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ヒストリー

ヒロシマの記録1981 9月


1981/9/1
宇部市厚東区吉見持世寺地区の共同墓地に被爆朝鮮人の遺骨2体が放置。山口県被団協の調べで分かる(9・2)
1981/9/3
グアム島で開かれている第3回太平洋地域首脳会議が、日本が計画している低レベル放射性廃棄物の海洋投棄に反対決議
1981/9/3
カナダのアルバータ州バンフで開かれていた第31回パグウォッシュ会議が、軍縮交渉の即時再開などを呼びかけるコミュニケを採択して閉会。豊田利幸名古屋大教授、伏見康治日本学術会議議長らが参加
1981/9/4
第5回日米海洋会議に参加したサム・ナン米上院議員(民主党、軍事委員会)が広島市を訪れ、原爆資料館を見学。夫人や子どもたちを同行
1981/9/4
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1981/9/5
台湾立法院の有力議員が「台湾は南アフリカ、イスラエルと核兵器開発で協力」と言明
1981/9/5
荒木広島市長が4日の米核実験抗議電報
1981/9/6
広島市上柳町(現橋本町)の住民25人が被爆から36年ぶりに再会
1981/9/6
中国地方で初の「国民法廷」が山口市で上演。山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑と山口県被団協が主催。シナリオは山口大経済学部の安部一成教授。原爆小頭症の畠中百合子さん、父親の国三さん、原爆の絵を描き続ける殿敷侃さんらが証人で出廷
1981/9/7
ソ連のブレジネフ書記長が中性子爆弾生産の用意があることを示唆。タス通信が報道
1981/9/7
公明党の竹入義勝委員長が第38回中央委で「自衛隊合憲論」に踏み切る方針を表明
1981/9/7
4日の米地下核実験に抗議し広島県内の8市2町17カ所で座り込み
1981/9/8
平和運動に尽くした日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士が心不全のため死去。74歳。京大名誉教授小川琢治理学博士の三男として東京で生まれ、京大を卒業後、湯川スミ夫人と結婚、湯川姓に。中間子理論でノーベル物理学賞。世界平和アピール7人委メンバー、世界連邦世界協会会長などとして平和活動にも精力的に貢献
1981/9/9
「10フィート運動」広島呼びかけ人会(代表、相原和光広島YMCA総主事)が原爆記録映画の海外向け製作を決め、新たな募金運動へ
1981/9/10
共産党が「沖縄県名護市にある在日米軍辺野古弾薬庫の第1001号建物に核弾薬小隊が常駐」と発表
1981/9/12
米田栄作さんの詩「川よとはに美しく」を三枝成章さんが作曲、男声合唱組曲としてNHK・FMが放送。広島メンネルコール合唱。NHK広島放送局が企画
1981/9/13
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。スウェーデンのウプサラ大地震研究所が発表
1981/9/14
荒木広島市長が13日のソ連核実験に抗議電報。15日、被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前などで座り込み
1981/9/16
被爆米兵捕虜をテーマにした著作のため米作家のレン・ジャンセンさんが広島市で取材に入る
1981/9/16
米カリフォルニア州のディアブロ・キャニオン原発で反対市民ら約2,000人が抗議の座り込み。300人が逮捕。逮捕者は18日までに約1,000人に
1981/9/16
「北朝鮮在住の原爆被爆者は数人」-。社会党の朝鮮問題対策特別委員会(大原亨団長)に北朝鮮当局者が語る。訪朝団が帰国し報告
1981/9/17
佐世保市議会が「むつ」改修期限延長問題で、桟熊獅市長の延長受け入れ諮問案を賛成多数で可決
1981/9/17
原子力委員会が東海村核燃料再処理工場の運転期限で「3年2カ月の期限付き米提案」受け入れ
1981/9/17
通産省・資源エネルギー庁が、原電敦賀原発の濃縮廃液貯蔵タンク事故はタンク内の張り材に欠陥-と報告。同じタンクを使っている中電島根1号機なども併せ改修を指示
1981/9/18
東京・新宿の若者の劇団「世代」が、朝鮮人被爆者らの被爆二世の苦悩を描く「ひろしまの冬」を東京で上演。広島市出身の被爆者、伊藤勝昭さんが演出
1981/9/19
愛媛県伊方町の臨時町会が、四国電力の伊方原発3号機の増設受け入れを可決
1981/9/20
「黒い雨」地域の残留放射能調査など原爆放射線研究に打ち込んだ広島大原医研の竹下健児教授が多発性骨髄腫のため死去。55歳。旧制第五高等学校(熊本)時代に長崎市に学徒動員され被爆、戦後は九州大、広島大で物理学から被爆の実相追求
1981/9/20
関西電力の原発候補地、和歌山県那智勝浦町の町長選で原発反対の生駒倫造氏が当選
1981/9/21
米ボストン沖に、1945年ごろから大量の核廃棄物が捨てられていたことがわかり、米下院海運漁業委が現地で公聴会
1981/9/24
仏核実験でムルロア環礁の海底に亀裂が生じ、海水汚染。オーストラリア政府が緊急調査へ。同国野党リーダー「亀裂は幅30~60センチ、長さ800メートル」
1981/9/25
放射線影響研究所の第5回地元連絡協議会で重松逸造理事長が「放影研移転は具体化へ動きが出てきた」と報告
1981/9/25
広島市の加登田悟さんが肝機能障害の原爆症認定却下で厚生省へ異議申し立て
1981/9/25
国際軍縮促進議員連盟が国連軍縮週間中(10月24~30日)に国会内で原爆写真展を開くことを決定
1981/9/26
ソ連がカスピ海北東部で連続2回の地下核実験。スウェーデンのウプサラ大地震研究所が発表
1981/9/26
「8月6日、9日を国民休日に」と首相直訴を続けた広島市の広本フサさんが死去。95歳
1981/9/27
荒木広島市長が26日のソ連核実験に抗議電報
1981/9/27
広島市原水協(共産党系)が「軍拡に歯止めを」と広島市の原爆慰霊碑前で抗議の座り込み
1981/9/29
ワインバーガー米国防長官が、ソ連の戦域核ミサイルSS20が75基中国、日本を標的に配備と公表
1981/9/29
ソ連の26日の核実験に抗議し、被爆者らが広島県内17カ所と東京、山口など県外7カ所で座り込み
1981/9/29
ワルトハイム国連事務総長が「イスラエルの核軍備」を国連総会に報告。「既に原爆20個分の核物質を取得し、10年前に核兵器保有国の域に達した兆候がある」
1981/9/29
栗原貞子さんの原爆詩「生ましめん哉」のモデル、広島市の平野美貴子さんが死去。72歳。その時生まれた娘の和子さんに9カ月前に一児。「母はあの混乱の中、よく私を生んでくれたし、育ててくれました。奇跡のようです。母の愛に負けないようにこの子を育てます」
1981/9/30
1954年3月1日のビキニ水爆実験は「死の灰が住民のいる島に向かうことを承知の上で強行」と、実験参加の元米空軍気象観測隊員2人が告発。米軍は「風向きが突然変化したため、住民を被曝させた」としていた
1981/9/--
使用済み核燃料の再処理問題で米が(1)東海村再処理工場は1984年末まで年間210トンの処理を認める(2)第2再処理工場建設に制約を加えないが、着工後は米が関与できる-などを提案。日本側要望の運転期限撤廃は認めず(9・13)
1981/9/--
愛媛県伊方町が、四国電力伊方原発3号機の受け入れを条件に、町民に毎月5,000円、10年間の協力手当支給を提案

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