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ヒストリー

ヒロシマの記録1980 5月


1980/5/1
米エネルギー省が「ネバダで20キロトン以下の地下核実験」と発表
1980/5/3
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報を駐日米大使に打つ。5日、被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前など各地で座り込み
1980/5/6
元広島市長の渡辺忠雄氏が死去。81歳。1955年から1期務める
1980/5/6
日本原水協が全国理事会で、原水禁運動の国民的統一の推進など、運動方針を決める
1980/5/6
米国原爆被爆者協会の据石和副会長が荒木広島市長に在米被爆者のための医師派遣の協力要請
1980/5/9
広島青年会議所が米上院議員会館で開く「原爆展」の日程が6月8日から8日間と決まる
1980/5/10
原水禁国民会議の森滝市郎代表委員ら15人がハワイで開かれる「非核太平洋国際会議」に出発
1980/5/11
核兵器のない太平洋をめざす「非核太平洋国際会議」がハワイで始まる。18日まで。広島の被爆者4人をはじめ17カ国、属領から50人が参加。核兵器廃絶のための情報交換や運動方針を決める
1980/5/11
国民平和大行進が東京を出発。日本原水協(共産党系)、新日本婦人の会、日本山妙法寺など400人が参加。「生存のためのアメリカインディアン運動」のビル・ワペッパ代表ら海外代表8人も。8月4日広島市に到着
1980/5/14
核禁会議(民社党・同盟系)が全国代表者会議で、韓国での原爆資料展など運動方針決める
1980/5/15
「仏は中性子爆弾開発のための地下核実験をムルロア環礁で2回実施」。UPI通信が仏権威筋の話として伝える
1980/5/16
原爆を告発した劇映画「はだしのゲン・第3部~ヒロシマのたたかい」(山田典吾監督)が完成、広島市で試写会
1980/5/16
荒木広島市長が仏核実験に抗議する電報を駐日仏大使に打つ
1980/5/17
東京都原爆被害者団体協議会(東友会)が四谷公会堂で援護法の制定を訴えるチャリティー寄席を開く。収益金は同会の福利厚生資金に
1980/5/17
広島県原水協が定期理事会で80原水禁世界大会を統一して広島で開催するための実行委員会結成など運動方針を決める
1980/5/18
ヒロシマ修学旅行中の京都府・精華中学校と広島市の翠町中学校の生徒が原爆慰霊碑前で「平和のために手をつなごう」と交流
1980/5/18
仏核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など全国21カ所で被爆者らが座り込み
1980/5/18
中国が「中国本土から太平洋に向けて大陸間弾道ミサイル(ICBM)の全射程発射実験に成功」と発表。最大射程は1万2,800キロ
1980/5/19
広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(八者協)が被爆者対策の充実、強化などを政府、国会議員に求める陳情書をまとめる
1980/5/19
荒木広島市長が野呂恭一厚相に放射線影響研究所の移転を陳情。移転候補地として広島地方貯金局の跡地をあげる
1980/5/20
メアリー・マクミラン元広島女学院大教授に勲四等瑞宝章。政府が閣議決定
1980/5/21
ハワイでの「非核太平洋国際会議」に参加した広島の被爆者4人が帰国。「太平洋の島民の多くが核の脅威を肌で感じ、広島、長崎との連帯を求めている」
1980/5/22
原子力安全委員会の原子力発電所等周辺防災対策専門部会が「半径8~10キロを防災地域」とする報告書原案まとめる
1980/5/22
米がネバダで地下核実験
1980/5/22
オランダのハ-グ気象台が「ソ連のセミパラチンスクで22日、地下核実験が行われた」と発表
1980/5/23
荒木広島市長が米、ソの核実験に抗議する電報を各駐日大使に打つ。1968年以来、核実験の抗議電報が200回に達し、荒木市長が「今後も粘り強く核兵器廃絶を訴え続ける」と声明を発表
1980/5/23
1947年に来日して以来、広島女学院大の教壇に立つ傍ら、平和運動やボランティア活動を続けた広島市特別名誉市民メアリー・マクミランさんが米へ帰国
1980/5/24
米、ソの核実験に抗議し、被爆者らが全国24カ所で座り込み
1980/5/25
荒木広島市長らがロサンゼルス日米文化会館建設のため総額5,400万円の募金をジョージ土斐崎館長に手渡し、被爆資料展示コーナーの設置を要望
1980/5/27
被爆直後に広島入りし、外国人記者として初めて惨状を世界に知らせたウィルフレッド・バーチェット氏が9年ぶりに広島訪問。40年の取材活動をテレビ映画化
1980/5/28
NHK中国本部が、原爆白内障認定第1号で1977年に交通事故死した元放射線影響研究所職員竹田初枝さんをモデルにしたドラマ「夏の光に…」の撮影を始める
1980/5/--
原爆資料館の入館者が3年ぶりに100万人の大台回復。広島市が1979年度の入館者数まとめる。1,101,409人。修学旅行生が前年より5万人増
1980/5/--
広島市の特別名誉市民メアリー・マクミランさんの広島での活動をまとめた「ヒロシマのこだまに~メアリ・マクミランと広島」が完成。広島女学院大の教え子ら15人が執筆、編集
1980/5/--
ドキュメンタリー映画「世界の子らへ~原爆・1980年・広島の人々は今」(盛善吉監督、ころすけ映画製作)がタシケント国際映画祭で入賞
1980/5/--
第二次大戦末期、トールマン米大統領が原爆投下直前のポツダム滞在中に記した日記が見つかる。7月25日のペ-ジに「われわれは世界の歴史上、最も残酷な爆弾を発見した。これはノアの洪水のあと、ユーフラテス時代に予言された『火の地獄』をもたらすだろう。この兵器は8月10日までに、日本に対して使用される。スティムソン陸軍長官に対し、攻撃目標を軍関係に絞り、婦女子は除外するよう指示」と記す

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