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ヒストリー

ヒロシマの記録1981 2月


1981/2/3
広島原爆病院で1980年11月から治療を受けていた在韓被爆者10人のうち3人が帰国
1981/2/3
ワインバーガー米国防長官が、ソ連の西欧侵略を阻止するため、カーター前政権が凍結していた中性子爆弾の生産と欧州配備を発表
1981/2/4
動力炉・核燃料開発事業団の東海再処理工場で、プルトニウム硝酸溶液の濃縮工程でミス
1981/2/4
ソ連のタス通信が米中性子爆弾の欧州配備で「緊張に拍車」と警告。英有力各紙も批判
1981/2/4
岩国基地の核持ち込み疑惑で伊東正義外相が「日米は相互の信頼関係で成り立っている」と述べ、今回の件で政府は調査しないとの方針を示す
1981/2/5
米エネルギー省が「ネバダで地下核実験を実施」と発表
1981/2/6
動力炉・核燃料開発事業団の核燃料再処理工場が相次ぐ事故で再処理を中止
1981/2/6
広島平和美術協会(柿手春三代表)が広島市に広島平和美術館の建設を陳情
1981/2/6
原水禁国民会議、総評、社会党などが被爆者援護法制定要求の中央行動。約600人が参加。「7人委答申を乗り越え、国家補償に基づく援護法制定を強く要求」の決議を採択
1981/2/6
米国務省が中性子爆弾の欧州配備で各国との事前協議を約束
1981/2/6
東京・夢の島に展示されている第五福竜丸の傷みが激しく危険に。第五福竜丸平和協会が専門家に依頼し、船体調査を開始
1981/2/7
荒木広島市長が5日の米核実験に抗議電報
1981/2/7
日本被団協が全国活動者会議で被爆者援護法制定を訴える「国民法廷」運動の展開、2,000万人署名の達成などを決める
1981/2/7
衆院予算委で園田直厚相が「原爆医療法」「被爆者特別措置法」一本化の検討を示唆
1981/2/8
宗教団体大本教が中心になった「人類愛善会」が広島で「アジア代表者会議」。インドなど4カ国21人の外国代表を含め約80人が出席
1981/2/8
被爆者らが米核実験に抗議の座り込み(「広島県原水禁資料」)
1981/2/9
中国新華社通信が「四川省成都で中国が初の国産原子炉の運転に成功」と発表
1981/2/9
スペインで初の原爆展。同国の全国貯蓄連合協会の主催でカナリア諸島のサンタクルス、ラス・パルマスの2カ所で開く。3月11日まで。原爆資料保存会長で広島日西協会長の横田工氏が尽力
1981/2/9
和歌山県原水協の原爆写真展について、和歌山市(宇治田省三市長)が「原水爆運動が一本化されておらず、1団体だけに貸せない」と会場提供を拒否
1981/2/9
島根県議会原発対策特別委員会が島根原発建設促進の請願を警官隊を導入し採決。島根原発公害対策会議の福田真理夫議長ら2人が建造物侵入の疑いで逮捕
1981/2/13
広島県高校生平和ゼミナール実行委が平和記念公園周辺の元安川河床美化事業で、広島市に「被爆瓦の保存に配慮を」と申し入れ
1981/2/13
仏のペイル・フィット法相が広島市を訪れ原爆慰霊碑に参拝
1981/2/15
広島市で若者らが「戦争体験を聞くつどい」。中国戦線で残虐行為を犯した元日本兵の話などを聞く。「平和を語る青年のつどい」と中国帰還者連絡会(小山一郎会長)が主催
1981/2/16
エジプトが仏、米から発電用原子炉を購入するための準備措置として核拡散防止条約を批准
1981/2/18
「きのこ会」が主催し広島市で原爆小頭症児の35歳を祝う誕生会。5年に1度開き4回目
1981/2/22
共産党系の中国、四国各県の原水協、平和委員会、安保破棄実行委員会などが、岩国市で「米軍岩国基地の核装備に反対する2・22基地調査と抗議集会」
1981/2/23
外務省が広島県知事に岩国基地の核疑惑で「米側と核について事前協議をしていない以上、政府としては持ち込まれていないと信じる」と回答
1981/2/23
在米被爆者の実態を描く記録映画「生き残り」の広島協力委員会(今石益之広島女学院大学長ら)が発足。製作はスティーブン・オカザキ監督。米国原爆被爆者協会(倉本寛司会長)、日系市民協会などが協力
1981/2/23
日本カトリック司教協議会の招きでローマ法王ヨハネ・パウロ二世が来日
1981/2/23
焼け跡のヒロシマを訪れたカトリック「聖母の騎士」のゼノ・ゼブロフスキー修道士がローマ法王と接見。東京・清瀬市の病院で89歳の余生送る
1981/2/24
島根原発2号機建設計画に島根県原発調査委が同意し、恒松制治知事に答申
1981/2/25
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が広島入り。原爆慰霊碑に参拝、約2万5,000人の信者らが見守る中、平和アピールを日本語をはじめ9カ国語で発表。原爆資料館を見学、市公会堂で「技術・社会そして平和」と題し講演。6時間の滞在の後、長崎へ
1981/2/25
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死そのものです。この広島の地、この平和記念公園で、人は特に強くそのことを感じます。…過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことである。…広島を考えることは、核戦争を拒否し、平和に対して責任をとることだ。広島市民の苦しみを思い返すことは、人間への信頼の回復、廃虚を新たな出発点に転換する人間の決意を信じることにつながる…」。特別講演「…技術に対する倫理の優位、事物に対する人間の優位、物質に対する精神の優位を信じなければならない。科学が良心と同盟を結べば、人間の大義にかなう。科学に携わる人は『人間は世界を超越し、神は人間を超越するという意識』を持ち続ければ、人間性に対して真に貢献する」。資料館記帳(ラテン語)「主のお告げ。それはわざわいでなく、平和の企てであって、あなたたちの希望に満ちた未来を整えるものである」
1981/2/25
ヒロシマ・アウシュビッツ委員会(桑原英昭会長)が守るアウシュビッツの遺骨をローマ法王が祝福
1981/2/25
広島原爆投下機エノラ・ゲイの機長ポール・チベッツ氏が仏のテレビで「私は戦争を早く終わらせることを許された者で、(原爆投下を)後悔していない。本土決戦となっていたら米兵だけでなく、日本人にも多くの犠牲者が出たはずだ。広島と長崎の結果が米軍の日本上陸を不必要にした。歴史はこのことを証明すると思う」「ローマ法王の平和を求める人道主義に敬意を表する。法王が廃絶を呼びかけた1981年の核兵器は、自分が投下した原爆よりもはるかに殺害能力を持つ。もし今度戦争が起きたら、勝者はだれもおらず敗者だけになる」
1981/2/25
日本原水協が政府に「国連で核軍縮決議になぜ反対するのか」と公開質問状。外務省は「核兵器と通常兵器のバランスの上に安全保障が成り立っている。核軍縮だけを優先すれば軍事バランスが崩れる」と回答
1981/2/26
25日に長崎入りしたローマ法王ヨハネ・パウロ二世が原爆ホームなどを訪問し、被爆老人を励ます(「長崎年表」)
1981/2/--
広島県宗教連盟(森安忠理事長)が、広島を訪れるローマ法王ヨハネ・パウロ二世に「原爆慰霊碑だけでなく原爆供養塔も参拝してほしい」と要望。政教分離の立場から広島市は困惑。後日、法王代行としてアゴスティーノ・カザローリ枢機卿が参拝へ
1981/2/--
米ユタ州で地下1メートルに厚さ20センチの強化コンクリートで包まれた地下マンションの建設始まる。266室。放射能除去装置など備え4年間は生存可能
1981/2/--
漫画を通じて平和教育を-。広島県安芸郡海田中学の吉野誠教諭が、生徒に父母の戦争体験を漫画で表現するよう指導、平和教材として活用
1981/2/--
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世へのプレゼントとして広島市が原爆慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」の原寸大レプリカと碑文の作者故雑賀忠義広島大教授の英訳文のろうけつ染めを用意。レプリカ製作者は岩国短大の鈴木正道教授
1981/2/--
NHK広島放送局が1980年に制作した原爆ドラマ「夏の光に…」がモンテカルロ国際テレビ祭でグランプリのゴールデン・ニンフ賞。原爆白内障がもとで交通事故死した被爆女性がモデル
1981/2/--
ニューヨークのオフブロードウェーで核時代の不安を描いた「行きくれた子供たち」が人気
1981/2/--
米ピッツバーグ大のアーネスト・スターングラス教授(放射線物理学)が、「スリーマイル島原子力発電所事故でまき散らされた放射能のため、ペンシルベニア州、ニューヨーク州北部などで新生児の死亡が40~50%増加」と発表

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