平和リポート」まとまる
1988/12/1
四国電力が伊方原発屋上に黄色い識別灯を設置へ。航空機の衝突防止のため
1988/12/2
中南米諸国青年日本研修旅行の28人が原爆資料館を見学
1988/12/3
日本原水協の「88年被爆者援護・連帯全国活動者会議」が広島市で始まる
1988/12/3
長崎県被爆者手帳友の会(深堀勝一会長)が、第1回平和賞を具島兼三郎元長崎大学長に贈呈(「長崎年表」)
1988/12/3
東京・八王子市在住の被爆画家笠井一さんが被爆2カ月後に描いたスケッチと1949年に発表した油絵「ヒロシマ!あの朝」を広島平和文化センターに贈る
1988/12/4
荒木広島市長がソ連核実験に抗議文。6日、広島県被団協の森滝市郎理事長らが座り込み
1988/12/4
ソ連がノバヤゼムリャで地下核実験。軍事技術向上が目的。タス通信が伝える
1988/12/5
チェルノブイリ事故対策の責任者エフゲニー・ベリホフ・ソ連科学アカデミー副総裁が放射線影響研究所を視察
1988/12/6
ソ連科学アカデミーのエフゲニー・ベリホフ副総裁が、1957年にウラル山中のプルトニウム施設で起きた史上最大の核事故を、ソ連として初めて認める
1988/12/6
関西電力高浜3号機で制御棒が落下、原子炉止まる
1988/12/7
本島等長崎市長が市会で「天皇に戦争責任がある」と発言。「自分が軍隊で教育関係に従事したいきさつからも、天皇に戦争責任はあると思う」。7日「象徴としての天皇は尊敬しているが、良心に誓って天皇に戦争責任があるという考えだけは変わらない」と重ねて表明
1988/12/7
動力炉・核燃料開発事業団が岡山、鳥取県境の人形峠周辺で放射性残土の除去工事始める
1988/12/7
1987年11月19日に亡くなった人間国宝香取正彦さんの長男忠彦さんが300万円を広島市に寄付。「父は広島市に贈った鐘がきっかけで、本格的に平和の鐘を造り始めた。現在、世界に150個近くある。平和を願った父の遺志として、永遠に鳴り続けてほしい」
1988/12/7
広島市で「第2回反差別国際会議広島集会」。世界人権宣言の実現を求める広島実行委員会の主催。人権擁護と核兵器廃絶を訴える広島宣言を採択
1988/12/8
太平洋戦争開戦の日にちなみ、広島県原水禁などが「不戦の誓いヒロシマ集会」開く。高橋進広島大法学部教授が「今、天皇制を考える」と題し講演
1988/12/8
第3の原爆養護ホーム建設地が、広島市安佐北区の高陽ニュータウン内に決まる
1988/12/9
韓国民主化運動の詩人、高銀さんが広島市を訪問。「ヒロシマは日本の国家主義の飾り物であってはならない。世界のヒロシマにならなければ」
1988/12/10
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1988/12/10
自民党長崎県連(会長、初村滝一郎参院議員)が本島等長崎市長に、天皇の戦争責任を認める発言撤回を要求。「撤回しないなら党顧問を解任」。13日、本島等市長が自民党顧問辞任届を同県連に郵送
1988/12/10
キューバ寄贈のモニュメント「太陽と鶴」の像の除幕式。外国からの寄贈は10基目(「長崎年表」)
1988/12/10
「長崎原爆松谷訴訟を支援する会」結成総会。12月16日、長崎地裁で第1回口頭弁論(「長崎年表」)
1988/12/10
国の被爆二世検診が広島県内で始まる。検査内容は一般検診と同じ
1988/12/11
荒木広島市長が10日の米核実験に抗議文。13日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1988/12/11
IPPNWベルギー支部のイルワ・グロリユー事務局長が広島を訪れ、1989年5月にブリュッセルで原爆をテーマに「国際人民法廷」を開くと表明。大阪市原爆被害者の会の被爆者10人を招き、原爆投下の意味や被爆者への医療補償問題について議論へ
1988/12/14
松山市在住のシンセサイザー奏者西村直記さんが、広島を皮切りに世界88カ所の音楽巡礼スタート
1988/12/15
中国電力が山口県上関町で初の原発説明会
1988/12/16
香川県直島町が非核宣言。同県と県内43市町村すべてが非核宣言。鳥取、山梨両県に次いで3県目
1988/12/16
「長崎原爆松谷訴訟」で、厚生省が長崎地裁から東京地裁への移送を申し立て。同訴訟は長崎市の松谷英子さんが原告。1977年と87年の2回、長崎市を通じて厚生省に認定申請したが、いずれも却下されたため88年9月、厚相を相手取り却下処分の取り消しを求めて提訴。日本被団協などは「裁判権を被爆者から奪う」と反発
1988/12/16
1989年3月にギリシャ・アテネで開く第1回平和オリンピックの日本委員会準備会が発足。原水禁国民会議や市民運動家ら10人が出席。ギリシャの平和団体KEADEA(民族独立・世界平和・軍縮運動)が提唱
1988/12/16
白血病で亡くなった佐々木禎子さんの生涯を描いた児童文学「飛べ!千羽づる」(手島悠介氏著)を神山征二郎監督が映画化へ。製作は共同映画
1988/12/17
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。モスクワ放送が伝える。目的は軍事技術の向上
1988/12/17
自民党長崎県連が本島等長崎市長の県連顧問解任決める
1988/12/17
広島市が日銀広島支店の保存問題で消極的答弁
1988/12/17
シンポジウム「被爆者援護法への道」(原爆被害者相談員の会主催)が広島市で開催。被爆者やソーシャルワーカーら100人が参加
1988/12/18
荒木広島市長が17日のソ連核実験に抗議文。19日、被爆者らが原爆慰霊碑の前で座り込み
1988/12/18
広島県高校生平和ゼミナールなどが広島市で「原爆遺跡の保存を求めるつどい」を開き、市などに保存を訴えるアピールを採択
1988/12/19
京都大助手の放射能測定分析で、鳥取県東郷町の動燃・旧ウラン鉱山下流産の米が汚染されていたことが判明
1988/12/20
「長崎原爆松谷訴訟」の東京移送問題で、日本被団協が厚生省に撤回を要請
1988/12/20
「中区文化を考える会」(二方マキ子代表)が、1万3,000人の署名を添えて、広島市に日銀広島支店の保存を陳情
1988/12/21
米復員軍人局が、1946年7月1日と7月25日の2回、ビキニ環礁で行われた戦後初の核実験「クロスロード作戦」に参加しがんに侵された故ジョン・スミザーマン氏(1983年9月11日、55歳で死去)の遺族、ローズ夫人に補償支払いを決定。5月にさかのぼり、月額606ドル。88年5月に発効した原爆復員軍人補償法を適用
1988/12/21
「全国被爆二世団体連絡協議会」が東京で結成総会。全国17の二世団体の代表150人が参加
1988/12/22
日本原水協が、広島市のホテルでの原水禁世界大会盗聴事件で、最高検察庁に厳正捜査を要請
1988/12/22
オーストラリア・ニューサウスウェールズ州最高裁が、英が1950年代にマラリンガで行った原爆実験に参加し、放射能の影響を受けた元オーストラリア空軍兵士リック・ジョンストンさんに67万9,500オーストラリアドルの損害賠償を支払うよう連邦政府に命じる
1988/12/23
ソ連のルコーニン原子力発電相が「地震多発地域の6原発の建設を中止」と発表
1988/12/26
広島県賀茂郡黒瀬町の藤原主さんが設立代表者となり、アウシュビッツ平和記念館建設のための財団法人「平和推進協会」設立を広島県に申請
1988/12/28
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。タス通信が伝える
1988/12/28
荒木広島市長が28日のソ連核実験に抗議文。1988年34回、通算472回。30日、広島県原水禁の横原由紀夫事務局長、全電通広島被爆二世協議会の西本守代表らが原爆慰霊碑前で座り込み 1988/12/28
長崎原爆青年乙女の会が、議会で「(昭和)天皇に戦争責任があると思う」と発言した本島等市長に激励文(「長崎年表」)
1988/12/--
庄野直美広島女学院大教授編著の「ヒロシマは昔話か-原水爆の写真と記録」(新潮文庫)のイタリア語版「LEREDITADIHIROSHIMA(広島の遺産)」がイタリア・チッタデーラ出版社から発刊。英語版に次ぐ

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