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ヒストリー

ヒロシマの記録1983 6月


1983/6/1
荒木広島市長がソ連核実験に抗議する電報を駐日ソ連大使に打つ
1983/6/2
ソ連核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島県内の26カ所で被爆者や市民ら座り込む
1983/6/5
米紙レディング・イーグルが米情報筋の話として「リビアは既に原爆5発を所有」と報道
1983/6/5
第24回原子爆弾後障害研究会が広島市で開催。広島原爆被爆者健康管理所の伊藤千賀子医師が「被曝線量に比例して胃がんの発生率は高くなり、最高男性で4.2倍、女性で3.9倍」と報告
1983/6/6
荒木広島市長らが欧州親善旅行から帰国。「戦域核配備に対する各都市住民の危機感を肌で感じ、ヒロシマの責任の重さを痛感した」
1983/6/6
アンドロポフ・ソ連共産党書記長が、バルト海などの非核武装化を協議する用意があると演説
1983/6/7
1949年に出版された被爆体験手記集「天よりの大いなる声」の改訂版「天よりの声」を発刊
1983/6/8
「米各地の原子力発電所で発生した破壊行為による事故は、不満を持つ作業員がひき起こした」。ニューヨーク・タイムズが米原子力規制委員会の調査を報道
1983/6/8
米紙ニューヨーク・タイムズが「ニュージャージー州ウェインの化学工場が放射性廃棄物を捨て、周辺住民が健康調査を要求」と報道
1983/6/8
米ソ戦略兵器削減交渉(START)がジュネーブで再開。レーガン米大統領がミサイル基数枠の制限を緩和するとの現実路線への転換を示す。ソ連国営タス通信は9日「一方的に軍縮を強いる」と論評 1983/6/9
広島国際文化財団と日本グラフィックデザイナー協会が共同制作した「ヒロシマ・アピールズ・ポスター」第1作が完成。同協会会長、亀倉雄策氏の作品
1983/6/9
米エネルギー省が「ネバダ州で9日、20キロトン以下の地下核実験を行った」と発表
1983/6/9
ホーク豪首相が「仏が南太平洋での核実験を中止しない限り、対仏ウラン輸出を禁止」と表明
1983/6/9
中学校社会科「公民的分野」の文部省検定で、学校図書(東京)の反核、軍縮をテーマにした序文が全面的に書き直しを命じられる。原水禁世界大会準備委員会の代表者が瀬戸山三男文相に公開質問状
1983/6/10
「ヒロシマ・アピールズ・ポスター」第1作制作者の亀倉雄策氏が、ポスターを広島市へ寄贈。市は世界平和都市連帯を呼びかけている72都市に送付へ
1983/6/10
広島の派遣医師団(門田徹夫県立広島病院副院長)による第4回在米被爆者検診がサンフランシスコで始まる。初日は東広島市出身の丸田栄治さんら11人が受診
1983/6/10
広島市で第10回平和音楽祭。ゴールデンメイプル賞に広島市の古河礼子さんの「継承」
1983/6/10
放射線影響研究所の理事会で、被爆二世への遺伝的影響をさらに詳しく調査するため、血液中のタンパクを細かく分析する新方式導入を決める
1983/6/11
広島県高校生平和ゼミナールなどが、平和記念公園周辺の原爆モミュメントを分かりやすく解説した「碑めぐりガイドブック-ヒロシマの旅」を発刊
1983/6/11
核と飢えのない世界をめざす「南北ネットワーク運動」を理解してもらう市民シンポジウムが広島市で開かれる。学生や留学生ら50人が参加
1983/6/11
デンマーク在住の妙子・ストックホルムさん(広島市出身)から中国新聞にコペンハーゲンで初めて開かれた被爆資料展の反響を伝える手紙と写真。「子供に戦争の恐ろしさを説明する両親の姿が象徴的」
1983/6/11
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報を駐日米大使に打つ
1983/6/11
「子どもの反核・軍縮キャンペーン」日本支部の子どもたちが、全国から集まった「反核レター」150通を翻訳してレーガン米大統領に送る
1983/6/12
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が「ソ連は12日、セミパラチンスクで強力な地下核実験を行った」と発表
1983/6/12
米核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島県内26カ所で被爆者や市民が座り込み
1983/6/13
国際軍縮促進議員連盟(大石武一会長)の田英夫・社民連代表と宇都宮徳馬参院議員が広島市で記者会見し、原爆記録映画の上映会を英、仏、カナダ、ナイジェリアで開く方針を表明。「ヒロシマ原爆の記録」と「ヒロシマ・ナガサキ-核戦争のもたらすもの」の2本
1983/6/13
東西の科学者が核戦争の危機と平和について考えるパグウォッシュ会議がジュネーブで、「12月までにINF削減交渉で合意ができなければ、北大西洋条約機構(NATO)諸国政府は中距離ミサイルの配備を延期し、交渉に時間を与えるのが最良」と緊急声明
1983/6/13
レーガン米大統領がホワイトハウスで演説し、ソ連のバルト海非核地帯設置構想を拒否
1983/6/13
荒木広島市長がソ連核実験に抗議する電報を駐日ソ連大使に打つ
1983/6/13
広島県被爆二世団体連絡協議会(木原省治事務局長)が、中学校用「社会(公民的分野)」の教科書見本版に被爆二世全員が白血病と誤解を招く記述があると指摘。学校図書(東京)に訂正求める。学校図書は18日、同協議会に「記述に一部誤りがあり、文部省に正誤申請する」と文書回答
1983/6/14
南太平洋のバヌアツ共和国で開かれる「非核・独立太平洋会議」の日本代表団が決まる。原水禁国民会議(社会党・総評系)の前野良代表委員、日本原水協(共産党系)の吉田嘉清代表理事ら6人
1983/6/15
広島市と周辺の16ライオンズクラブが同市中央図書館で平和記念碑「ピープルアットピース」を除幕 1983/6/15
ソ連核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島県内26カ所で被爆者や市民が座り込み
1983/6/17
米空軍が、核戦争を想定した演習「グローバル・シールド」を23日から世界的規模で行うと発表
1983/6/17
米空軍が「次期戦略ミサイルMXの発射・飛行実験に成功」と発表。カリフォルニア州バンデンバーグ空軍基地からマーシャル諸島クェゼリン環礁へ発射
1983/6/17
広島国際文化財団の83年アキバ・プロジェクトの米記者4人が決まる。ウィスコンシン州WISNテレビのマ-シャ・ウォルトン記者▽同リチャード・バンス・カメラマン▽政治専門誌「ネーション」特約のロバート・マノフ記者▽デラウェア州ザ・ニューズ・ジャーナル紙のロシェル・シャープ記者
1983/6/17
広島の教師や平和運動家が執筆した中、高校生向けの原爆読本「ヒロシマの子」発刊
1983/6/18
広島の派遣医師団による第4回在米被爆者検診がロサンゼルス地区でも始まる。初日29人が受診
1983/6/18
広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの副操縦士ロバート・ルイス退役少佐が死去。65歳。「100年生きても、この2、3分のことは決して忘れない」と投下直後に書き留めたメモが8万5,000ドルの値がつき話題に
1983/6/18
第3回核戦争防止国際医師会議(IPPNW)がオランダのアムステルダムで始まる。日本から福原照明広島市医師会長、大北威広島大原医研教授が出席
1983/6/18
第11回全国平和教育シンポジウム(日本平和教育研究協議会、広島平和教育研究所主催)が広島市で始まる。700人が参加、人間尊重と人権意識に根ざした平和教育の在り方をめぐり討論
1983/6/19
パリのバンセンヌの森で50万人反核大集会(警察発表8万人)。仏共産党を中心とする「100人アピール委員会」が主催。社会党系団体は不参加
1983/6/19
胎内被爆小頭症患者と親の会「きのこ会」が広島市で総会。終身収容施設の設置を国に要望へ
1983/6/20
世界14カ国で一斉に核兵器に反対する「核軍縮行動の日」。米では25州の核兵器関連の軍事基地や核研究所で抗議デモ、1,000人の逮捕者
1983/6/21
原爆詩人峠三吉の没後30周年を記念して、広島市の平和記念館で遺品展。30日まで
1983/6/21
放射線影響研究所の重松逸造理事長と荒木広島市長が、同研究所の広島大工学部跡地移転で合意
1983/6/22
オランダで開かれている第3回核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が米ソ両首脳に核軍縮の必要性を訴えるアピールを採択
1983/6/22
中国新聞社が英語写真集「ヒロシマ36年の記録」発刊
1983/6/22
中国の張香山共産党中央対外連絡部顧問が「原水禁世界大会に5人を派遣」と、北京訪問中の中林貞男生活協同組合連合会会長に語る。中国代表団は18年ぶり
1983/6/24
日韓政府合意に基づく在韓被爆者渡日治療第5陣の15人のうち14人が2カ月間の治療を終え帰国
1983/6/24
スウェーデンのハグフォルス軍地震観測所が「ソ連は24日、セミパラチンスク地方で地下核実験を行った」と発表
1983/6/25
「広島・長崎市民平和研究所」設立を目指す「ヒロシマ・ナガサキ平和基金」推進委員会が広島市で市民シンポジウム。6カ国語に翻訳した被爆写真冊子を世界の草の根反核グループに送るなど運動方針を討議
1983/6/25
第4回在米被爆者検診がシアトル地区で始まる。長崎市の捕虜収容所で被爆した元オランダ軍インドネシア兵ハーム・ボス氏も受診。26日、カナダのバンクーバーに住む被爆者11人も
1983/6/25
西ドイツのクレーフェルトで、ブッシュ米副大統領訪独と米核ミサイルの配備に反対するデモが警官隊と衝突。80人が負傷、134人逮捕
1983/6/26
エルニョ仏国防相が西ドイツ誌シュピーゲルの会見記事で、ムルロア環礁での中性子爆弾実験を認める。「大統領命令があり次第、製造できる」
1983/6/27
ソ連ノーボスチ通信が「全面核戦争が起きれば人類の三分の一が死滅」という科学者オレグ・ネフョードフ氏の被害予測を報道。「直接的な人的被害だけでなく、オゾン層が破壊され平均気温が5~7度上昇し環境破壊」
1983/6/28
在韓被爆者渡日治療第6陣の15人が広島原爆病院に入院。2カ月間の治療が始まる
1983/6/29
荒木広島市長が24日のソ連核実験に抗議する電報を在日ソ連大使館に打つ
1983/6/29
中曽根首相が広島市の原爆死没者慰霊式・平和祈念式に出席する意向を表明。式典への首相の参列は1981年の鈴木首相以来、4人目
1983/6/29
動力炉・核燃料開発事業団が高速増殖炉の使用済み核燃料からプルトニウム回収に成功
1983/6/29
広島・長崎両県の県教組と原爆被爆教職員の会など4団体が、「中学校社会教科書の核・平和記述の後退は検定制度に問題」と文部省などに質問状
1983/6/29
長崎市教委が、平和学習の指針「平和に関する指導資料第2集」を市内全小中学校に配布(「長崎年表」)
1983/6/30
ニュージーランドの地震学者ウォーウィック氏が「仏は29日、ムルロア環礁で核実験」と語る
1983/6/30
荒木広島市長が仏核実験に抗議する電報を在日仏大使館に打つ
1983/6/30
巡航ミサイル・トマホークを搭載した米戦艦ニュージャージーが8月、佐世保と横須賀基地に連続寄港へ。7月1日、安倍晋太郎外相も認める
1983/6/30
1983年度から使われる中学校用教科書に被爆二世問題で誤解を招く記述があるとして、長崎被爆二世の会(山下喜一代表)が教科書を作った学校図書(東京)に抗議(「長崎年表」)
1983/6/--
「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」の10フィート運動映画第2作「予言」(羽仁進監督、35ミリカラー、45分)が、ニューヨークで開かれたアメリカン・フィルム・フェスティバルでレッドリボン賞
1983/6/--
大阪市に住む75歳の被爆者三上五月さんが息子の死と自らの被爆体験をつづった「直樹よ甦れ~広島の母は慟哭する」を出版

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