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ヒストリー

ヒロシマの記録1982 11月


1982/11/1
広島県原水協など5団体代表が広島県に核積載可能な米艦船の県内寄港拒否を申し入れ
1982/11/1
在米被爆者を描いた記録映画「SURVIVORS(生き残り)」の日本語版ビデオ上映会が広島平和文化センターで開かれ、約70人が観賞。日本初公開
1982/11/2
原爆で国民義勇隊の夫を奪われ「原爆未亡人村」といわれた広島市安佐南区佐東町の川内温井地区で、戦後初めて神楽が復活
1982/11/2
広島市の私立安田女子高の文化祭で、平和運動家の故ノエルベーカー卿をしのぶ特別コーナー
1982/11/2
広島木材青年経営者協議会(和泉真会長)が「木の日」(10月8日)記念事業で平和記念公園の国旗掲揚ポールを寄付
1982/11/2
米国防総省前で平和団体「大西洋ライフ・コミュニティー」の約150人が反核デモ、29人逮捕
1982/11/2
米中間選挙に併せて行われた核凍結住民投票で60%が凍結支持。国務省は「凍結は無理」
1982/11/2
米オレゴン州アシュランド市で罰則を伴う非核市条例が成立
1982/11/3
特殊工法で原爆ドーム保存に貢献した広島大名誉教授で呉高専校長の佐藤重夫さんに勲二等瑞宝章
1982/11/4
渡日治療の在韓被爆者14人が広島原爆病院を退院、帰国。第3陣(5月18日入院)10人のうち3人と第4陣(9月3日入院)の11人
1982/11/5
日本被団協が全国の被爆者37万人を対象に初の死没者、遺族実態調査の実施を決める。1985年春までにまとめ、援護法制定に弾み
1982/11/6
丸木位里、俊夫妻の作品「原爆の図」全15部の長崎市内5カ所の巡回パネル展始まる(「長崎年表」)
1982/11/6
原子力工学試験センターの多度津工学試験所が開所。模型を使った原発耐震実験
1982/11/6
被爆者援護法の実現を目指し、広島市内の原水禁団体や学者、文化人、市民ら約100人が「市民の集い」を開く。援護法運動の先細りに歯止め
1982/11/6
米コネティカット州で行われたトライデント型核ミサイル積載潜水艦ジョージアの進水式に、約500人が抗議デモ。19人逮捕
1982/11/7
米太平洋艦隊のロバート・ロング司令官が「ソ連は中距離核ミサイルSS20を極東に第3次配備」-。米紙ニューヨーク・タイムズが報じる
1982/11/8
オーストラリア労働党のヘンリー・ジェンキンス上下両院議員総会議長とジョン・コータス連邦上院議員が広島を訪問、荒木市長を表敬訪問
1982/11/9
中国電力の島根原子力発電所2号機の増設で、資源エネルギー庁が原子力安全委員会に諮問
1982/11/10
東ドイツのライプチヒ放送合唱団の団員約100人が広島を訪問。原爆慰霊碑前で鎮魂歌を熱唱
1982/11/10
国立カナダ美術館で6月に展示された「原爆の絵」の1枚が、広島平和文化センターに里帰り。5万人が入館と報告
1982/11/10
9月末にワールド・フレンドシップ・センター新館長に就任した米カリフォルニア州出身のジョー・ジェニングスさんが荒木広島市長を訪問
1982/11/10
佐賀県藤津郡嬉野町で開かれた全国都道府県議会議長会の総会で10フィート運動の原爆映画「にんげんをかえせ」を上映。約250人が観賞
1982/11/10
ソ連のブレジネフ書記長が死去。75歳。18年間の長期政権。12日、後継にアンドロポフ氏
1982/11/11
荒木広島市長に国際ハマーショルド賞授与式。在ベルギー日本大使が代理受賞
1982/11/11
米、仏、インドネシアの政治漫画家やジャーナリスト3人が荒木広島市長を訪問。米「タイムズ」専属漫画家ラナン・ルリーさん、仏「レクスプレス」論説委員ルイス・ミテルブルグさん、インドネシアの政治漫画家ブラモナ・ブラモノエジェさん
1982/11/11
「東南アジア青年の船」一行33人が広島を訪問、原爆資料館を見学
1982/11/12
被爆者問題で事実誤認の記事を掲載した「週刊明星」が、全面書き換え記事を11月25日号に掲載。被爆者健康手帳制度や原爆小頭症について再取材
1982/11/12
米原子力規制委員会が、完成間近いオハイオ州ジマー原子力発電所について「4,200件の欠陥が明らかになった」として建設中止と第三者調査を命令
1982/11/12
「原爆投下日を国民の休日に」と訴え、「広島、長崎被爆者の会」の5人が首相官邸前で座り込み
1982/11/12
米がネバダで地下核実験
1982/11/13
荒木広島市長が米地下核実験に抗議電報。原爆慰霊碑前など広島県内26カ所で被爆者らが座り込み
1982/11/14
米テニアン基地で原爆投下機を見送ったミシガン州の元従軍牧師ジョージ・ザベルカさんが、7カ月かけて米大陸を横断。ざんげの気持ちで核廃絶を訴え
1982/11/14
島根県で66人の医師、歯科医が賛同し「核戦争防止県医師の会」を結成。会長に米田正治医師(松江市)を選ぶ。IPPNW支部は全国9番目
1982/11/16
世界ユネスコ協会クラブ事務局長のピオール・ルシュールさんが18年ぶり広島へ。荒木市長を表敬訪問
1982/11/17
山口県熊毛郡上関町で原子力発電所の建設に反対する漁民約170人が漁船36隻で海上デモ
1982/11/17
原爆記録映画を携えてタイを訪問(12日から5日間)した福山市鞆町の安国寺の藤井禅郁住職ら25人が帰国。同国で初めて「にんげんをかえせ」「予言」「ヒロシマ原爆の記録」を上映
1982/11/18
灘神戸生協が組合員の被爆体験などをつづった「今、語り継ごう平和への願い」を発行
1982/11/18
四国電力の伊方原子力発電所3号機の増設計画に伴う通産省主催の第1次公開ヒアリングが愛媛県西宇和郡伊方町で開会。24人が意見陳述。会場周辺で反対住民ら約2,500人がデモ、厳重警戒
1982/11/19
広島市で開かれた「軍縮教育国際シンポジウム」総括集会が同市で開かれ、平和教材の普及や交流を申し合わせ
1982/11/19
民間の米国防情報センターが、核保有諸国に2年間の核実験停止を提案するよう米政府に提唱
1982/11/19
米陸軍が、戦域核パーシング2の発射実験に成功と発表。ソ連の中距離核ミサイルSS20に対抗し開発。7月以来、3度実験に失敗
1982/11/19
広島市の名誉市民で米平和運動家のバーバラ・レイノルズさんが2年ぶり広島を訪問
1982/11/20
オーストラリアの自転車世界反核キャンペーン隊5人が、広島を訪問。元医師のクリストファー・ウィリアムズさんら。3月から同国縦断の旅の後、来日
1982/11/20
米エネルギー省の諮問会議が水爆弾頭の備蓄強化のため新原子炉の建設を提言していた-。米紙ワシントン・ポストが報道
1982/11/20
「広島県高教組原爆被爆二世教職員の会」の初会合が広島市で開かれ、健康実態調査など決める 1982/11/21
広島電機大付属高3年の古屋尚登さんが文化祭で、広島原爆病院に入院中の韓国人被爆者の声をまとめて発表し、救済を訴え
1982/11/21
非核宣言の町、広島県安芸郡府中町の住民80人が「平和の集い」を結成
1982/11/22
中国初の原子力発電所が1983年初めに着工-。中国の新華社が発表
1982/11/22
レーガン米大統領がソ連に書簡で偶発核戦争防止交渉を提案。(1)戦略ミサイル、潜水艦発射ミサイル、中距離ミサイル実験の事前通告(2)戦略兵力に関する情報交換の拡大(3)米ソ間ホットライン拡充強化
1982/11/22
コルニエンコ・ソ連第一外務次官が「対米改善を重視し、ソ連が戦略兵器を25%削減する用意がある」と米誌ニューズ・ウィークに寄稿
1982/11/22
レーガン米大統領が次期戦略ミサイルMX100基の密集配備を発表。同時にソ連に偶発核戦争の防止交渉を呼び掛ける書簡を送付
1982/11/22
「原爆放射線量の再評価研究班」(代表、横路謙次郎広島大原医研所長)が、広島城の石垣など広島市内3カ所で残留放射線量の再測定調査を開始
1982/11/22
政府が国連の核不使用決議案に棄権の方針を決める。ソ連のアフガニスタン軍事介入後、2年間続けてきた「反対」の姿勢を転換
1982/11/23
国連総会第1委員会が核兵器凍結をめぐる決議案2件を採択。日本は反対、棄権で消極態度
1982/11/24
広島県原水協、同県平和委員会など6団体が、岩国基地の核化反対で荒木広島市長に申し入れ
1982/11/25
広島を訪問中の西ドイツ日刊紙フランクフルト・ルンチャルのロンドン特派員ピーター・ノンネンマッハさんが、被爆者や広島の反核、平和運動を取材
1982/11/25
広島県安芸郡府中町の府中教会「こばと幼稚園」の宗藤尚三園長が平和教育実践例「子どもの心に平和のとりでを」を汐文社から出版
1982/11/25
広島大平和科学研究センターの栗野鳳センター長らが提唱し、開発途上国に平和教材を送る「南北ネットワーク運動」がスタート。10月の軍縮教育国際シンポジウムでの要望を具体化
1982/11/25
原子力安全委員会が原子力発電所2次ヒアリングの方法について、地元住民の生の声を聞く従来の方式を廃止し、文書での意見提出を認める。1983年の新潟県・東京電力柏崎・刈羽原発2、5号機から実施へ
1982/11/26
原水禁国民会議が、原子力発電所建設の公開ヒアリングを文書形式に変更することに、抗議声明
1982/11/26
広島、長崎の原爆資料の国連常設展示が決まる。国連総会第1委員会の「世界軍縮キャンペーン」行動計画を認める決議で具体化
1982/11/26
英の「核軍縮運動」(CND)が定期大会で、巡航ミサイルの配備阻止を討議。非暴力行動の展開を決める
1982/11/27
カメラマン森下一徹さん(東京都在住)の反核写真展が広島平和記念館で始まる。6月に国連本部周辺で行われた反核国際共同行動を記録。12月3日まで
1982/11/29
旧三菱製鋼所跡地に移転建設中の日赤長崎原爆病院の落成式(「長崎年表」)
1982/11/30
被爆二世4団体が二世の健康診断について、広島県と市に検査項目追加など11項目を申し入れ。県被爆二世団体連絡協議会、ヒロシマ被爆二世の会、朝鮮人被爆者二世の会、公明党県本部青年局ヒロシマ二世協議会
1982/11/30
中国電力島根原子力発電所の周辺海域の海底土からセシウム137が検出。島根県衛生公害研究所が明かす。海底土からは初検出。県は「核実験によるもので微量。人体影響はなし」
1982/11/--
広島テレビが開局20周年を記念し「沈黙の川~37年目のヒロシマ」を製作。1951年に出版された「原爆の子」に手記を寄せた子供の37年を追う。7日放送
1982/11/--
日本放送出版協会が「きみはヒロシマを見たか」を発刊。原爆資料館の被爆少年少女の遺品から原爆の惨状に迫る
1982/11/--
カナダ原爆被爆者協会(キヌコ・ラスキー会長ら15人)が、1983年春に予定される第4回在米被爆者検診の際、同国でも検診するよう厚生省に要請
1982/11/--
3年前の第1回アキバ・プロジェクトで広島原爆をリポートした米招請記者ロドニー・バーカーさんから、「衛星中継で8・6を地球行動日に」と提唱した手紙が広島国際文化財団に届く
1982/11/--
関東大震災と原爆被爆の両惨事に遭った元広島大教授の新井嘉之作さん(広島市南区)が自叙伝「震災・原爆の業火を超えて-私の人生」(文献出版)を出版
1982/11/--
米メリーランド州立大学のマッケルディン図書館で見つかった原爆詩人栗原貞子さんの反戦詩歌集「黒い卵」のゲラ刷りコピーが、発刊から36年ぶりに手元に戻る。詩人の堀場清子さん(神奈川県逗子市)が2月に見つける。ゲラには出版時に未収録の詩歌12編も載り、占領軍プレスコードの関係で赤筆
1982/11/--
1982年3月に広島流川教会を退職した牧師谷本清さんが9月のアラスカを振り出しに7度目の米平和行脚を続ける
1982/11/--
札幌に被爆者会館を建設する市民運動が始まる。発起人は北海道原爆被害者団体協議会(高橋利一郎会長)を中心に80人。1個500円でレンガ40万個を市民が買い、資金2億円を調達。1983年8月6日着工を目指す
1982/11/--
田中角栄元首相の地元、新潟県刈羽郡西山町で、東京電力柏崎・刈羽原子力発電所の建設に関連して国からの交付金の一部で「角栄記念館」建設構想

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