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ヒストリー

ヒロシマの記録1982 5月


1982/5/1
東京・葛飾区の上平井中学校の卒業生や有志が10フィート運動の映画「にんげんをかえせ」を自主上映。修学旅行でヒロシマ学習したOBらが実行委員会を組織
1982/5/1
53回目のメーデー。全国約1,500会場に約400万人。軍縮総会を前に「核兵器完全禁止・全面軍縮の実現」などがスローガン
1982/5/2
青森県むつ市関根浜の関根浜漁協が、原子力船「むつ」新母港建設を前提にした漁業補償交渉の開始同意を決める。7日、科学技術庁に文書で回答
1982/5/4
米マサチューセッツ州のタフツ大学生自治会が、学生投票で全米で初めて学内反核決議。大学内での核兵器研究や核貯蔵、製造禁止-など
1982/5/5
広島の書道グループ「現代詩文書広島研究会」が広島県立美術館で書道展「ヒロシマの心」を開催。書で反核、平和を訴える初の試み。11日まで
1982/5/6
米大陸横断「平和キャラバン」を続ける松原美代子さんらがアイオワ州バーリントンで、ビキニ核実験被曝米兵ジョン・スミザーマンさんと交流。ビキニやネバダで被曝した全米被曝退役軍人協会の悩みを聞く
1982/5/6
米がネバダで地下核実験
1982/5/7
福井県の中川平太夫知事が科学技術庁に、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の建設了承を正式に伝える。動力炉・核燃料開発事業団が敦賀市に建設
1982/5/7
「平和と学問を守る大学人の会」(代表理事、北西允広島大教授)が、国連軍縮特別総会に向け広島の4大学を対象に教授ら374人の反核署名を集める。核廃絶の声明文を添えて鈴木首相と軍縮総会に提出へ
1982/5/8
荒木広島市長が米地下核実験に抗議電報
1982/5/8
スウェーデンの軍縮担当外務次官インガ・トーション女史が広島を訪問。原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1982/5/8
日本原電の敦賀原子力発電所1号機で配管から微量の蒸気漏れ、運転を停止
1982/5/8
原水爆禁止国民平和大行進の第1陣が東京・江東区の第五福竜丸展示館前を広島に向け出発
1982/5/8
自民党調査局がまとめた反核運動批判の内部資料「反核と平和を考える」が明るみに。「反米的色彩を帯びた日本の反核平和運動は、核優位を固定化しようとするソ連の国際戦略に組み込まれている」
1982/5/9
レーガン米大統領が米ソ戦略兵器削減交渉(START)に臨む基本姿勢を公表。米ソ核弾頭の三分の一削減などを柱とする2段階の戦略核抑制構想をソ連に提案。10日、ソ連国営タス通信は「一方的削減を求める受諾不可能な提案」と断定
1982/5/10
核実験の度に原爆慰霊碑前で続けられる抗議の座り込みが200回に。米地下核実験に対し被爆者ら約200人が参加。竹原市や広島県神石郡神石、油木町など3市5町でも初の座り込み
1982/5/10
荒木広島市長が国連軍縮特別総会に出席の意向を固める。国際非政府組織(NGO)演説の日本代表として長崎市と調整へ。17日、平和問題調査会の協議で、両市長が5分ずつ演説で決着
1982/5/10
「核軍縮を進める学者文化人の集い」が東京で開かれ、米ソの均衡ある軍縮を訴えるアピールを採択。民社党と同盟が呼びかけ
1982/5/10
岡山県内の学者、文化人、宗教家ら589人が、核戦争の危機を訴える反核声明。稲垣武岡山大名誉教授らが世話
1982/5/10
建築関係者が「核兵器の廃絶を求める建築人の会」を結成。発起人代表に建築家の海老原一郎氏、西山夘三京大名誉教授ら。核シェルターの無意味さを明らかにするシンポジウム開催など計画
1982/5/11
広島県医師会(杉本純雄会長)と核戦争防止国際医師会議(IPPNW)広島支部が医師会では全国で初めて、核兵器廃絶と全面軍縮を求める署名運動を決定。5月末で10万を超す
1982/5/12
ソ連海軍が同国初の大型原子力空母の建造に着工-。米国防総省筋が明かす
1982/5/12
世界平和アピール7人委員会の新メンバーに、作家で日本ペンクラブ会長の井上靖氏と物理学者で日本学術会議会長の伏見康治氏が決まる。故湯川秀樹氏らの欠員補充。メンバーは茅誠司、大河内一男の両元東大学長、田畑茂二郎京都芸術短大学長、植村環日本YWCA名誉会長の6人
1982/5/12
国際軍縮促進議員連盟の河野洋平事務局長がモスクワに持ち込んだ映画「ヒロシマ原爆の記録」がソ連平和擁護委員会で上映。科学者、学生ら約100人が観賞。原爆映画のソ連上映は初めて
1982/5/13
50カ国の学者らで構成する国際平和研究学会が国連軍縮特別総会に提出する「核軍縮提言」を発表。全面核実験や戦域核ミサイル配備停止のほか、国連と市民運動の連携を強調
1982/5/13
被爆直後の広島に入り、外国人記者として初めて世界に被爆の惨状を伝えたウィルフレッド・バーチェット氏が2年ぶりに広島を訪問。16日、広島県高校生平和ゼミナールと元安川河原で被爆瓦を掘る。「被爆瓦を通してヒロシマをよみがえらせていることに感動を覚える」
1982/5/13
アルゼンチンが1980年代半ばまでに核実験の能力を開発し、今後10年以内に核兵器を保有-。米上院外交委員会が報告書で予測
1982/5/14
「反核のためのジャーナリストと市民の集い」(日本ジャーナリスト会議主催)が東京・山手教会で開かれ、約300人が参加。「核兵器廃絶と軍縮、平和のためにペンを、カメラを、マイクを」と呼び掛けた声明を発表
1982/5/14
社会党主催の「反核・軍縮-非核地帯設置のための東京国際会議」が開会。米ソ英仏など17カ国代表24人を含め150人が参加。非核武装地帯の拡大や核兵器の先制不使用宣言、核兵器の凍結と核実験の全面禁止などを盛り込んだ宣言を採択し、閉幕。16日、海外代表19人と飛鳥田一雄委員長が広島を訪問。被爆者と対話集会
1982/5/14
国連軍縮特別総会のNGO代表演説が79団体代表に決まる。日本の代表に新たに広島大平和科学研究センターが加わり4団体に。ほかは国民運動推進連絡会議と広島平和文化センター、長崎原爆被爆者対策協議会、国際平和問題調査会
1982/5/14
中国の全国青年連合会(団長、劉厚明同連合会副主席)代表7人が広島市を訪問、原爆資料館を見学
1982/5/14
モスクワで開かれた「核の破局から生命を守る宗教者会議」が核兵器不使用を訴えたアピールを採択し、閉幕。11日には特別招待者の黒川万千代さん(日本被団協事務局次長)が被爆体験を話す
1982/5/15
超党派の衆参婦人議員懇談会が鈴木首相に国連軍縮特別総会演説に全面軍縮を盛り込むよう要望
1982/5/15
広島県内の被爆二世の会が「広島県被爆二世団体連絡協議会」を結成。全電通、国労、全逓、部落解放同盟、自治労の5団体が参加。被爆二世の掘り起こしと組織化、二世の医療保障要求などを決める
1982/5/16
AP通信とNBC放送の共同世論調査で、米国民の83%が米ソ両国の核兵器凍結に賛成。全米で高まる核凍結運動を反映
1982/5/16
全国81の宗教団体で作る新日本宗教団体連合会が東京で反核・平和集会。約2万3,000人が参加。3,674万人の署名を国連広報センターに手渡す
1982/5/16
広島を訪問した社会党の飛鳥田一雄委員長が、被爆地広島にストックホルム国際平和研究所と並ぶ「平和研究所」の設立を提唱
1982/5/16
日本被団協が東京で第27回総会を開き、1982年度運動方針を決める。被爆者援護法制定運動とともに、国際的に被爆体験を語り継ぐ運動の推進を前面に出す
1982/5/16
元特設警備隊広島西部第2部隊の慰霊碑が広島市中区広瀬北町の天満川沿い緑地帯に完成し除幕式。中区の護国神社で陸軍船舶通信部隊と合同慰霊祭。いずれも初の慰霊祭で
1982/5/17
山口県内の作家、詩人ら文芸関係者111人が「真の平和-反戦反核の立場を明らかにするための声明」を発表。山口文芸懇話会(太田静一会長)が呼び掛け
1982/5/17
詩人会議(城侑会長)を中心にした反核詩人グループが、鈴木首相と米ソ在日大使館に全面軍縮を求める要請書と347人の署名を渡す
1982/5/17
日韓両国政府の合意に基づき広島、長崎両市で治療を受ける在韓被爆者の第3陣15人が来日。広島入りした10人が18日、広島原爆病院に入院、同市が被爆者健康手帳を交付。他の5人は長崎
1982/5/18
核禁会議が第22回全国代表者会議で1982年度の運動方針を決める。新しい核保有国の出現阻止、被爆者援護法制定の働き掛けなど
1982/5/18
ブレジネフ・ソ連共産党書記長が「戦略兵器削減交渉の開始と同時に、戦略核戦力を即時凍結する用意がある」と提案。レーガン米大統領は、ソ連の削減交渉開始の意欲のみ歓迎する声明を発表。戦略核凍結は「ソ連優位の固定」と拒否
1982/5/19
ワインバーガー米国防長官がソ連・ブレジネフ書記長の核兵器現状凍結案について「凍結より米ソ両国の相互削減が必要」と反論
1982/5/19
国立中国中央民族歌舞団の一行20人が公演のため広島市を訪問、原爆資料館を見学。宝音巴図団長は「日中戦争で多くの犠牲者が出た中国人民と同じく、日本人も戦争の犠牲者」
1982/5/19
大阪の文化、芸術、芸能関係者30人が核兵器廃絶を目指すアピールを発表。人間国宝の文楽の吉田玉男さんや作家の田辺聖子さんら
1982/5/19
レーガン米大統領の末娘で女優のパティ・デービスさんが歌手スティービー・ワンダーさんらと共同声明を発表。核兵器の現状凍結、即時生産停止を訴える
1982/5/20
広島県内の婦人36団体が「反核ひろしま婦人のアピール」を発表。国際婦人年広島県婦人連絡会(林郁子代表)が呼び掛け
1982/5/20
「核兵器廃絶を求める映画監督の会」(山際永三世話人)が監督244人の署名を集め、反核アピール
1982/5/20
季刊誌「ヒロシマ・ナガサキの証言」第2号が刊行。1月に広島、長崎の持ち回り編集でスタート、今回は長崎側の編集
1982/5/20
広島県原水禁が国連軍縮特別総会に森滝市郎県被団協理事長ら31人の代表派遣を決定
1982/5/20
国連軍縮特別総会に提出する全国の反核署名が「国民運動推進連絡会議」の中間集計で総数計2,371万人に。4年前の特別総会で日本の民間代表団が国連に提出した約2,000万人を上回る 1982/5/20
浄土真宗本願寺派安芸教区の全国平和キャラバン隊第1陣の僧3人が平和記念公園の原爆供養塔前をワゴン車で出発。別陣の4人も合流し、21日に京都の西本願寺で被爆写真展と反核署名
1982/5/20
米ソがジュネーブで欧州戦域核削減交渉(INF)を約2カ月ぶりで再開
1982/5/21
広島県出身者が多い開拓地、北海道・広島町の穴田輝行町長が広島市を訪問、広島原爆養護ホームや広島原爆病院に特産アスパラを贈る
1982/5/21
原爆投下の日を人類総ざんげの休日にするよう求め、広島、長崎で被爆したお年寄り6人が東京の首相官邸前で座り込み
1982/5/21
新日本婦人の会広島県本部が被爆手記集「木の葉のように焼かれて」英語版の第2集を発刊
1982/5/21
中道4党と同盟の主催で「核禁・軍縮・平和促進」長崎集会が長崎市平和会館で開会、約600人が参加。核兵器廃絶、全面軍縮を求める長崎アピールを採択
1982/5/22
中国電力の島根原子力発電所1号機が定期点検のため運転を停止。5カ月間、検査や部品交換
1982/5/22
日本原水協の全国代表約150人が政府と各政党に核兵器全面禁止と軍縮の実現などを要請
1982/5/22
法政大学で反核集会が開かれ、「非核大学」宣言を採択
1982/5/22
広島県東部の被爆教師が「福山地区原爆被爆教職員の会」を結成。健康管理調査の要求や平和教育の推進などを決める。県内の被爆教師の組織は5地区目
1982/5/23
5・23東京行動に連帯し、広島市の原爆ドーム横で「平和を語る青年の集い」の30人がダイイン
1982/5/23
「核兵器廃絶と軍縮をすすめる82年平和のための東京行動」が東京・代々木公園など3カ所9会場で開かれ、約40万6,000人(主催者発表)が参加。空前の首都反核集会に。「核兵器廃絶と軍縮を実現するまで思想信条、老若、性別、人種や国の違いを乗り越え、人類共通の大義のため前進しよう」との東京アピールを採択
1982/5/24
米コネティカット州アドボケート紙の女性記者カレン・シンガーさんが広島を訪問、広島原爆病院や原爆資料館で取材
1982/5/24
原爆慰霊碑前の線香立てが平和の池に投げ込まれる。広島中央署が器物損壊の疑いで捜査
1982/5/24
総評の富塚三夫事務局長が、「国連軍縮週間」の10月に全国1,000万人参加の「反核・軍縮草の根集会」を都道府県単位で開催するよう提唱
1982/5/24
10フィート運動広島呼びかけ人会の代表2人が欧米反核の旅に出発。広島市の被爆者沼田鈴子さんと同会の永井秀明事務局長。スイス、西ドイツ、英など欧州6カ国を経て米、カナダを回り、映画「にんげんをかえせ」「予言」を上映、被爆体験を語る
1982/5/25
日本カトリック平和巡礼使節団の一行11人が国連本部にデクエヤル事務総長を訪問。核兵器廃棄を求める全国約50万人署名を集めたことを報告。国連が平和強化を図るよう要望
1982/5/25
米大陸横断の「平和キャラバン」を続けた松原美代子、バーバラ・レイノルズさんがニューヨーク入りし、国連本部前のチャーチセンタービルで被爆展示会
1982/5/25
国連広報局NGO担当課長サリー・シェリー女史が荒木広島市長を訪問。国連軍縮特別総会について「世界平和建設基金の設立などを骨子にした世界軍縮キャンペーンが採択される可能性がある」と語る
1982/5/25
ルーマニアの政治指導者エドアルド・アイゼンブルガー全国評議会副議長が広島を訪問。原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1982/5/26
来日中のジョージ・マクガバン元米民主党大統領候補が広島を訪問。原爆慰霊碑に参拝
1982/5/26
ソ連・ブレジネフ書記長が米ソ戦略兵器削減交渉(START)開始と同時に、並行して全面軍縮交渉を行う用意があると表明
1982/5/26
世界平和アピール7人委員会のメンバーで日本YWCA名誉会長の植村環さんが死去。91歳
1982/5/26
国連非政府組織の「日本国連協会」(小坂善太郎会長)が反核・軍縮推進の提言をまとめる。(1)軍縮情報を収集、公表する国連軍備監視委員会の設置(2)国連軍縮検証機関の設置(3)各国政府、民間拠出による軍縮促進基金の設立-など。国連軍縮特別総会で演説する鈴木首相に28日、反映を要望
1982/5/26
「平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会」(全国革新懇)が第2回拡大世話人会総会で、核戦争阻止へ幅広い結集を訴えるアピールを採択
1982/5/26
広島、長崎両県知事、市長が鈴木首相を訪れ、国連軍縮特別総会での首相演説について「ヒロシマ、ナガサキの声を十分反映し、核兵器の廃絶と軍備縮小を積極的に働きかけてほしい」と要望書
1982/5/27
ストックホルム国際平和研究所が1982年の年次報告。「第1回国連軍縮特別総会以来、軍縮は前進せず、むしろ後退。81年も軍縮に関して前進はなかった」と指摘。一方、「戦後初めて大衆の声が軍縮に影響を及ぼし始めている」と最近の世界的な反核運動を評価
1982/5/27
「第2回国連軍縮特別総会に核兵器完全禁止と軍縮を要請する国民運動推進連絡会議」の代表12人が鈴木首相と懇談。「広島、長崎の被爆の実相を世界に知らせてほしい」と要望
1982/5/27
衆院本会議で、国連軍縮特別総会を前に被爆国の総意を世界に訴える軍縮決議を全会一致で採択。「核軍縮を中心とする世界の軍縮促進は、恒久平和を願い非核三原則を国是として堅持する国民の一致した願望で、諸国民の共通した念願である」
1982/5/27
広島市内で国連軍縮特別総会代表団壮行式が相次ぐ。創価学会広島派遣団が20人、広島県原水協が27人を派遣。31日には県原水禁、県原水協、日本宗教者代表、県生協連、県朝鮮人被爆者協議会などの代表約80人の合同壮行会が広島YMCAで開催
1982/5/27
絵画、彫刻、漫画家らで組織する「表現の自由を守る美術家の会」代表が、鈴木首相に核廃絶を求める要請書と賛同者2,506人の署名を提出
1982/5/27
長崎高校生平和ゼミナ-ルの代表3人が第2回国連軍縮特別総会に出席する本島等長崎市長に原爆瓦を託す(「長崎年表」)
1982/5/27
オランダの日刊紙デ・テレグラフの日本特派員ランベルトウス・ファンビヤー記者が軍縮特集取材で広島を訪問、荒木広島市長にインタビュー。「日本の反核運動は反米闘争では」と繰り返し質問。市長は「人類生存の危機に対する反核の訴え」と主張
1982/5/27
広島市安佐北区の市立高陽中学校の生徒会が、国連軍縮特別総会に参加する「市民の伝書鳩を送る会」代表の中井貴美子さんに平和アピールを託す
1982/5/28
日本原子力産業会議が核兵器廃絶を目指すメッセージをまとめ、国連軍縮特別総会での発表を決める。核保有国が国際監視下で核兵器を解体、取り出した核物質は原子力開発に参加する国の備蓄核燃料に転換するよう具体的に提案。原子力産業団体が反核アピールを出すのは初
1982/5/28
国連軍縮特別総会に参加する日本人代表のうち約300人が、共産党系グループの入国排除を目的にした移民帰化法により米入国ビザ発給を拒否される。ニューヨーク・タイムズ(6月1日付)が伝える
1982/5/28
広島平和教育研究所の設立10周年記念式が広島市の新八丁堀会館で開かれる
1982/5/28
鈴木首相が国連軍縮特別総会出席に先立ち、野党各党首(公明党を除く)と個別会談。首相は国会の軍縮決議を踏まえた努力を表明
1982/5/30
原爆製造の米マンハッタン計画に参画した米物理学者レオ・セレン博士がシカゴ大での反核・平和集会で講演。「私は戦争犯罪人だ。罪滅ぼしのため再び核兵器のためには仕事をしない」
1982/5/30
宮崎県日向市で、旭化成が建設中のウラン濃縮実験プラントに反対する住民集会。約6,000人が参加
1982/5/31
荒木広島市長が国連軍縮特別総会に合わせ国連ロビーで開かれる原爆写真展「現代世界の核の脅威展」開会式に出発。核兵器廃絶に向けた世界の都市連帯を呼び掛ける「ヒロシマ・アピール」を発表。国連にも提出へ
1982/5/31
国連軍縮特別総会に合わせて代表団を派遣する「国民運動推進連絡会議」や日本原水協が、米からビザが発給されない問題で外務省に発給働き掛けを要請
1982/5/31
ラジオドラマ「『きのこ雲』からの歳月」がNHKの早朝農業番組の中で放送開始。「原爆に夫を奪われて」の編者、広島県農協中央会考査役の神田三亀男さんが同書を基に台本。35回連続
1982/5/--
「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)長崎支部が発足。代表に市丸道人長崎大教授
1982/5/--
被爆二世をテーマにした映画「冬のリトルボーイ」のテーマソングが完成。全国応募約50点から選ばれた広島市の会社員飛塚優さんの歌詞を詩人深川宗俊氏が補筆、アマチュアコーラスグループが作曲
1982/5/--
広島県朝鮮人被爆者協議会の李実根会長に、国際非政府組織(NGO)軍縮委員会から招待状。国連軍縮特別総会への参加に関し、北朝鮮国籍では難しい米への出入国手続き支援を約束
1982/5/--
原爆詩人・峠三吉の自筆の未発表作品が見つかる。1947年ごろの評論。文学仲間だった団体役員紺野耕一さん(広島市安佐南区沼田町)が保管
1982/5/--
仏政府当局者が、日本など外国の使用済み核燃料再処理に伴う放射性廃棄物について、中・低レベル廃棄物もすべて当該国に返送する方針を各国に通知。貯蔵限界が理由、1990年から
1982/5/--
広島市安佐南区川内の主婦村橋小町さんの原爆をテーマにした創作絵本「アサガオ1945年8月6日ひろしま」が発刊
1982/5/--
広島映画センターと広島平和教育研究所が「広島平和教育映画ライブラリー上映手引書」を出版。戦争、原爆、平和をテーマにした映画45本を詳細に解説。広島県内の小中高校や全国の平和教育団体に寄贈へ

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