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ヒストリー

ヒロシマの記録1986 7月


1986/7/1
広島県山県郡筒賀村が非核平和自治体宣言
1986/7/1
ワインバーガー米国防長官が記者会見で「戦略防衛構想(SDI)の技術につながる新型迎撃ミサイル『FLAG』の発射実験に初めて成功」と語る
1986/7/1
ポーランド訪問中のゴルバチョフ・ソ連書記長が、具体的な軍縮提案を盛り込んだ書簡をレーガン米大統領に送付したことを明かす
1986/7/2
非核平和都市宣言をした大阪府羽曳野市から市民代表の平和大使2人が広島市を訪問
1986/7/2
広島大大学院生が全国の核物理学関連の若手研究者らに呼びかけた戦略防衛構想(SDI)への日本参加に反対する署名が425人に。中曽根首相に提出へ
1986/7/3
ソ連外務省が、北朝鮮提案の朝鮮半島非核地帯化支持を表明
1986/7/9
広島県青年婦人平和友好祭実行委員会の第5回反核平和の火リレーが、広島市の平和記念公園をスタート。県内86市町村、計2,000キロを1,500人が走り継ぐ
1986/7/9
永井秀明YMCA国際平和研究所副所長がモスクワでの「核戦争防止のための国際科学者フォーラム」出席のため広島を出発
1986/7/9
広島県原爆被爆教職員の会が国際平和年を契機に中、米の教師との交流を計画。10月に広島、長崎の被爆教師を中国に派遣へ
1986/7/10
原水禁国民会議が統一開催が危ぶまれている原水禁世界大会について「市民団体などからどのような呼びかけがあっても応じない」との見解をまとめる
1986/7/10
ニューヨーク・タイムズが「米ソが地下核実験の検証手段を協議することで原則合意」と報道
1986/7/10
国際平和年を記念して8月5、6日に広島市で開く「平和祈念コンサートHIROSHIMA」の出演者が決まり、実行委員会代表の山本コウタローさんが発表。イルカ、財津和夫、杏里さんら13人、11バンド
1986/7/10
在日本大韓民国居留民団広島県地方本部が、平和記念公園の原爆供養塔に朝鮮人の遺骨が納められている可能性が強いとみて、納骨者名簿の調査始める
1986/7/10
元新劇俳優の砂田明さんが旧日本軍のアジア侵略行為を告発する反戦一人芝居「女の平和」を制作。福岡市で初公開
1986/7/11
広島市が8月6日に開く平和シンポジウム「8・6平和サミットinヒロシマ」の出席を発表。ノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ主教、化学賞と平和賞受賞のライナス・ポーリング氏ら海外から8人
1986/7/11
ソ連ノーボスチ通信が「ソ連の核実験を監視する米地震学者とソ連科学者グループがセミパラチンスク地下実験場西方で観測機器の設置開始」と伝える
1986/7/11
1970年代、ソ連のウラン鉱山で受刑者が高濃度のラドン、放射性ガスにさらされて働く様子を撮影した英のドキュメント映画「核収容所」がロンドンで公開
1986/7/11
広島県原水協など10団体300人が広島市内で被爆者援護法制定などを訴え平和行進
1986/7/11
科学技術庁がチェルノブイリ原発事故の放射性降下物により日本人が1年間に受ける推定被曝線量を発表。「検出された核種はヨウ素131やセシウム137など18種類。外部被曝線量は平均1.3ミリレム、体内被曝線量は成人で平均2.1ミリレム。健康への影響はない」
1986/7/11
広島、長崎両県の教職員組合と原爆被爆教職員の会の4団体が「1987年度から使う中学校の社会科教科書に核抑止論を肯定する記述」と海部文相に公開質問状
1986/7/11
日本原水協の赤松宏一事務局長が記者会見で原水禁国民会議(社会党・総評系)を「世界大会を否定し、自らの責任を放棄」と批判
1986/7/11
広島県山県郡戸河内町の上殿小学校の山ゆり慰問35周年記念事業実行委員会が進めている「平和を祈る山ゆりの像」の建立工事が同小で始まる
1986/7/12
広島市の原爆資料館にスウェーデン中部のスンスパル市の子供から折りづるとメッセージ
1986/7/12
長崎原爆被災者協議会や長崎県婦人団体など12団体の市民平和大行進が広島をめざし長崎市平和公園をスタート。長崎県原水協(共産党系)の独自行進も出発、統一行進ならず
1986/7/12
レーガン米大統領がラジオ演説で「戦略防衛構想(SDI)を対ソ軍縮交渉の取引材料にしない」と強調するとともに「SDIを破壊しようという議会の圧力を許すことは国益を損なう」と言明
1986/7/13
被爆二世の教師が「長崎県原爆被爆二世教職員の会」を結成(「長崎年表」)
1986/7/13
故永井隆博士をしのぶ「如己(にょこ)の会」発会式(「長崎年表」)
1986/7/14
高校生の平和活動手引書「高校生の平和ハンドブック~核時代を生きる若者たちのために」が刊行。広島市の沢野重男安田女子高校教諭らが執筆
1986/7/14
広島県被団協が総会で、がん検診の実施など被爆者対策の充実要請や「被爆者の森」建設用地について広島市と本格交渉に入ることを決める
1986/7/14
ソ連科学アカデミーのエフゲニー・ベリホフ副総裁が「ソ連の科学者チームが、11月までに米ネバダ地下核実験場周辺3カ所に監視機器を設置」と述べる
1986/7/15
原爆供養塔の引き取り手のない1,048柱の名簿公開が全国1,437カ所で始まる。一斉公開は3回目
1986/7/15
在韓被爆者渡日治療で広島原爆病院に入院中の韓国人女性朴孟進さんが、夫と義弟の死を原爆死没者名簿で41年ぶりに確認
1986/7/15
黒川武総評議長が「従来の原水禁世界大会は国民の支持を失っている」と世界大会不参加を示唆
1986/7/16
中国スポークスマンが「日本を守る国民会議」編集の高校日本史教科書について「日本軍国主義の戦争責任を回避した記述が修正されていない」と批判
1986/7/16
ホワイトハウス・スポークスマンが「核実験の制限・禁止に関する専門家レベルの交渉を、前提条件なしに開始することで米ソが合意」と発表
1986/7/16
広島、長崎の被爆者の証言を英訳した「ヒバクシャサバイバーズ・オブ・ヒロシマ・アンド・ナガサキ」(佼成出版社)出版
1986/7/16
レーガン米大統領が訪米中のジュネジョ・パキスタン首相に核兵器を保有すれば援助を停止と警告
1986/7/16
広島原爆病院の改築計画決まる。広島赤十字病院と共用で8階建て、1988年3月完成予定
1986/7/17
日本原水協と日本平和委員会の共産党系2団体が原水爆禁止世界大会準備のための連絡会議を発足。1977年以来続いた原水禁国民会議(社会党・総評系)や市民団体参加の統一世界大会開催は事実上崩れる
1986/7/17
広島県宗教者NGO協議会、県生協連など8団体が「国際平和年86市民平和大行進広島実行委員会」を結成。東京、長崎をスタートしている市民平和大行進を引き継ぐ
1986/7/17
米エネルギー省が「ネバダ州で17日、地下核実験を行った」と発表。ソ連国営タス通信は18日「軍拡競争に執着」と非難
1986/7/18
政府が米戦略防衛構想(SDI)研究参加をめぐる第3回関係閣僚会議で参加の方向を確認
1986/7/18
平和実現のための自治体の役割を探る「世界平和を考える大阪会議」の岸昌大阪府知事や川勝伝南海電鉄会長ら運営委員が広島市を訪れ被爆者らと懇談
1986/7/18
荒木広島市長が駐日米大使に核実験抗議の電報
1986/7/18
全国知事会議に出席の都道府県知事ら100人が広島市の原爆慰霊碑に参拝
1986/7/19
ソ連共産党政治局が「チェルノブイリ原発事故は作業員が運転規則の重大な違反を重ねた人為的ミスが原因」と結論。被害は「死者28人、30人が入院中で、被害額は4,640億円」と発表
1986/7/19
オーストラリア西部のポートヘッドランドの小学生が平和への願いを込めて折った千羽づるが、日本郵船の鉱石運搬船に託されて日本鋼管福山製鉄所に届く。8月6日、広島市の原爆の子の像にささげる
1986/7/19
広島平和文化センターが被爆者証言ビデオ「ヒロシマの証言~被爆者は語る」貸し出し始める
1986/7/20
米核実験に抗議し被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1986/7/21
中国新聞社が「年表ヒロシマ40年の記録」を出版
1986/7/21
日本被団協、日本生協連など10団体が原水爆禁止世界大会の統一開催で日本原水協(共産党系)や原水禁国民会議(社会党・総評系)への調停を断念。大会は3分裂開催へ
1986/7/22
島根県被団協の被爆体験集「被爆四拾年」が完成
1986/7/22
ソ連のイスラエリアン軍縮大使がジュネーブ軍縮会議で「核実験禁止のため、現地査察を含む厳格な査察を受け入れる用意がある」と演説
1986/7/22
米シカゴ市で東部初の被爆者集会。被爆者10人が名乗り出る
1986/7/23
放射線影響研究所が、原爆放射線の新線量計算システム「DS86」を基に近距離被爆者1万6,000人のがん発生率など再分析
1986/7/23
原爆投下直後、救護活動にあたった旧陸軍野戦船舶本廠の暁部隊の元隊員らが体験手記集「閃光~その救援」を出版
1986/7/23
ソ連政府機関紙イズベスチヤが事故後3カ月のチェルノブイリ原発周辺をルポ。「汚染地域に指定された半径30キロ以内の地区はほとんど放置されたままで、避難した10万人は帰宅できるめどさえついていない」
1986/7/24
日韓政府合意に基づく在韓被爆者渡日治療の1986年度第3陣23人が福岡市に到着。15人が広島入り
1986/7/24
レーガン米大統領が「ソ連が宇宙防衛兵器の研究・開発を進めていることを認めるなら戦略防衛構想(SDI)に基づく宇宙兵器配備を先送り」と表明
1986/7/24
米エネルギー省が「ネバダ州の実験場で地下核実験を実施した」と発表。ソ連の停止以来15回目
1986/7/24
広島県原水協や広島県平和委員会などの原水爆禁止1986年世界大会広島実行委員会準備会が発足
1986/7/25
米ソ包括的核実験禁止交渉がジュネーブで6年ぶり再開
1986/7/25
1986年アキバ・プロジェクトの米記者ジョセフ・コープランド記者とマックス・マッコイ記者が広島入り。8月20日まで広島、長崎で取材
1986/7/25
荒木広島市長が米核実験抗議電報を駐日米大使に打つ
1986/7/25
新日本婦人の会広島県本部が被爆体験集「木の葉のように焼かれて」第20集を発行
1986/7/25
レーガン米大統領がゴルバチョフ・ソ連書記長の軍縮提案に返書。弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約の7年順守と戦略防衛構想(SDI)延期を提示
1986/7/25
日本被団協、日本生協連など10団体が8月5日に広島市で独自集会「国際平和年86市民平和大集会」開催を決定
1986/7/26
長崎市主催の「世界平和を考える長崎シンポジウム」開く。パネリストは、飯島宗一名古屋大学長ら6人(「長崎年表」)
1986/7/26
広島平和音楽祭が広島市で開催。13回目で岩崎宏美、本田美奈子さんら出演。歌詞募集ゴールデン・メイプル賞に広島市の萩原志賀子さんの「風になれたら」
1986/7/27
米核実験に抗議し被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1986/7/27
原水禁国民会議の「国際平和年・非核・平和を求める平和大行進」が広島県入り
1986/7/27
広島県賀茂郡豊栄町で原爆被爆死没者追悼会。豊栄町原爆被害者協議会が確認した死者106人と1968年の協議会結成以降に亡くなった114人を合わせ追悼
1986/7/28
ヒロシマ・ナガサキ平和基金推進委員会(庄野直美理事長)が中、高校生向けの平和ハンドブック「いま地球は-広島・長崎を考える旅」を出版
1986/7/28
ゴルバチョフ・ソ連書記長が広島での全アジア安保会議開催を提案。広島の被爆者ら高く評価
1986/7/28
広島県が国際平和年を記念し国連に派遣する「ひろしま平和大使」決まる。広島市観音小学校4年生の小川知子さんら4人
1986/7/28
全国地域婦人団体連絡協議会(大友よふ会長)が東京で「国際平和年86平和をつくる婦人のつどい」開く。初の独自集会で代表400人が参加。「婦人の手で平和の連帯を広げよう」と反核アピール採択
1986/7/29
広島原爆病院が開院以来30年間の診療概況を発表。外来患者100万人を突破。死因の63%が悪性腫瘍
1986/7/29
日本被団協の伊藤サカエ、山口仙二代表委員らが、被爆40周年事業として計画している「被爆者の森」の用地提供を広島市に要請
1986/7/29
レーガン米大統領が米ソ首脳会談開催のためソ連側が示した準備協議開催に同意。「戦略防衛構想(SDI)を対ソ交渉の取引材料にせず」と表明
1986/7/29
神奈川県大和市の遠藤嘉一市長から荒木広島市長あてのメッセージを携え1人で平和行進を続けている大和市の八田三郎さんが東広島市入り
1986/7/30
広島市が全国で行っている原爆供養塔の納骨名簿公開で16柱の身元が分かり、5柱が遺族に
1986/7/30
生協連など市民団体の「国際平和年86市民平和大行進」と日本原水協(共産党系)の「86国民平和大行進」が相次いで広島県入り
1986/7/30
人間性の復興をテーマに「教育課程と教授のための世界協議会」(WCCI)の第5回世界教育大会が広島市で始まる。41カ国300人が平和教育の在り方討議
1986/7/30
ヒロシマ・アウシュビッツ委員会(桑原英昭会長)がイスラエルなど5カ国に平和巡礼団を派遣。平和記念館建設協力を呼びかけ
1986/7/30
朝日新聞大阪社会部が「手記被爆者たちの40年」を出版
1986/7/31
「核兵器廃絶運動連帯」(代表世話人、隅谷三喜男東京女子大学長)の国際フォーラムが東京で始まる。8月1日まで。21カ国51人の海外代表を含め300人が参加。「核兵器のない社会をどうつくるか」など討議
1986/7/31
韓国政府が在韓被爆者渡日治療を11月末で打ち切ると日本政府に通告。韓国保健社会部の李晟雨医政局長「韓国の医療体制も整い、今後は国内で治療したい。渡航費の韓国負担が不満で打ち切るのではない」。在韓被爆者渡日治療は1981年12月に日韓両国政府が合意書を交わしスタート。7月末までに338人が来日
1986/7/31
カナダ在住の被爆者節子サーローさんがトロント市の高校生2人を引率し広島入り。サーローさんは若者のヒロシマ理解を深めるため3年前から高校生派遣を計画。ようやく実現
1986/7/31
広島県内86市町村を回る第5回反核平和の火リレーが広島市役所にゴールイン
1986/7/31
広島女学院が創立100周年記念式典に同窓生で米に住む被爆ロシア人のカレリア・ドレイゴさんを招くことを決める。カレリアさんは米戦略爆撃調査団の「被爆者証言」の中で唯一の外国人女性として証言
1986/7/31
東京都地婦連、生協連など6団体が初の市民集会「平和のつどい」開く。被爆者ら1,300人が参加 1986/7/--
米軍が韓国の群山など海外26基地に戦術核兵器貯蔵可能な弾薬庫の設置計画を持っていることが、米下院公聴会記録で判明
1986/7/--
マクナマラ元国防長官ら米の代表的戦略研究家8人が米誌「アトランティック」で「米は戦略核を含むすべての核兵器を先制使用しない戦略を組むべき」と提案
1986/7/--
広島紅葉ライオンズクラブが恒久平和を訴えるステッカーを作製。海外100カ国と国内ライオンズクラブへ送る
1986/7/--
佐伯郡八幡村など広島市佐伯区内旧5町村の原爆死没者・罹災者名簿12冊(1,010人)が見つかる
1986/7/--
原爆資料館が小、中学生向けのパンフレット「広島平和記念資料館~ヒロシマをみつめて」を作製
1986/7/--
広島県佐伯郡廿日市町教育委員会が、町内で被爆者救護にあたった64人の証言「熱い波」を出版 1986/7/--
世界ユネスコクラブ連盟(本部パリ)から広島ユネスコ協会に「8月6日に合わせ6カ国8人の高校、大学生を広島に派遣」と連絡
1986/7/--
長崎市が宙に浮いていたオリンポスの火の灯火台を建設する方針固める。オリンポスの火は1983年8月7日に長崎市の平和公園で点灯。映画監督の木下恵介さんらが灯火台建設運動を始めたが、長崎市は管理に責任が持てないとの理由で難色を示していた
1986/7/--
ソ連がゴルバチョフ書記長の核軍縮提案を中国に説明するため、カルポフ外務省軍縮局長を派遣。米もエーデルマン軍備管理軍縮局長を団長とする軍縮問題代表団を中国に派遣へ

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