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ヒストリー

ヒロシマの記録1986 1月


1986/1/1
ローレンス・ウィッグさんら広島市内に住む9カ国40人の外国人が平和記念公園内の「平和の鐘」を鳴らす。原爆の子の像の前に特設の電話でスウェーデン・パルメ首相らと新年メッセージを交換
1986/1/1
レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長が、相手国のテレビを通じて互いの国民へ新年のメッセージ。「相互理解を深め平和を築く年にしよう」
1986/1/2
中国新聞社(華僑向け通信社)が「中国は第6次5カ年計画(1981~85年)で原子力潜水艦を相当数保有。ロケット発射も成功し世界屈指の原潜保有国」と報道
1986/1/3
スウェーデン防衛研究所が1985年の核実験回数を発表。ソ連の停止で、84年の56回から31回に減少
1986/1/3
米原子力規制委員会が原子力施設で働く労働者や周辺住民の被曝線量規制を30年ぶりに強化する改正案。集積線量による規制をやめ「年間5レム以下」に
1986/1/4
米オクラホマ州東部にあるカー・マギー社のセコイヤ核燃料工場で、六フッ化ウランが漏出。従業員1人が死亡、住民ら100人がのどの痛みなど訴え
1986/1/5
瞑想と音楽による平和運動を続けているインド出身の平和運動家シュリ・チンモイ師が広島市を訪問
1986/1/6
英「環境に関する科学委員会」が「数メガトン規模の限定核戦争でも大規模な環境破壊が生じ、作物壊滅や飢餓を招く」と発表
1986/1/9
訪米中の安倍晋太郎外相がワインバーガー国防長官と会談。「戦略防衛構想(SDI)の研究は理解するが、参加は慎重に臨む」と発言
1986/1/10
長崎県被爆者手帳友の会が8月6、7日に「世界被爆者会議」を長崎市で開催する方針決める
1986/1/10
広島市の原爆養護ホーム「舟入むつみ園」と「神田山やすらぎ園」の新所長に、広島市安佐市民病院名誉院長河野義夫氏が就任
1986/1/10
ゴルバチョフ・ソ連書記長に平和を願う手紙を送った名古屋市の福田愛子さん(小学6年)に、駐日ソ連大使館のハーリン1等書記官を通じ「ソ連の人々は愛子ちゃんが頼んだように平和のため頑張る」と返事
1986/1/11
海上自衛隊の対潜哨戒機が沖縄北西450キロの海上で、救難艦に曵航されるソ連のエコー2級巡航ミサイル原子力潜水艦を発見
1986/1/11
1985年に全国で出版された被爆手記集は106冊で過去最高。広島大原医研の宇吹暁助手が調査
1986/1/13
ニュージーランドのロジャー・ペレン駐日大使が広島市で荒木市長と会談し、非核政策の重要性強調
1986/1/14
米民間環境保護団体「天然資源保護協会」が「米は1980~84年の間に未発表の地下核実験を12~19回行った」との調査結果を発表
1986/1/15
ゴルバチョフ書記長がタス通信と国営テレビを通じて7項目の平和提案。(1)20世紀末までに地球上の核兵器を廃絶(2)1985年末で切れたソ連の核実験凍結宣言を3カ月延長(3)宇宙への兵器配備禁止(4)化学兵器の全面禁止-など▽レーガン米大統領は歓迎の意向を表明しながらも「多くの点でソ連の従来の立場は変わっていない」と指摘。ソ連が依然、米戦略防衛構想(SDI)に絶対反対の立場を堅持していることに懸念を表明
1986/1/15
日本原水協が全国理事会で1986年原水禁世界大会の統一開催を目指すことを決める
1986/1/15
シェワルナゼ・ソ連外相から広島市に「今回は時間がとれないが、将来、広島を訪問する機会を与えられるものと期待している」とのメッセージが届く。前年12月に荒木広島市長が送った招請状に対する返事
1986/1/16
ワインバーガー米国防長官が記者会見でゴルバチョフ・ソ連書記長の核実験停止案を拒否
1986/1/16
ジュネーブで米ソ包括軍縮交渉の第4ラウンドが始まる
1986/1/16
米の市民団体アメリカン・フレンズ・サービス・コミティーが、1965-77年まで米海軍で381件の核兵器事故が起きたことを裏付ける秘密文書を公表
1986/1/16
厚生省が1985年秋に実施した被爆者実態調査の調査票の回収終わる。回収率は広島市で86.1%と1975年の調査を上回る
1986/1/17
広島県原水禁が理事会で、世界の核被害者との積極交流を決める
1986/1/18
来日中のシェワルナゼ・ソ連外相が石橋政嗣社会党委員長と会談。ソ連の核兵器廃絶構想を説明し「欧州配備の中距離核ミサイル廃棄の次はアジア」と言明
1986/1/18
安来市の被爆者前崎秀利さんが「船舶通信連隊補充隊(170人)の名簿を保存」と名乗り
1986/1/18
大阪府被団協が被爆者51人の体験記「被爆体験と過去・現代・未来を綴る」を刊行
1986/1/19
米オハイオ州ファーナルドにあるウラン濃縮工場で放射性の六フッ化ウラン・ガスが漏出
1986/1/19
シェワルナゼ・ソ連外相が東京で記者会見。「米が攻撃用宇宙兵器を作るなら、ソ連も作る」
1986/1/19
広島大グリークラブが第25回定期演奏会で佐々木禎子さんを追悼した「千羽鶴」などヒロシマをテーマにした組曲「無言歌」を披露。創部25年を記念し、詩人米田栄作さんの原爆告発の詩5編に作曲家尾上和彦さんが曲
1986/1/19
荒木広島市長、本島等長崎市長がソ連大使館でシェワルナゼ・ソ連外相と会談。核兵器廃絶を要請
1986/1/20
広島県豊田郡川尻町議会が平和・非核兵器町宣言を決議
1986/1/22
「ヒロシマデー国際電話プロジェクト」の発案者ローレンス・ウィッグさんが米歌手スティービー・ワンダーさんにヒロシマをテーマにした曲の制作を依頼
1986/1/25
「原爆1号」と呼ばれ、背中のケロイドで原爆の悲惨さを訴えた広島市の吉川清さんが死去。74歳
1986/1/27
ネバダ核実験35周年。広島市の原爆慰霊碑前など広島県内10カ所で抗議の座り込み
1986/1/27
広島市の吉島中学校科学部が制作した平和記念公園の慰霊碑めぐりのパソコンソフトが第1回中学生パソコンソフトコンテストで優秀賞
1986/1/28
原水禁国民会議が3・1ビキニデーで2年ぶり独自集会開催を決める
1986/1/28
西ドイツのゲンシャー、仏のデュマ両外相がストックホルムの欧州軍縮会議で演説。ゴルバチョフ・ソ連書記長が提唱した三段階核兵器全廃案を評価
1986/1/30
荒木広島市長が市役所を訪れた韓国民主正義党の李榮一総裁秘書室長に在韓被爆者渡日治療の継続を要請
1986/1/31
日本グラフィックデザイナー協会と広島国際文化財団が共同で制作する「ヒロシマ・アピールズ・ポスター86」が完成、制作者の早川良雄氏が広島市に寄贈
1986/1/31
広島県原水協、自由法曹団広島支部などが広島市内で「国民法廷・広島」を開き、原爆投下責任や政府の被爆者援護対策を追及
1986/1/--
東京の草の根運動団体「コスモス」(柴田郁子代表)が1985年、世界に贈った原爆写真集「ヒロシマの記録」が46カ国、484冊に
1986/1/--
広島平和教育研究所が日本の加害の歴史に焦点をあてた平和教育副読本「ひろしま~15年戦争と広島」を刊行へ
1986/1/--
広島県歯科医師会(松島悌二会長)が核戦争防止国際医師会議(IPPNW)への参加決める

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