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ヒストリー

ヒロシマの記録1982 6月


1982/6/1
原爆乙女として渡米し、ノーマン・カズンズ氏の精神養子になった広島の被爆者、笹森恵子さんの半生記「恵子ゴーオンshigekogoon」が東京・汐文社から出版
1982/6/1
浄土真宗本願寺派安芸教区が原爆供養塔前で、国連軍縮特別総会に派遣する代表2人の壮行会。光寺重信さん(広島市西区三篠町1丁目、光隆寺)と吉崎哲真さん(広島県佐伯郡湯来町、西法寺)
1982/6/1
国連軍縮特別総会の参加者に対するビザ発給拒否問題で、国連が米政府に発給を要請
1982/6/1
「軍縮と安全保障に関する独立委員会」(パルメ委員会)のパルメ委員長(元スウェーデン首相)が、完全軍縮に向け各国政府の具体的行動を提言した最終報告を国連に提出
1982/6/2
ニューヨークの国連本部前ビルで、創価学会のシンポジウム「核の脅威-われわれは生き残れるか」が開会
1982/6/2
世界初の非核憲法を制定したミクロネシアのベラウ(パラオ)共和国のフェリックス・ヤオ神父が広島を訪問。4日まで滞在、日本の太平洋への核廃棄物投棄を批判。「安全ならなぜ東京湾に捨てないのか。核の被害者が、なぜ核の加害者になろうとしているのか」
1982/6/2
東京の商社が西ドイツから家庭用核シェルターを初輸入。工事費を含め1,500万円前後
1982/6/2
米国務省がビザ発給拒否について初めて理由を表明。「拒否の日本人は世界平和評議会の下部機構である日本原水協に属す。同評議会はソ連共産党と密接な関係にあり、米は移民帰化法に従いビザ発給を拒否」
1982/6/2
広島県議会代表が首相官邸で、鈴木首相にあてた核兵器廃絶・軍縮要望書を宮沢喜一官房長官に渡す。「国連軍縮特別総会に被爆地の声を届けてほしい」
1982/6/2
世界平和アピール7人委員会が国連軍縮特別総会に出席する鈴木首相に、国連の平和維持機能の強化など「平和三原則」の貫徹を要請
1982/6/3
「世界秩序議員連盟」の議員フォーラムが国連本部内で開会。国際軍縮促進議員連盟の坂本三十次会長代理が広島での米ソ首脳核軍縮会談を提唱。4日まで
1982/6/3
ニューヨーク日本協会で「原爆フィルムシリーズ」第1夜が始まり、10フィート運動の原爆映画「にんげんをかえせ」「予言」が初上映
1982/6/3
ニューヨークの国連本部ビルで「現代世界の核の脅威展」(国連広報局主催)が始まる。荒木広島市長、本島等長崎市長らがテープカット。広島の原爆ドーム模型、長崎の浦上天主堂の被爆聖像など資料30点、写真47点、パネル28点を展示
1982/6/3
京大ヘリオトロン核融合研究センターが世界最高の1,500万度の高温プラズマ発生に成功
1982/6/3
資源エネルギー庁の調査で、1981年度に国内の原子力発電所で起きた事故、故障は36件。過去16年間で最高
1982/6/3
衆院本会議で軍縮3条約の批准承認を可決。生物・毒素兵器、特定通常兵器、環境破壊兵器の各禁止条約。4日、参院でも可決
1982/6/4
スウェーデン王立科学アカデミーの機関紙「アムビオ」(4日発行)が「例え限定核戦争でも世界中で7億5,000万人以上が死亡」との論文を掲載
1982/6/4
原爆資料保存会が、広島市の設置する原爆被災説明板の原爆写真20枚を1組にした写真集「ヒロシマの心」を作製
1982/6/4
荒木広島市長が米ケンブリッジ市から名誉市長の称号を贈られる
1982/6/4
米国務省が国連軍縮特別総会ビザ発給拒否問題で「ソ連系グループには原則としてビザ発給しない」との強硬方針を表明
1982/6/5
広島市が元安川河床美化事業で掘り出した被爆瓦の一般公開と希望者への配布を開始。初日に200人が持ち帰る。11日まで
1982/6/5
広島、長崎、埼玉3県の高校生グループ4団体が各地で個別に平和集会を開き、初の統一平和アピールを発表。世界各国の指導者に核兵器廃絶への行動を訴える
1982/6/5
ローマで約20万人が参加し、反核平和の集会とデモ。一部左翼の放火騒ぎなどで50人が逮捕
1982/6/6
第23回原爆後障害研究会が長崎市で開会。長崎大医学部の関根一郎助教授グループが被爆線量と胃がん発生に関する研究発表。「被爆者の胃がん発生率は被爆時の放射線量に比例し、若年層ほど発がん率が高い」
1982/6/6
浄土真宗本願寺派安芸教区の光寺重信、吉崎哲真さんの2人がニューヨーク市の仏教会で原爆映画を上映、被爆体験を語る
1982/6/6
ロンドンで核兵器廃絶集会とデモ。約20万人が参加、非核宣言を採択
1982/6/6
ニューヨークの聖パトリック教会で反核音楽祭「平和のための序曲」、約3,000人が平和の調べを聴く
1982/6/6
米カリフォルニア州パサデナで約13万人が参加し、コンサート形式の反核集会。反戦歌手ジョーン・バエズ、盲目の歌手スティービー・ワンダーさんらが核軍縮を訴え。米大陸横断「平和キャラバン」の松原美代子さんも平和を呼び掛け
1982/6/7
第2回国連軍縮特別総会が開幕。キタニ議長が世界軍縮キャンペーンの開始を宣言、5週間の討議が始まる。軍縮への道筋を示す包括軍縮プログラム作りが目的。世界各国の市民代表団など約4,000人が国連本部周辺に集結、核兵器廃絶や凍結を訴える
1982/6/7
日本原水協が、国連軍縮特別総会に参加する代表団のうち半数の202人が米ビザ未発給で渡米を断念。原水協以外の20人も依然未発給
1982/6/7
創価学会婦人平和委員会が女性らの被爆体験手記集「ヒロシマの心・母の祈り」を発刊
1982/6/7
国連軍縮特別総会に反核の声を届ける日本山妙法寺の世界平和大行進がニューヨークの国連本部に到着。全米4コースを7カ月半かけて歩く
1982/6/7
広島県高校生平和ゼミナールが、米ソなど核保有6カ国大使館に核兵器廃絶を求める反核はがき
1982/6/7
広島弁護士会が反核声明を発表。広島の原爆で弁護士23人が犠牲
1982/6/8
広島、長崎の被爆線量再測定のため「原爆放射線量の再評価研究班」が発足、事務局を広島大原医研に置く。12日、横路謙次郎原医研所長が被爆建物などの残留中性子やガンマ線を2年がかりで測定すると発表。被爆線量見直しは放影研が日米合同で研究中
1982/6/8
全国市長会が広島、長崎両市の平和記念式典に合わせ、全国650市で黙とうすることを決定
1982/6/8
川崎市議会が「核兵器廃絶平和都市宣言」を可決
1982/6/8
カナダ・オタワ市で広島市民が描いた「原爆の絵」展が始まる
1982/6/8
広島県原爆被爆教職員の会の石田明会長ら被爆教師3人がワシントンで全米教職員会と交流。広島県高校生平和ゼミナールから託された被爆瓦を渡す
1982/6/8
国際軍縮促進議員連盟の大石武一会長らがデクエヤル国連事務総長をたずね(1)国連軍縮特別総会での原爆映画上映(2)事務総長の広島、長崎訪問(3)広島での軍縮交渉の実現-を提案
1982/6/8
国連軍縮特別総会に合わせ、国際非政府組織(NGO)の「核兵器禁止と軍縮を目指す国際行動会議」がニューヨークで開会
1982/6/9
中国電力の原子力発電所建設計画で揺れる山口県豊浦郡豊北町の臨時町議会が、国に対し「原発の要対策重要電源指定」解除を求める決議
1982/6/9
鈴木首相が国連軍縮特別総会で演説。唯一の被爆国の立場から(1)核軍縮を最優先した軍縮の実現(2)軍縮余力による世界経済の活性化と開発途上国への援助(3)国連平和維持機能の強化-の「平和三原則」を提唱
1982/6/10
広島の第2原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」(東区牛田新町1丁目)が開所。70人が入所
1982/6/10
在米被爆者を描いた記録映画「SURVIVORS」が国連本部近くのジャパン・ハウスで上映。米国原爆被爆者協会副会長の据石和さんが証言
1982/6/10
国連軍縮特別総会に合わせた反核署名1億400万人分が、日欧など9カ国18団体からデクエヤル国連事務総長に手渡される。日本は約8,000万人分
1982/6/10
日本人音楽家約140人による反核音楽祭「日本の音楽の夕べ」がニューヨーク市のセントポール教会で開かれ、約1,000人が入場
1982/6/10
米大陸横断「平和キャラバン」を続けた広島平和文化センター職員の松原美代子さんが広島に帰る。約2カ月間、全米28都市で平和を訴え
1982/6/10
日本放送作家組合が「反核・平和への訴え」を発表。署名運動を開始へ
1982/6/11
科学技術庁が岡山県に、ウラン濃縮原型プラント建設に関し苫田郡上斎原村、勝田郡勝北町、久米郡久米町での立地調査協力を要請
1982/6/11
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が国連軍縮特別総会にメッセージを送り、「力の論理より理性の力を」と世界に呼び掛け
1982/6/12
国連軍縮特別総会に合わせ、ニューヨークで反核大集会とデモ。国連前から集結地セントラル・パークまで約5キロを日本はじめ世界各国の非政府組織代表団80万人以上(主催者発表)が埋める。集会で森滝市郎、石田明、富永初子の各氏が核廃絶を訴え。ニューヨーク国際連絡事務所は「100万人以上が参加。国連を動かすきっかけを作った」と総括
1982/6/14
西ドイツのシュミット首相が国連軍縮特別総会で演説。欧米で高まる反核、軍縮世論について「軍縮は一夜にして達成できず、不屈の困難な交渉によってのみ実現される」とくぎを刺す
1982/6/14
戦争抵抗者連盟など反戦60団体約2,000人がニューヨークの核保有5カ国の国連代表部前に座り込み、1,691人が逮捕
1982/6/14
山口県労評が中国電力山口支店に対し、豊浦郡豊北町への原子力発電所計画の白紙撤回を申し入れ
1982/6/14
欧州、米、カナダで10フィート運動の原爆映画の上映行脚を続けた被爆者の沼田鈴子さんと同運動広島呼びかけ人会の永井秀明事務局長が広島に帰る。8カ国14都市の23会場で上映
1982/6/15
ソ連のブレジネフ書記長が国連軍縮特別総会に、核兵器の先制不使用を表明したメッセージ
1982/6/15
旭化成が宮崎県日向市に建設中のウラン濃縮実験プラントに反対する地元住民団体が、科学技術庁を相手取り、ウラン使用許可取り消しを求める訴訟を宮崎地裁に起こす
1982/6/15
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール記念碑作りを提唱した広島市の被爆者、藤枝良枝さんが50万円を碑建立委員会(原田東岷委員長)に寄付
1982/6/15
西ドイツ・ケルン市での国際文学者会議に参加するため、原爆詩人の栗原貞子、作家の古浦千穂子、広島大助教授の好村冨士彦さんが広島を出発
1982/6/16
フィッシャー米国務省報道官がソ連提案の核先制不使用宣言について「検証不能」と反対を表明。NATOのルンス事務総長らも「核先制不使用宣言はNATO戦略を危機にさらす」と提案を否定
1982/6/16
日本被団協がハワイ・ホノルル市で米国原爆被爆者協会ハワイ支部と初の交流会
1982/6/16
米ハーバード大の女子学生で日系三世のウェンディ・ハナムラさんが広島を訪問。「原爆がもたらした被爆者への社会的影響」を卒論テーマに広島原爆養護ホームで奉仕活動しながら研究。8月まで滞在
1982/6/17
広島で被爆者救護に奔走したスイス人医師マルセル・ジュノー博士をしのぶ会が福山市の延広教会で開かれる
1982/6/18
英詩人エドモンド・ブランデンの詩「ヒロシマ-1949年8月6日に寄せて」を合唱曲に作曲した英王室付き音楽家マルコム・ウィリアムソン氏が広島を訪問。広島放送児童合唱団の練習を指導。27日、同合唱団が市公会堂で初演奏。7月に英ブリストル市で開かれる第15回音楽教育国際会議で披露
1982/6/18
デクエヤル国連事務総長が国連軍縮特別総会に対し、軍事費削減の一段階として各国が統一基準によって軍事予算を国連に通告するよう求めた報告書を提出
1982/6/18
米核ミサイル実験場のマーシャル諸島クェゼリン環礁で、元島民が島に上陸し、基地撤去を求めて座り込み。「核戦争を招くミサイル基地反対」
1982/6/18
広島県議会で10フィート運動の原爆映画「にんげんをかえせ」の上映会。議員60人や県幹部が観賞
1982/6/18
広島県警と広島中央署が広島市の平和記念公園の不法屋台22台を押収し一掃、露天商3人を逮捕
1982/6/20
ロストウ米軍備管理軍縮局長がNBC放送の会見番組で言明。「ソ連が西欧諸国に通常兵器で攻撃を加えた場合、米は核攻撃で反撃する可能性を残す」
1982/6/21
広島市の広島女学院中学、高校が初めて「平和を祈る週間」を設け、全校で被爆体験を継承
1982/6/21
米核兵器開発のローレンス・リバモア研究所周辺で約5,000人が核兵器廃絶デモ。約1,300人が逮捕
1982/6/22
国連軍縮特別総会でニュージーランド、フィジー、パプアニューギニア3国が南太平洋の非核地帯設置を訴え。日本の太平洋への核廃棄物投棄反対を表明
1982/6/23
広島県労会議の「反核・軍縮・基地撤去・安保条約破棄集会」が広島、呉市など県内12会場で開催 1982/6/23
「反核・日本の音楽家たち」が東京・日比谷公会堂で反核邦楽コンサート。24日はクラシック、25日はポピュラーと連続開演
1982/6/23
広島市安佐北区の高陽中学校の生徒がゲンジボタルを持って広島原爆病院を慰問。25回目
1982/6/23
米下院外交委員会が米ソ核戦力を現状で凍結する決議案を可決
1982/6/23
中国電気通信局が、解体中の旧広島中電話局(中区袋町)の被爆タイル保存と跡地への慰霊碑建立を決める。7月8日、タイル19枚を原爆資料館に寄贈
1982/6/23
仏で6隻目の原子力潜水艦がシェルブール港で進水
1982/6/24
米がネバダで地下核実験
1982/6/24
荒木広島市長と本島等長崎市長が、非政府組織代表として国連軍縮特別総会で演説。荒木市長は「原爆慰霊碑の碑文は全人類の共存と繁栄を願うヒロシマの心」と強調。核実験の即時全面禁止、核兵器の凍結・廃棄を提言。さらに核保有国首脳の広島訪問、広島での軍縮首脳会議の開催、世界の都市連帯を提唱
1982/6/24
第2回国際障害者世界評議会(東京)の海外代表15カ国19人が広島を訪問。原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学し、平和アピール
1982/6/24
原爆を描き続ける洋画家飯野紀雄さん(東京・杉並区)が銀座の画廊で個展「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」を開く。30日まで
1982/6/25
国連軍縮特別総会で広島大平和科学研究センター長の栗野鳳教授が演説。日本の平和研究者が地球的視野で平和問題に取り組む必要性を強調
1982/6/25
広島福祉青年会議の山内秀夫事務局長が原爆資料館に障害者用のエレベーター設置を要望
1982/6/25
渡米中の荒木広島市長が米核実験に対し、米国連軍縮大使に抗議
1982/6/26
総評、社会党など主催の「核廃絶・完全軍縮、岩国基地撤去、安保廃棄全国集会」が岩国市民会館で開会。核兵器廃絶と完全軍縮を目指すアピールを採択
1982/6/26
東京で「被爆者援護法制定・国民法廷を推進する世田谷区民の会」が結成。日本被団協が被爆者を証人にして進めている国民法廷運動を広める試み
1982/6/27
国連軍縮特別総会中の米地下核実験に抗議し、原爆慰霊碑前で被爆者ら約20人が座り込み。在日米大使館に抗議文を送る
1982/6/27
中国の人民解放軍部隊がソ連国境付近で戦術核使用を想定した軍事演習。「寧夏日報」(27、28日付)が報道。西側軍事筋は「中国の戦術核保有が間近」と観測
1982/6/28
山口県豊浦郡豊北町の町議会が山口県、中国電力本社などに原子力発電所の計画撤回を申し入れ
1982/6/28
小樽市議会が「核兵器廃絶平和都市宣言」を可決
1982/6/28
NATO加盟の9カ国13人の退役将軍が国連軍縮特別総会の各国代表に、核兵器の凍結や戦術核の廃棄など核軍縮措置を提案した書簡を送る
1982/6/29
米ソ戦略兵器削減交渉(START)がジュネーブで開始。ソ連代表部で首席代表が会談。30日、第1回全体会議
1982/6/30
高知県高岡郡窪川町の町会で、藤戸進町長が四国電力の原子力発電所建設計画について、全国初の住民投票条例案を提案
1982/6/30
佐世保港での原子力船「むつ」改修工事が約3年7カ月ぶりに完了。青森県大湊市に回航へ
1982/6/30
ニューヨーク反核大集会のまとめ役を担った国際連絡事務所の常設化が決まる。世界規模の反核運動を継続するネットワーク確立へ
1982/6/30
広島市で開かれる原水爆禁止1982年世界大会(8月)に市民を結集するため、広島の学者、文化人6人を世話人に「世界大会呼びかけ人会」が発足。7月5日、広島実行委員会が発足
1982/6/30
原子力委員会が今後10年間の原子力開発の基本方針となる「原子力研究開発利用長期計画」を決定。将来の主流になる高速増殖炉は2010年ごろ実用化を目指す
1982/6/--
ソ連ボルゴグラード市から姉妹都市の広島市に、原爆写真展開催のため写真、資料提供の申し入れ。1983年2月に開催予定
1982/6/--
平和記念公園の原爆慰霊碑に通じる参道の改修工事が23年ぶりに進む。コンクリートを御影石に
1982/6/--
東京在住の広島の被爆者、水田九八二郎さんが、原爆文献1,300冊の解説、一覧をまとめ「原爆を読む-広島・長崎を語りつぐ全ブックリスト」を講談社から発刊へ

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