×

ヒストリー

ヒロシマの記録1980 1月


1980/1/5
米国務省が「ソ連が3日、欧州中距離核ミサイル削減交渉の拒否を通告」と表明
1980/1/7
厚生省が実施予定の被爆二世の健康診断は医療・生活面の保障に結びつかない-。関東被爆二世連絡協議会の森川聖詩委員長が、厚生省前でハンスト
1980/1/8
米タフツ大の秋葉忠利准教授が広島市を訪れ、広島国際文化財団が広島・長崎へ招請した米人記者の帰国リポートの反響を報告。1980年も3人招請を明らかに
1980/1/9
米ワシントン州リッチランドにあるハンフォード核再処理工場で、プルトニウムを入れた小型金属容器が発火。作業員8人が被曝
1980/1/9
広島への原爆投下をつづった「エノラ・ゲイ」の著者ゴードン・トーマス氏が広島市を訪問
1980/1/10
広島市が1979年の被爆者検診の受診者数を発表。前年より5,000人減
1980/1/10
広島市翠町中学校の生徒が3年前から進めていた第3国民学校の被爆実態調査の中間集約冊子「空白の学籍簿」が完成。11日校庭の慰霊塔に奉納。同校で見つかった第3国民学校戦災死児童学籍簿の空白を遺族や被爆者への面接調査を通じて埋め、被爆状況をまとめる
1980/1/15
使用済み核燃料の国内再処理と濃縮ウラン生産を確保する日本の核燃料政策が国際核燃料サイクル評価の多国間協議の場で認められる
1980/1/15
米上院のハットフィールド議員(共和党)のトーマス・ゲットマン秘書長が原爆資料館を見学。広島青年会議所がシアトルで予定している被爆資料展をワシントンでも開くよう提案
1980/1/16
ボー・リンデル国際放射線防護委員会委員長らスウェーデンの科学者11人が広島市を訪問。原爆資料館や放射線影響研究所を見学
1980/1/17
日本原子力研究所大洗研究所が「材料試験炉の付属設備で約1トンの冷却水が漏れた」と発表
1980/1/17
関西電力高浜原子力発電所3、4号機の増設に伴う原子力委員会の公開ヒアリングが始まる。増設のヒアリングは初めて
1980/1/20
浦上天主堂に原爆資料館が完成(「長崎年表」)
1980/1/23
広島県原水禁(社会党・総評系)が1980年の統一世界大会を広島で開かず、東京で一本化して開催の方針決める
1980/1/23
資源エネルギー庁が、関西電力大飯原子力発電所1号機のタービン羽根止め板にひび割れが見つかったと発表
1980/1/23
資源エネルギー庁が原子力発電所従業員の被曝線量の安全基準を10倍に緩めていたことが判明。福島第1原発、日本原電敦賀発電所の炉内作業に適用。中国電力は3倍に。社会党の吉田正雄参院議員の質問書に対する政府答弁書で明るみに。反原発団体が反発
1980/1/24
爆心地から400メートルの旧広島電信局の被爆当日の電信日誌見つかる。「午前8時17分(警戒警報解除後)西方上空ニ当リ白光現出スルヤ瞬時ニシテ一大爆発音響起リ…一瞬ニシテ修羅場ヲ現出ス」
1980/1/24
英国防相が核ミサイル開発計画「チェンバレン」を発表。潜水艦発射ポラリス・ミサイルの誘導システム改良が中心
1980/1/25
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑が被爆体験集「語り~山口のヒロシマ1」を発行
1980/1/26
広島県原水禁の宮崎安男事務局長らが中国電力に、脱石油を理由にした原子力発電推進で抗議
1980/1/26
京都大漁業災害研究グループが関西電力高浜原子力発電所1~2号機の温排水放水口付近の海底泥から前年比6倍のコバルト60を検出
1980/1/28
放射能汚染環境調査グループ(代表、水口憲哉東京水産大助教授)が東京電力福島第1原子力発電所の放水口800メートル先の貝類からコバルト60を検出
1980/1/28
資源エネルギー庁が「関西電力大飯原子力発電所1号機の燃料集合体に放射能漏れ」と福井県に連絡
1980/1/28
高知市での日教組教研集会で初めて原発問題が取り上げられ、反原発実践リポート相次ぐ
1980/1/29
広島県原水協(共産党系)が、広島県原水禁(社会党・総評系)が提案した統一世界大会の東京開催を批判、広島開催を呼びかける声明
1980/1/29
アルジェリア・エルムジャヒド紙のモハメッド・ベンシク記者が広島市を取材。「わが国ではヒロシマは伝説化している。子供たちのなかにはヒロシマを原子爆弾の名前だと信じている者もいる」
1980/1/30
山田典吾監督らが東京で、映画「はだしのゲン・第3部~ヒロシマのたたかい」製作発表会。ゲン役の原田満さん、姉の栄子役にオーディションで選ばれた広島市の岡田美穂さんも出席
1980/1/30
米紙ワシントン・ポストが「南アフリカは1979年9月、喜望峰沖でロケットを使った大気圏内核実験を行った可能性がある」と報道
1980/1/31
韓国原爆被害者協会の郭貴勲副会長が野呂恭一厚相に韓国人被爆者のための病院建設を要望
1980/1/--
被爆直後の広島に駐留し、残留放射能でがんになったと訴えている元米兵ハリ-・コポラさんを救おう-。東京大助手の安斎育郎氏らがカンパ呼びかけ
1980/1/--
広島、長崎両市が1979年に出版した「広島・長崎の原爆災害」の映画化計画進む。35ミリのカラーで27分に編集。今堀誠二広島女子大学長、飯島宗一名古屋大教授らでシナリオ委員会設置
1980/1/--
広島県が、現存する数少ない被爆建物である広島市出汐町の旧陸軍被服支廠の保存検討へ
1980/1/--
広島平和教育研究所と広島県原爆被爆教職員の会が、広島に修学旅行に訪れる児童、生徒らに配る小冊子「ヒロシマへの旅~平和学習のしおり」を作る

年別アーカイブ