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ヒストリー

ヒロシマの記録1986 11月


1986/11/1
南米被爆者巡回医師団(団長、門前徹夫県立広島病院副院長、7人)が帰国。継続の必要性を強調
1986/11/2
スウェーデンの女性らで組織する平和運動グループ「平和の旅」の代表5人が広島市の原爆資料館を見学、被爆者と懇談
1986/11/2
広島視力障害者協議会が視力障害者のための慰霊碑巡りの会を開き、約60人が参加
1986/11/3
広島県が国際平和年を記念して佐伯郡吉和村に造成した「平和の森」で植樹祭
1986/11/3
原爆乙女の治療に尽力した広島流川教会名誉牧師の故谷本清氏の合同告別式が広島市で営まれる。600人参列
1986/11/4
米紙ワシントン・ポストが「パキスタンは核製造能力を保持しており、9月に圧縮型核兵器製造の一環として高性能爆発装置を実験」と報道
1986/11/4
衆院予算委員会で米戦略防衛構想(SDI)が非核かどうかをめぐり紛糾。防衛庁が核爆発を利用したレーザー研究がSDI研究に含まれていることを示す
1986/11/4
欧州軍縮推進の新たな道を探る第3回全欧安保再検討会議がウィーンで開幕。3年ぶり、カナダなど35カ国出席
1986/11/4
ロンギ・ニュージーランド首相が南太平洋非核地帯条約の批准を表明
1986/11/5
日ソ協会広島支部がゴルバチョフ書記長に「原爆慰霊碑前で平和アピールを」とロシア語のはがきで要請する運動始める
1986/11/5
平和教育交流のため中国を訪れていた全国原爆被爆教職員の会の石田明会長ら8人が帰国。石田会長が「中国青年を広島に留学生として招く制度を作る」と報告
1986/11/5
シュルツ米国務長官とシェワルナゼ・ソ連外相がウィーンで会談。軍縮交渉再開の道を探る
1986/11/5
広島市平和記念公園の「原爆の子の像」に放火。折りづる50万羽を焼く。6日、広島「折鶴の会」の女子中学生らが新たに5,000羽を供える
1986/11/5
広島県原水禁がパキスタンのハク大統領あてに核兵器開発中止を求める要請文送る
1986/11/6
ウィーンでの米ソ外相会談が米戦略防衛構想(SDI)で対立し、首脳会談の見通し立たず
1986/11/6
ソ連ノーボスチ通信が「米が核実験に同調しない限り、これ以上凍結を延長しない」と論評
1986/11/6
英国際戦略研究所が「米ソ核戦力は均衡」と年次報告
1986/11/6
中曽根首相が衆院予算委員会で「核爆発を間接的に利用したエックス線レーザー兵器は核兵器にあたらない」との見解表明
1986/11/7
米CBSテレビが「米原潜オーガスタが2週間前、大西洋でソ連原潜と衝突事故」と報道
1986/11/7
東京の劇団「文化座」が佐々木禎子さんをモデルにした劇「千羽鶴」を母校の幟町中学校で上演
1986/11/8
九州弁護士連合会が模擬裁判「核兵器廃絶・被爆者援護法の制定を求める長崎大法廷」を開く
1986/11/8
名古屋大学が軍事機関との関係を絶つなど大学の非軍事化を明記した「平和憲章」の最終案を採択
1986/11/9
米ソ両科学者の合意に基づく核実験相互監視のため、ソ連モスクワ地球物理学研究所のイゴール・ネルセソフ博士ら5人が訪米。米の民間科学者団体の天然資源保護協会の代表らと核実験探知装置の設置場所を選定
1986/11/10
スピークス米副報道官が記者会見で「米ソ第2次戦略兵器制限条約(SALT2)の破棄は既に決定しており、年内に戦略爆撃機B52の配備に踏み切る」と言明
1986/11/10
科学者による第1回国際平和週間始まる。国内では島根大など16会場で軍縮討論やシンポジウム 1986/11/10
国際平和年を記念して地球を1周する「ファースト・アース・ラン」の聖火が広島市入り。平和記念公園で歓迎式
1986/11/12
ジュネーブの米ソ包括軍縮交渉の第6ラウンドが終了。カンペルマン米首席代表が「戦略防衛構想(SDI)で対立点が残ったが、戦略核の5年以内半減で合意するなど大幅に進展」と評価。カルポフ・ソ連首席代表は「レイキャビク米ソ首脳会談の合意から後退」と批判
1986/11/13
ニュージーランド政府が「仏は12日、南太平洋のムルロア環礁で核実験を実施した」と発表
1986/11/13
荒木広島市長が仏核実験に抗議する電報を駐日仏大使に打つ
1986/11/13
在韓被爆者の渡日治療打ち切り問題で韓国政府と協議し帰国した厚生省保健医療局の羽毛田信吾企画課長が「11月末で打ち切りが確実」と語る
1986/11/14
米ソ両科学者の合意に基づく核実験相互監視のため訪米したソ連モスクワ地球物理学研究所のイゴール・ネルセソフ博士らが記者会見で、ネバダ実験場近くに3カ所の観測点を設け12月から観測開始を表明
1986/11/14
米エネルギー省が「ネバダ州の実験場で14日、地下核実験を行った」と発表
1986/11/14
ろうあ者でべっ甲細工職人の長崎市の池田杉男さんが原爆漫画「ノーモア・ろうあ被爆者」出版
1986/11/14
米大陸を徒歩で横断し核廃絶を訴えた米大陸横断平和大行進グレート・ピースマーチがワシントンに到着。ロスから5,200キロ、8カ月半の長旅終える
1986/11/15
訪米中のサッチャー英首相がレーガン大統領と会談。「核兵器の削減問題はそれだけを切り離して論じることはできず、安定した全体的な戦力バランスが求められる」とレイキャビク米ソ首脳会談で核兵器全廃を口にした同大統論にクギ
1986/11/15
荒木広島市長が米核実験抗議電報を駐日米大使に打つ。被爆者らが広島県内28カ所で座り込み
1986/11/18
第41回国連総会の軍縮討議が、全面的核実験禁止条約の緊急性に関する決議など65決議案を可決
1986/11/18
レーガン大統領がワシントンで演説。レイキャビク米ソ首脳会談で示した弾道ミサイル全廃姿勢が後退。軍幹部や西欧諸国に配慮
1986/11/19
東京の全国カタログ・ポスター展で広島国際文化財団と日本グラフィックデザイナー協会が発行した「ヒロシマ・アピールズ・ポスター」が2年連続入賞
1986/11/19
米誌タイムのマクマナス編集局長ら編集幹部6人が広島市を訪問▽インドなどアジア6カ国の医師やソーシャルワーカーらの13人も広島市を訪問
1986/11/20
米オハイオ州の住民100人が平和への祈りを込めて手形を押した「平和キャンバス」が広島市に届く
1986/11/21
原爆の影響でいびつだった広島市の人口構成が、ほぼ全国型に回復。市の調査で判明
1986/11/21
米カリフォルニア在住の被爆者の胤森貴士さんが被爆者健康手帳を広島市に申請
1986/11/22
広島市のワールド・フレンドシップ・センター新館長のウィルアム・チャプルさんと妻のジャンヌさんが赴任
1986/11/22
政府が米戦略防衛構想(SDI)研究参加について米との政府間取り決め締結を急ぐ方針を固める。12月上旬に2回目の日米交渉へ
1986/11/25
ニューカレドニアの南太平洋委員会本部で開かれた国連環境計画会議で、米仏を含む27カ国が核廃物投棄などを禁止した南太平洋条約を採択。日本は不参加
1986/11/26
レーガン米大統領が、第2次米ソ戦略兵器制限条約(SALT2)を破棄し、同条約の制限を超えた戦略核兵器搭載用B52の配備を決める。ソ連のピャドイシェフ外務省情報局第1次長が「軍縮交渉に悪影響」と非難し「戦略的均衡を維持するため対抗手段を検討」と言明。仏、カナダも「遺憾の意」
1986/11/26
日韓政府合意に基づく在韓被爆者渡日治療最後の9人が帰国。今後は民間レベルに
1986/11/26
日本青年会議所がニューヨーク・タイムズに世界平和を訴える意見広告を掲載
1986/11/27
インド訪問中のゴルバチョフ・ソ連書記長とガンジー・インド首相が、20世紀末までに核兵器廃絶を目指す両国共同宣言(ニューデリー宣言)に調印
1986/11/27
広島原爆病院が本館改築工事の起工式。1988年3月の完成めざす
1986/11/28
米がテキサス州カースウィル空軍基地に空中発射巡航ミサイル用B52戦略爆撃機1機を実戦配備。第2次米ソ戦略兵器制限条約(SALT2)の規制枠を超す
1986/11/29
日本原水協の被爆者援護・連帯全国活動者会議が広島市で始まる。高齢化する被爆者の健康対策として「網の目援護体制」づくりや海外への被爆実相の普及強化など報告。30日まで
1986/11/--
広島市平和記念公園の広島国際平和文化会館建設工事現場から被爆ラムネ瓶や食器見つかる
1986/11/--
科学技術庁の放射線医学総合研究所が、貝殻の分析で従来より確実に放射線量が測定できることを突き止め、被爆したボタンなど貝製品の提供を呼びかけ

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