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ヒストリー

ヒロシマの記録1987 3月


1987/3/1
「核戦争を防止する岡山県医師の会」(代表世話人、永瀬正己同県医師会長)が岡山市で「ビキニデー記念・公開講演会」開く
1987/3/1
広島のビキニデー。日本原水協系と原水禁国民会議系がそれぞれ集会。1979年から続いた合同集会は8年ぶり分裂。原水協系の「被災33周年1987年3・1ビキニデー広島集会」に約50人。原水禁系は「市民の手で放射能チェックを」と銘うって集会を開き、放射能点検の「広島反核パッチワーク」運動展開を決める
1987/3/1
「3・1ビキニデー集会」が焼津市で開会。静岡県の同集会は1975年以来統一開催だったが、86年夏の原水禁大会分裂の影響で、原水禁、同県生協連、日本山妙法寺など6団体が抜け、12年ぶりに共産党系主体の集会
1987/3/1
33回目のビキニデー。焼津市内の弘徳院で、第五福竜丸の故久保山愛吉さんの墓前祭
1987/3/1
「パキスタンは既に原爆製造に成功し、核保有国に」-。英日曜紙オブザーバー(1日付)が、パキスタンの原子力研究の第一人者アブデル・カデル・カーン博士の話として報道。博士は報道を否定する声明発表
1987/3/2
米ソ包括軍縮交渉第7ラウンドの特別会合で、欧州配備の中距離核戦力(INF)削減交渉継続に合意。ソ連がINF先行合意の新提案を改めて提示。4日、米も対案提示
1987/3/4
長崎の「平和祈念像」の制作者で彫刻家の北村西望氏が死去。102歳
1987/3/4
浜田市の大谷久満市長が市会で、8月6日を中心に広島市の協力で「平和写真展」開催方針を表明。島根県内の市で自治体主催の被爆写真展は初
1987/3/4
来日中の中南米青年日本研修団(22カ国、25人)が広島を訪問。5日、原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1987/3/6
国際原子力機関(IAEA)で採択(1986年9月)された原子力事故早期通報条約と同援助条約に日本も署名へ。閣議で決定
1987/3/7
「長崎県原爆被爆二世団体連絡協議会」の発会式。県被爆手帳友の会二・三世部会(市川秀明会長、2万6,000人)、県原爆被爆二世教職員の会(平野伸人会長、200人)、県被爆二世の会(山下喜一会長、約200人)の3団体が参加(「長崎年表」)
1987/3/8
広島市平和記念公園で原爆詩人峠三吉没後34年の「三吉忌・碑前祭」。次姉の今井千栄子さん(水戸市在住)ら関係者70人が参列
1987/3/8
パキスタンのヌーラニ外相代理が国民議会で答弁。「いかなる国もパキスタンの平和的核開発計画を抑えることはできない」。核研究続行を表明
1987/3/9
ヨルダンのカリッド・マダドハ駐日大使が広島を訪問。原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1987/3/9
中国電力が島根原子力発電所(島根県八束郡鹿島町)に建設中の2号機原子炉圧力容器を陸揚げ
1987/3/9
訪日中のレモン仏外相と中曽根首相が会談。中距離核戦力(INF)の全廃が必要との認識で一致
1987/3/9
米週刊誌タイム(9日発売)が、国際平和会議「核のない世界と人類の生存のために」(モスクワ、2月)でソ連物理学者サハロフ博士が行った演説全文を掲載。博士は米戦略防衛構想(SDI)批判の一方、核平和利用を支持。原子力発電所の地下埋設を提案
1987/3/9
英労働党右派のキャラハン前首相が下院で、同党が掲げる核兵器廃棄政策を批判
1987/3/10
米ソ包括軍縮交渉が中距離核戦力(INF)分野で延長後の初会合
1987/3/10
米バージニア電力会社が、日本のプラント設計・建設メーカー「日輝」(東京)と放射性廃棄物処理施設の設計、建設契約を交わしたと明らかに
1987/3/10
ワインバーガー米国防長官が「衛星攻撃兵器(ASAT)による模擬標的衛星撃墜実験を今秋以降3回実施」と発表
1987/3/10
広島県医師会が、第6次在米被爆者検診医師団の6月末派遣を決定
1987/3/11
第5回「ヒロシマ・アート・グラント87」(広島国際文化財団主催)の受賞者に現代美術作家でデザイナー河野通男さん(広島市南区東霞町)が決まる
1987/3/11
広島滞在中の米国原爆被爆者協会の倉本寛司会長が、広島県の竹下虎之助知事に在米被爆者検診の巡回地域拡大など要請。12日には荒木広島市長に「米国被爆者友の会」(ダン・タマキ会長)名誉顧問就任を要請
1987/3/11
米国務省が「ソ連国外の大気中で、ソ連地下核実験(2月26日)に伴う放射性物質検出」と発表
1987/3/12
荒木広島市長がソ連核実験に抗議電報。ソ連へは通算140回目。14日、原爆慰霊碑前など広島県内26カ所で被爆者らが抗議の座り込み
1987/3/12
米平和団体の「子供平和大使」に、日本で初めて広島市中区住吉町、広島大付属小2年の森奈穂ちゃんが選ばれ、ソ連、インド、中国など6カ国訪問に向け広島を出発。各国首脳に広島市長のメッセージ
1987/3/12
大阪の平和グループ「今こそ核実験全面禁止を望む会」(浮穴康典代表)が広島平和文化センターの高橋昭博事業部長と連名で、米上院議員7人に核実験停止を求める手紙を送付
1987/3/12
映画「もうひとつのヒロシマ-アリランのうた」が広島市内で初上映。被爆者18人の証言でつづる。神奈川県茅ケ崎市の作家朴寿南さんが製作
1987/3/12
政府が地中に埋設処分できる低レベル放射性廃棄物の放射性濃度の上限値を定め、原子炉等規制法施行令の一部改正を決める
1987/3/12
英政府が初の加圧水型軽水炉のサイズウェル原子力発電所の建設を決定。英での原発建設は1978年以来9年ぶり。反対運動を押し切り決定
1987/3/12
米政府筋が共同通信に、中距離核戦力(INF)削減交渉で米がソ連に示した対案を公表。まずINF核弾頭を100個まで削減、次に全廃する2段階方式
1987/3/12
ソ連国営タス通信が「12日、カザフ共和国のセミパラチンスクで地下核実験を実施」と伝える
1987/3/13
英国放送協会が傍受したソフィア放送で、ブルガリア訪問中の中国の呉学謙外相が「ソ連と米が欧州中距離核戦力(INF)撤去に合意すれば、中国も核兵器全廃の国際交渉に参加の用意」と言明
1987/3/13
ジュネーブ軍縮会議の地震専門家グループが、地下核実験探知の地震波測定データ交換のため国際データ・センターを4都市に設置で合意。設置都市はワシントン、モスクワ、ストックホルム、キャンベラ
1987/3/13
広島市現代美術館に展示する彫刻界の巨匠ヘンリー・ムーア氏(1986年9月死去)の「アトム・ピース(原子のかたち)」「大きなアーチ」が英から船で広島市西区草津港に陸揚げ
1987/3/13
ソ連のペトロシャンツ国家原子力利用委員会議長が「チェルノブイリ原子力発電所事故で関係者の裁判が近く始まる」と明かす
1987/3/14
核兵器廃絶への道を探る緊急シンポジウム「いまなぜ核実験禁止か」(ヒロシマ被爆者緊急アピール呼びかけ人会主催)が広島YMCAで開会。40人が参加。核開発競争を止める運動強化を申し合わせ
1987/3/14
原爆記録映画「いきていてよかった」の故亀井文夫監督をしのぶ会を広島平和記念館で開く。広島県被団協の森滝市郎理事長ら出演者5人がビデオで観賞
1987/3/15
「反戦被爆者の会」会長の故小西ノブ子さん(広島市西区草津東3丁目)の「追悼の集い」を広島平和記念館で開く。60人が反核の遺志継承を誓う
1987/3/16
日本被団協が厚生省と各政党に、国家補償による被爆者援護法制定を要請。3月に始めた「核兵器廃絶と援護法即時制定を迫る大運動」の初の中央行動
1987/3/16
財団法人ヒロシマ・ピース・センター(鶴襄理事長)が「谷本清平和賞」創設と第1回受賞者にノーマン・カズンズ氏(米ロサンゼルス在住)を決める。広島流川教会の谷本清牧師の功績を残すため設け、世界平和に貢献した人や団体を表彰
1987/3/18
平和記念公園の広島国際平和文化会館(仮称)建設工事現場で見つかった「赤十字社特別社員山崎鶴蔵」の表札について、広島市東区愛宕町、書店経営高田芳子さんが「義父のもの」と市に届け出。19日に受け取る
1987/3/18
米エネルギー省が「18日、ネバダで地下核実験を実施」と発表
1987/3/19
西ドイツのメッサーシュミット・ベルコウ・ブルーム社が米戦略防衛構想(SDI)に関し、赤外線センサー研究開発で8,000万マルク(約70億円)の契約を結んだと発表
1987/3/19
西ドイツのヌーケム核燃料処理工場が「2月27日、従業員14人がプルトニウムに汚染され、さらに67人が検診」と明かす
1987/3/19
荒木広島市長が米核実験に抗議電報。21日、原爆慰霊碑前など広島県内約20カ所で被爆者らが抗議の座り込み
1987/3/20
米エネルギー省が、核兵器用プルトニウム、トリウムを生産している南カロライナ州サバンナリバー原子炉3基の出力半減を命じる。「原子炉が冷却システム能力以上に稼働し、事故の際、炉心溶融の恐れあり」とする米科学アカデミー諮問委員会の警告に基づく
1987/3/21
「3・21平和のためのヒロシマ集会」が広島YMCAで開会。約200人が参加。1982年以来開催。市民グループ21団体が賛同、核廃絶アピールを採択
1987/3/22
ブラジルのフォンセカ陸軍科学技術局長が「ブラジルは2年以内に原爆を製造できる」と明かす-。ブラジル紙「フォリャ・デ・サンパウロ」が報じる
1987/3/22
中曽根首相が防衛大の卒業式で訓示。「専守防衛と非核三原則を順守する方針は揺るがない」
1987/3/22
英日曜紙オブザーバーが「NATO合意に基づき、英が極秘に核兵器性能向上や近代化計画」と報道
1987/3/23
国連主催の世界軍縮運動地域会議が北京の人民大会堂で開幕。アジア・太平洋地域や欧米16カ国の38人が参加。27日まで
1987/3/23
パキスタンのハク大統領が米誌タイム(23日発売)のインタビューで「パキスタンは核爆弾を製造する能力を持っており、望む時はいつでも造れる」と述べる
1987/3/24
スリーマイル島原子力発電所事故を体験した米ペンシルベニア州の主婦メアリー・オズボーンさんが広島を訪問、原爆資料館を見学。27日、福岡市で「事故8年後も健康障害が高率で発生」と訴え
1987/3/24
ワインバーガー米国防長官が「ソ連の軍事力」報告(1987年版)を発表。開発中の列車移動式大陸間弾道ミサイルSSX24の年内配備の見通し指摘
1987/3/24
ワルシャワ条約機構の外相会談がモスクワで開会。25日、欧州の中距離核戦力(INF)の合意を目指すソ連新提案支持のコミュニケを採択し閉会
1987/3/24
ソ連が大陸間弾道ミサイルSS18改良型の飛行実験に成功。ワインバーガー米国防長官が28日放映のCNNテレビ会見番組で明かす
1987/3/25
欧州共同体(EC)委員会が「ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故の影響で、今後数十年間で通常より約1,000人多いがん死亡者が出る」との暫定推計を発表
1987/3/26
米ソ包括軍縮交渉の中距離核戦力(INF)分野の延長交渉が終了。グリットマン米代表が「INF交渉第8ラウンドで早期合意を目指す」と声明発表
1987/3/27
スウェーデン政府が、国内12基の原子力発電所の段階的廃止計画第1弾として、1996年までに原発2基を廃炉にする方針明らかに
1987/3/28
爆心直下の広島市細工町の病院で熱線を浴び、人の指の跡をとどめる薬瓶を、病院経営者遺族の菅原桂子さん(横浜市港北区)が原爆資料館に寄贈
1987/3/28
非核政策を進めるニュージーランドのジェフリー・パーマー副首相が広島を訪問。原爆慰霊碑に参拝 1987/3/28
岡山市の平和都市宣言を記念した「平和の像」が同市石関町の石山公園に完成し、除幕式
1987/3/29
「東京・ヒロシマ子ども派遣団」の小中学生や父母、教師ら181人が広島を訪問、原爆資料館など見学。5年前から東京都内の3教職員組合がプールした主任手当で派遣。31日まで
1987/3/29
浜田市の佐野神楽社中が広島原爆養護ホーム舟入むつみ園(広島市舟入幸町)を神楽慰問
1987/3/30
広島県佐伯郡大野町役場前広場に国際平和記念モニュメントが完成、除幕
1987/3/31
広島市内の原爆被爆者の平均年齢が60.6歳に。被爆者健康手帳を持つ広島市の被爆者は11万1,433人で全国の36万2,547人(前年比3,378人減)の30.2%。広島市が7月23日、3月31日現在の数字発表
1987/3/--
画家の丸木位里、俊夫妻が、沖縄・読谷村で起きた住民集団自決をテーマに描いた3部作が完成
1987/3/--
「広島・長崎の証言の会」が出版してきた季刊誌「ヒロシマ・ナガサキの証言」が第21号(4月下旬発行)で廃刊へ。長崎側編集責任者が病気
1987/3/--
広島市佐伯区五日市町、三和中学校が全校ぐるみの平和教育の成果を冊子「赤いトマトの思い出」にまとめる。老人ら200人の被爆体験を聞き取り

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