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ヒストリー

ヒロシマの記録1987 4月


1987/4/1
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の「ヒロシマ平和アピール」が、事前配布資料と異なったため2つのアピールが存在。法王自身の言葉「戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」が、事前配布資料には「戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです」などとあり、広島平和記念館の「ローマ法王平和アピール碑」は実際とは異なる事前配布の言葉を刻む。広島市の月下美紀さんが指摘
1987/4/1
広島平和文化センターの新理事長に前広島市民政局長の河合護郎氏が就任。河村盛明理事長は理事に
1987/4/2
世界6カ国を訪れ首脳に平和を訴えている8カ国14人の「子供平和大使」が、広島市で映画「ヒロシマ」を観賞、原爆資料館を見学、慰霊碑に参拝。米サンフランシスコに本部がある財団法人「チルドレン・アズ・ザ・ピースメーカー」(パトリシア・モンテンドン理事長)の企画で、広島市からは広島大付属小2年の森奈穂さんが参加。故谷本清牧師の長女の近藤紘子さん(宝塚市)が同行
1987/4/3
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。タス通信が伝える
1987/4/3
広島市の荒木市長がソ連核実験に抗議電報。1968年9月9日の仏核実験への抗議電報以来400回目
1987/4/3
米軍岩国基地のF4ファントム機が、広島県山県郡芸北町の山中に誤って空対空ミサイル落とす
1987/4/4
ニューヨーク・タイムズが「米はソ連核実験を正確に監視するため、中国に7地震観測所の設置を計画し、既に観測網が完成」と報じる
1987/4/4
共産党が「米政府解禁文書から、日本への核持ち込みをめぐる日米密約の存在を示唆する文書を入手」と発表。1966年2月に当時のラスク米国務長官からライシャワー駐日大使への訓令。「日本政府は、秘密の1960年合意が日本への核兵器持ち込みについて、日本政府の同意を求める米の権利を認めていることを想起すべき」「(日本が非核化の義務を負うなら)日本の港湾内の米艦船と通過中の米航空機に積載された核兵器の存在に関し、日本政府が受け入れてきたあいまいさは受け入れられなくなる可能性がある」
1987/4/5
広島県被団協の森滝市郎理事長らが3日のソ連核実験に抗議し、原爆慰霊碑前に座り込み
1987/4/7
西ドイツ・ハノーバー市の青少年使節団28人が原爆資料館を見学、原爆慰霊碑にカーネーション
1987/4/8
旧広島文理科大の本館1階出入り口付近にあった血染めの被爆タイルを広島大理学部正面玄関横に飾る。元広島大学長の川村智治郎さんが1958年「被爆の証に」と被爆タイルを使い2つの衝立にして保存
1987/4/8
ニュージーランドが「核兵器搭載米軍機のニュージーランド国内の基地使用を認める秘密協定締結」と同国政府筋が語る
1987/4/9
日本グラフィックデザイナー協会と広島国際文化財団の「ヒロシマ・アピールズ・ポスター」第5作が完成。永井一正さんの作品
1987/4/10
韓国政府が在韓被爆者の国内治療を開始。予算8,500万ウォン(1,700万円)で、政府保健社会部、赤十字、韓国原爆被害者協会の代表らからなる「五人委員会」が、協会の名簿を基に審査。対象者には治療カードを発行し1人最高60万ウォン(12万円)までの治療費を政府が負担し、全国11カ所の赤十字病院が治療に当たる。初年分登録カードは7月15日までに1,278人に発行
1987/4/10
共産党入手の「核持ち込み日米秘密取り決め」について米国務省のレッドマン報道官は説明できず 1987/4/13
フィジーのティモシー・ババドラ新首相が「核のない太平洋」を公約。「米核艦船の寄港は拒否」
1987/4/14
政府が「核持ち込み秘密協定」問題で答弁書。安保条約下での核持ち込みに関する事前協議制度での日米取り決めは「1960年1月の藤山・マッカーサー口頭了解がすべて」と秘密協定を否定
1987/4/14
「在米被爆者の1人が出血性胃潰瘍に倒れ、高額の医療費に苦しむ」-。中国新聞が、治療費の支払に追われる在米被爆者の悩みを報道
1987/4/15
広島市比治山本町にあった旧陸軍電信第2連隊関係者が、比治山公園の陸軍墓地の一角に「電信慰霊碑」を着工
1987/4/16
日、米、英など西側7カ国が、核不拡散体制強化のためミサイル製造機材、技術など18品目の先端技術の輸出規制に合意
1987/4/17
西ドイツの週刊誌シュピーゲルが「IAEAはソ連チェルノブイリ原発以前に250件の原発事故を秘密にしていた」と報道
1987/4/17
広島市で「非核の政府を求める広島の会」設立発起人会。大原三八雄広島女子大名誉教授、佐藤天俊三滝寺住職、原田東岷前ワールド・フレンドシップ・センター理事長ら50人
1987/4/17
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験
1987/4/17
荒木広島市長がソ連核実験に抗議電報
1987/4/18
核実験査察問題でソ連が米に「互いに相手国で実験を行い、査察技術向上を図ろう」と提案
1987/4/18
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1987/4/19
荒木広島市長が18、19日の米、ソ核実験に抗議電報
1987/4/19
広島県原水禁の横原由紀夫事務局長らが17日のソ連と18日の米核実験に抗議し原爆慰霊碑前で座り込み。英の上院議員ウィンチルシー伯爵も飛び入り参加
1987/4/19
ソ連がウラル地方のペルミで2回の地下核実験。「国民経済のため」。タス通信が伝える
1987/4/20
中国美術協会副主席の黄永玉画伯の大作「鳳凰涅槃」が中日友好協会の王震名誉会長から広島市に贈られ、同市役所ロビーで除幕式
1987/4/20
米連邦高裁がネバダ核実験による風下住民の健康被害賠償請求訴訟で、1審判決を破棄し「政府に責任はない」と逆転判決。「実験実施の是非は米政府の自由裁量の範囲内、被害賠償は免責され得る」。訴訟は1982年、ネバダ、ユタ、アリゾナの住民1,192人が起こし、84年5月10日の1審判決は「米政府が核実験による放射線被害の警告と啓もうを怠った」として、がんなどにかかった一部原告に10万ドルから62万5,000ドルの賠償支払いを命じていた
1987/4/21
19日のソ連核実験に抗議し広島県内23カ所で座り込み。広島県被団協の森滝市郎理事長が「原爆1号」の故吉川清さんらと最初に原爆慰霊碑前に座り込んだ1962年4月20日から25年。森滝氏「25年前は命がけだった。輪は確実に広がっている。小さな積み重ねが大切」
1987/4/21
仏保守系紙フィガロが仏国民の核意識調査。61%が「米ソ両国が欧州配備の中距離核戦力(INF)を全廃しても、仏は独自の核戦力を保持すべき」
1987/4/22
米の「天然資源保護協会」が「1945年以来、米が生産した核弾頭、核爆弾の総数は6万個に上り、現在も日産5個の割合で製造」と発表
1987/4/22
ソ連化学部隊のピカロフ司令官が「チェルノブイリ原発周辺5キロは依然、許容量を超える土壌汚染」と発表
1987/4/22
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表。1951年以来、発表分だけで664回
1987/4/22
「JUSTONEEARTHLET’SKEEPIT」(地球はたった一つ。みんなで守ろう)との平和ステッカー運動を繰り広げている広島紅葉ライオンズクラブに海外41カ国から297通の反響
1987/4/22
スペインのマドリードで27日から開かれる「受難都市・平和都市世界連盟」の第3回総会出席のため河合護郎広島平和文化センター理事長が広島を出発
1987/4/23
荒木広島市長が22日の米核実験に抗議電報。25日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1987/4/23
米ソ包括軍縮交渉の第8ラウンドがジュネーブで始まる。中距離核戦力(INF)グループだけ再開。宇宙、戦略核兵器の両分野は5月5日再開へ
1987/4/23
南アフリカ人種隔離政策に反対しているアフリカ民族会議のオリバー・レジェラルド・タンボ議長が原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝。「南アは核兵器を開発中。反対運動を強めなくては」
1987/4/24
政府が原爆被爆者特別措置法の施行令改正決める。各種手当の所得制限を87万7,000円から95万3,500円に。所得水準アップに伴い支給率96%を維持するため
1987/4/24
ジェファーソン・フェローシップで日本取材中の米人記者7人が原爆資料館など見学。中学生の平和学習にも飛び入り参加
1987/4/25
ソ連文化労組のインナ・ナウメンコ中央委員会議長ら5人が原爆資料館を見学
1987/4/28
米エネルギー省が「30日にネバダで核実験を実施」と発表。爆発規模の大きい実験は2日前に予告することになっており、今回は「広島型の約10倍」
1987/4/29
広島市で丸木位里、俊夫妻が講演会。日本福音ルーテル教会西教区など主催
1987/4/30
米が予告通りネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1987/4/--
広島アララギ会が1986年4月21日に亡くなった大平数子さんの遺歌集「大平数子歌集」刊行
1987/4/--
長崎市の手話グループ、全国手話通訳問題研究会長崎支部が1986年発刊したろうあ者の被爆体験記「手よ語れ-ろうあ被爆者の証言」の英訳版「SILENTTHUNDER」が完成。7月にフィンランド・ヘルシンキで開かれる「第10回世界ろうあ者会議」で配布へ
1987/4/--
中国で広島の子どもたちの原爆体験手記集「原爆の子」翻訳へ。翻訳者は北京大教授の張光珮さん。広島大の沖原豊学長が仲介
1987/4/--
広島平和教育研究所(空辰男理事長)と広島映画センター(小森敏広代表)が共同で設立した広島平和教育映画ライブラリーの10周年記念誌「PEACE&シネマ」が発行。1976年4月に発足以来の年間貸し出し実績、作品リストのミニ解説など。13本でスタートし現在、劇映画24本、記録映画40本、アニメーション22本に
1987/4/--
広島の平和グループ「ピース・ボートひろしま」(立花志瑞雄事務局長)が世界初の非核憲法を持つベラウ(パラオ)共和国の子供の絵を絵はがきに
1987/4/--
西ドイツ・ハイデルベルク大の日本学研究室が、広島の被爆者らが贈った本を中心に「原爆文庫」開設。ウォルフガング・シャモニ教授が広島の詩人伊藤真理子さんに連絡

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