×

ヒストリー

ヒロシマの記録1983 11月


1983/11/1
来日中のコール西ドイツ首相が中曽根首相に「11月末からパーシング2を配備」と表明
1983/11/1
仏の映画俳優アラン・ドロンさんが広島市を訪問、原爆慰霊碑に献花
1983/11/2
原爆投下の目標になった広島市の相生橋の全面架け替え工事が完了、半世紀ぶりに一新。6年の工期と48億円を投入。橋の歴史を刻んだ説明板も設置。信高裕建設省中国地方建設局長、荒木広島市長ら150人が完成式
1983/11/3
広島市が原爆慰霊碑のそばに日英両文の説明板設置。碑の名称は「広島平和都市記念碑」。市民の要望で「原爆死没者慰霊碑」と付記
1983/11/3
被爆した東南アジアの南方特別留学生4人が38年ぶりに広島市を再訪。当時の同級生らと再会
1983/11/5
大内五良前広島県医師会長ら広島の医師らが作った16ミリ映画「ヒロシマの医師たち-38年のドキュメント」が完成
1983/11/6
大竹市に父子像の原爆慰霊碑「叫魂」が完成。大竹市原爆被爆者協議会が募ったカンパを基に、広島県美展審査員の三上良平氏が制作。除幕式で大竹中学校の生徒が自作構成詩「叫魂」を発表
1983/11/7
日本被団協が原爆被爆者援護法の制定や国による被爆者実態調査、諸手当の増額を厚生省に陳情
1983/11/7
「在外被爆者支援連帯ヒロシマ委員会」(石田明代表)が在米被爆者渡日治療第2陣として、1984年春に3人を広島に招くと決定
1983/11/7
米太平洋艦隊司令官のシルベスター・フォーリー大将が米海軍関係紙ネイビー・タイムズのインタビューに答え「原子力艦艇寄港の反対運動は弱まっている。報道関係者や指導的立場にある市民の艦艇招待も奏功」と語る
1983/11/8
第2回日米合同原爆放射線量再評価会議が広島市の放射線影響研究所で始まる。元米学士院総裁のフレデリック・ダイツ博士ら米側11人、田島英三日本原子力安全委員会副委員長ら日本側16人ら計50人が参加。9日、1984年度中にも見直しの結論を出すことを決め閉会
1983/11/8
米マサチューセッツ州ケンブリッジ市で、核兵器開発施設追放の是非を問う全米初の住民投票
1983/11/8
世界保健機関(WHO)のハルフダン・マーラ事務総長が広島市を訪問、原爆慰霊碑に献花
1983/11/9
トルドー・カナダ首相が核保有5カ国(米、ソ、英、仏、中国)に合同会議の開催を提案
1983/11/9
英の反核女性グループ「巡航ミサイルに反対するグリーナムコモンの女たち」が英への巡航ミサイル配備停止を求め米連邦地裁に提訴
1983/11/9
レーガン米大統領来日。広島市の原爆ドーム前では「レーガンを広島に」運動のメンバーが横断幕を掲げ、大統領来広を呼びかける。メンバーのローレンス・ウィッグさんに大統領事務官から「日程の都合で広島訪問はできない」と返書
1983/11/10
ノーベル賞受賞者33人を含む43カ国の物理学者1万2,000人が署名した核軍縮を求めるアピールが仏大統領官邸に届く
1983/11/10
米ケンブリッジ市の核兵器開発施設追放の是非を問う住民投票で、「追放派」が敗北
1983/11/10
京都在住の英語教師ヘイゼル・ジャクソンさんら「外国人・ジャパニーズ賢人会」のメンバー40人が、レーガン米大統領の広島訪問を求めて京都市内を行進
1983/11/11
オーストラリアの女性平和活動家800人が、米軍通信基地パインギャップ撤廃を求め基地そばに平和キャンプ設営
1983/11/11
来日したレーガン米大統領が衆院本会議場で演説。「安保条約は日米の基盤」「核戦争に勝利ない」
1983/11/12
ルーマニアのブカレストで若者ら3万人が東西の核削減を訴えてデモ行進
1983/11/12
日本平和学会(会長、福島新吾専修大教授)が広島大で「創立10周年記念研究大会」。川田侃上智大教授が従来の「戦争と平和」の研究に加え、南北問題を中心とした「構造的暴力」や「人権問題」にメスを入れ、新しい世界秩序の構築を図る必要を強調。13日、栗野鳳前広島大平和科学研究センター長を次期会長に選び閉会
1983/11/14
広島市が米の平和運動家フロイド・シュモー氏と姉妹都市のアンダーソン・ホノルル市長、シュマルスティーク・ハノーバー市長に特別名誉市民の称号
1983/11/14
日米市長・商工会議所会頭会議出席のトーマス・ブラッドレー・ロサンゼルス市長が広島県医師会を訪ね、杉本純雄会長に在米被爆者検診の継続を要望
1983/11/14
広島市入りしたシアトル市のチャールス・ロイヤー市長夫妻が、平和記念公園内の原爆の子の像を訪れ、米の日系少年たちから託された折りづるをささげる
1983/11/14
ヘーゼルタイン英国防相が下院で「欧州向け米巡航ミサイル第1号が、グリーナムコモン米空軍基地に搬入された」と発表
1983/11/15
「人間性豊かな都市環境の創造」をテーマに日米市長・商工会議所会頭会議が広島市で開幕。都市交流で平和推進など討議
1983/11/16
柳井市の周東総合病院で放射線治療用ラジウム針が紛失する事故が明るみに。17日、科学技術庁が調査。20日、市の不燃物処理場で見つかる
1983/11/18
安田隆明科学技術庁長官が「動力炉・核燃料開発事業団のウラン濃縮原型プラントを岡山県の人形峠事業所に建設で長野士郎岡山県知事と合意」と発表
1983/11/18
来日中のソ連科学アカデミー米・カナダ研究所のゲオルギー・アルバトフ所長が記者会見。「INF交渉が決裂してもSS20の極東増強は当面なく、現在配備されているのは108基」。ソ連当局者として初めて確認
1983/11/18
広島市で開かれていた日米市長・商工会議所会頭会議が閉幕。「恒久平和へ英知を結集しよう」との平和決議を採択
1983/11/19
米エネルギー省が「ソ連がセミパラチンスクで行った地下核実験の地震を探知」と発表
1983/11/19
広島県高校生平和ゼミナールなど7つの高校生平和運動グループが、平和希求の思いを50字メッセージにまとめ「世界史をつくる若者たちへ」と題し発刊
1983/11/20
核戦争の脅威を訴えた米ABC放送制作のテレビドラマ「ザ・デイ・アフター」(その翌日=核爆発の後で)が、全米ネットで放映、世帯の約7割、1億人が見る。アキバ・プロジェクトで7月に広島、長崎を取材したミルウォーキーWISNテレビのマーシャ・ウォルトン記者がドラマと合わせて、被爆者の証言を中心にしたドキュメンタリーを放送、反響を呼ぶ
1983/11/20
青森県教組婦人部が、主婦を対象に「反核家族宣言」ステッカー運動を展開
1983/11/22
米国原爆被爆者協会の倉本寛司会長、シアトル支部のメアリー・フジタ支部長らが広島市の本篠喜紀衛生局長と広島県の三橋昭男環境保健部長を訪ね、在米被爆者検診の継続と渡日治療の資金援助を要請
1983/11/22
西ドイツ連邦議会が米中距離核ミサイル、パーシング2の同国内配備を賛成286、反対226で可決
1983/11/22
在韓被爆者の渡日治療で厚生省と広島、長崎両市が1984年度は100人の受け入れを決める
1983/11/23
荒木広島市長が19日のソ連核実験に抗議する電報を駐日ソ連大使に打つ
1983/11/23
ソ連国営テレビが米ABC制作の核戦争の脅威を描いた「ザ・デイ・アフター」の一部を放送
1983/11/23
西ドイツへの核配備承認に反発し、ソ連が欧州中距離核戦力(INF)削減交渉「中断」を表明。事実上の決裂
1983/11/24
西ドイツのドイツ通信(DPA)が「パーシング2第1陣がラムシュタイン米基地に到着」と報道
1983/11/24
レーガン米大統領が欧州中距離核戦力(INF)削減交渉の再開を呼びかける声明を発表。アンドロポフ・ソ連共産党書記長が再開を拒否、「NATOの米中距離核ミサイル配備開始の対抗措置」と発表
1983/11/25
ローンバーグ米国務省副報道官が米新型中距離核ミサイル、パーシング2第1陣の西ドイツ搬入開始を公式に確認
1983/11/25
ソ連核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島、山口両県37カ所で被爆者や市民が座り込み
1983/11/27
米紙ボストン・グローブが「米は向こう5年間に西欧5カ国に対し464基の巡航ミサイルと108基のパーシング2を配備し、補充用として両ミサイルの建造を進め、総計では巡航ミサイル565基、パーシング2385基建造する計画」と報道
1983/11/27
イタリア国防省がシチリア島のコミソ基地に米巡航ミサイル第1陣の搬入が始まったと発表
1983/11/27
広島市の姉妹都市、西ドイツのハノーバー市のヘルベルト・シュマルスティーク市長が原爆資料館を見学。「ハノーバーをヨーロッパのヒロシマ出張所に」
1983/11/28
第26回ライプチヒ国際記録映画祭でNHK広島放送局が制作した「きみはヒロシマを見たか」が銀鳩賞を受賞
1983/11/28
ビキニ環礁再生委員会が「ビキニ環礁は土地改良をすれば2~4年の間に元住民1,100人の再移住が可能」とする報告書を発表。土地改良には1億ドルかかり、レーガン政権は反対を表明。米紙ワシントン・ポストが伝える
1983/11/29
米エネルギー省が「ソ連は28日夜、シベリアで地下核実験を行った」と発表
1983/11/29
原子力委員会の原子力船懇談会(有沢広巳座長)が「原子力船開発のため『むつ』の活用は必要であり、青森県関根浜に新母港を建設することもやむを得ない」との報告書をまとめ、安田隆明原子力委員長(科学技術庁長官)に提出
1983/11/30
中国共産党の胡耀邦総書記が長崎市を訪れ、中国の指導者としては初めて平和祈念像に献花
1983/11/30
チェコスロバキアのフサーク大統領が「米ミサイルの欧州配備に対抗するソ連の新型核ミサイルのチェコスロバキア配備はすでに始まっている」と言明
1983/11/--
「原爆未亡人村」といわれた広島市安佐南区佐東町(旧安佐郡川内村)の農家婦人らの被爆体験記「原爆に夫を奪われて-広島の農婦たちの証言」(神田三亀男編、岩波新書)が文部省検定前の高校1年国語教科書(三省堂)白表紙本に収録。1984年3月に採否決定
1983/11/--
「原爆記念日の黙とう、全国703自治体で実施」-。広島、長崎両市が呼びかけた865自治体の追跡調査結果発表
1983/11/--
広島市の己斐小学校校庭の工事現場で被爆者のものとみられる遺骨と骨片4片が見つかる
1983/11/--
原爆の子の像のモデルになった佐々木禎子さんをテーマに横浜市の作曲家浜名政昭さんが合唱曲「折鶴のとぶ日」を作曲。広島少年合唱隊に贈る
1983/11/--
広島平和教育研究所に原爆資料展を見た仏の高等中学生の感想文。原爆資料展はパリ郊外のジフ・シュル・イベット町に住む教師フランソワ・ボーチエさんが生徒と協力して6月に開催。生徒は被爆の悲惨さに驚き、核軍縮への努力を訴え
1983/11/--
米オレゴン州ポートランドの反核グループ「グラウンド・ゼロ(爆心地)姉妹都市プロジェクト」が、ソ連の1,000以上の市町村と相互理解を深め、姉妹都市の爆撃を思いとどまらせようと手紙や写真を送る作戦を開始
1983/11/--
韓国で被爆者の救援運動をしている韓国教会女性連合が1979年に実施した在韓被爆者実態調査の結果が、日本の支援グループ「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の手で4年ぶりに出版

年別アーカイブ