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ヒストリー

ヒロシマの記録1980 7月


1980/7/1
福岡高裁が韓国人被爆者、孫振斗被告に懲役10月の減刑判決。強制送還の可能性弱まる
1980/7/1
ソ連核実験(6月29日)に抗議し被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前など広島県内17カ所で座り込み
1980/7/1
広島市のワールド・フレンドシップ・センターが日米教師交換計画のメンバーを発表。イリノイ州ロンバード市の中学校教師リンダ・ウェーバーさんら4人。7月8日来日、8月12日まで広島や長崎の平和団体と交流
1980/7/2
米上院の環境・公共土木・原子力小委員会がスリーマイル島原発の放射能漏れ事故に関する報告書を発表。浄化作業の遅れのため、周辺地域に放射能が漏れる危険性が増大と警告
1980/7/2
広島県安芸郡府中町の私立こばと幼稚園(宗藤尚三園長)の教師会と母の会が、3年間の平和教育実践記録「子どもの心に平和の砦を」を発行
1980/7/3
日本原水協が拡大常任理事会で、8月7日に広島市で4年ぶりの独自大会開催を決める。独自大会を開いてきた原水禁国民会議(社会党・総評系)を分裂主義と批判してきた経緯もあり、各県代表から戸惑いの声も出たが、吉田嘉清理事長は「統一のための統一を追求してきたのではない。独自集会では、世界大会決議を実践し国民も同調できる運動を展開」
1980/7/3
京大工学部原子核工学教室が、ストロンチウム90などの放射能に汚染されたまま15年間放置されていたことが判明。5日、科学技術庁が検査「異常なし」
1980/7/3
長崎市の爆心地付近、浦上天主堂近くで被爆死者とみられる5体の人骨が見つかる
1980/7/4
ソ連が、欧州中距離核兵器制限交渉に応じると声明。カーター米大統領は「考慮に値する」
1980/7/6
呉原爆被爆者友の会(中津泰人会長)が闘病被爆者激励大会。被爆者援護法制定を訴える
1980/7/7
広島、長崎の惨状を記録した米映画フィルムの入手運動を進めている「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」が、プリント代や編集費の募金運動を始める
1980/7/7
米原子力規制委員会(NRC)が全米に24基あるゼネラル・エレクトリック社製の沸騰水型原子力発電所の運転停止と制御棒の点検を命令。6月28日にアラバマ州ブラウンズフェリー原子力発電所で制御棒が一時的に作動しない重大事故が発生したため
1980/7/9
日本原水協などの国民平和大行進広島~長崎コースの一行が広島市を出発
1980/7/9
米信託統治領ミクロネシア・パラオ地区で、非核三原則と原発禁止を盛り込んだ世界初の非核憲法草案の賛否を問う住民投票が始まる
1980/7/10
米国立公文書館から入手した360枚の未公開写真を展示した「広島原爆被災写真公開調査特別展」と広島原爆被災撮影者の会(松重美人代表世話人)主催の「広島出身原爆写真家原爆写真展」が広島平和記念館で始まる。8月15日までの期間中に10万人が入場
1980/7/10
80原水禁統一世界大会の広島実行委員会が発足。被爆者援護法の制定を最重要課題に
1980/7/12
米誌ネーションが「水爆の材料になるトリチウムの輸出許可が急増。1975~77年の66グラムが78年216グラム、79年には1~9月だけで韓国、メキシコ、フィリピンなどに1,000グラム」と警告
1980/7/12
長崎市が被爆35周年の記念行事として「第1回被爆体験を語り継ぐ座談会」(「長崎年表」)
1980/7/13
平和活動家として知られる日本山妙法寺の僧侶、佐藤行通師が東京で暴漢に襲われ負傷
1980/7/13
米消費者運動指導者ラルフ・ネーダー氏らが作る原子力発電反対グループ「批判的大衆」が、1979年中に全米で2,300件の事故があったとの調査報告を発表。運転に伴う人為ミスや設計上の欠陥が主な原因
1980/7/14
被爆35周年記念「第1回長崎平和音楽会」(長崎青年会議所主催)開く(「長崎年表」)
1980/7/15
オーストラリア、ニュージーランドと太平洋の新興独立国10カ国などで構成する南太平洋諸国会議で、太平洋での核実験や核汚染の非難決議を採択
1980/7/15
荒木広島市長が仏の中性子爆弾開発、製造に抗議の書簡をジスカールデスタン大統領に送る
1980/7/15
英作家ゴードン・トーマス氏らの原爆投下ドキュメント「エノラ・ゲイ」の日本語版発行
1980/7/16
原水禁国民会議の主要単組である電機労連が定期大会で反原発色を強めている原水禁運動への参加凍結を決める。藁科書記長「現実的な運動を続けていく」
1980/7/16
米信託統治領ミクロネシア・パラオ地区で世界初の非核憲法が成立。最終賛成率は79%
1980/7/17
スウェーデンのハグフォルス軍観測所が「ソ連の地下核実験とみられるマグニチュ-ド5の震動波を13日に探知」と発表
1980/7/17
長崎同盟が「原水爆禁止1980年世界大会・長崎のつどい」への不参加を表明
1980/7/18
広島、長崎のジャーナリストやケースワーカーらが「原爆孤老」発刊
1980/7/18
荒木広島市長がソ連核実験に抗議する電報を駐日ソ連大使に打つ
1980/7/19
ソ連核実験に抗議して被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前など全国各地で座り込み
1980/7/20
車いすから平和を訴え続けている長崎市の被爆者、渡辺千恵子さんが香川県の女子高校生との文通をきっかけに原爆絵本「長崎を忘れない」を出版
1980/7/21
教育委員会に平和教育研究所を設置したり、小学校で被爆資料を巡回展示するなど平和教育に力を入れている愛知県津島市の井桁克市長が広島市を訪れ、平和教育推進を訴え
1980/7/21
8月9日の「原水爆禁止1980年世界大会・長崎のつどい」に向け、長崎県原水禁、県原水協、市民5団体、平和団体などが実行委員会を結成(「長崎年表」)
1980/7/22
核禁広島県民会議が代表者会議を開き、原水禁統一世界大会への不参加を決める。広島地方同盟も
1980/7/23
日本被団協や地婦連など11団体でつくる被爆問題市民懇談会の代表が、全国の知事、市町村長ら2,048人分の被爆者援護法制定署名を鈴木首相あてに提出
1980/7/23
動力炉・核燃料開発事業団が、新型転換炉原型炉「ふげん」が原子炉トラブルのため自動停止、と発表。24日、制御棒が異常降下する故障と判明。日本の原子炉では初の心臓部の故障のため、装置を解体し調査
1980/7/23
平和の遺産を残す会(西土万合枝代表)がヒロシマ学習の子供たちや核実験に抗議する被爆者らの写真を印刷した8月から始まるヒロシマ・カレンダーを作製
1980/7/24
小学生の被爆手記集「原爆の子」(岩波書店)の巻頭に手記を寄せた滋賀県在住の佐藤朋之さんが福井県で排ガス自殺。5年前から高血圧、糖尿病など次々と発病。周囲に「原爆にやられているから」と漏らす
1980/7/24
広島大原医研が原水爆関係の図書、文献を独自の分類法で整理し「原水爆関係資料目録1」を発刊
1980/7/25
たくましく生きる原爆孤児を描く映画「青葉学園物語」が広島県佐伯郡五日市町でクランクイン
1980/7/26
第1回原水禁世界大会の議長を務めた広島大名誉教授の今中次麿氏が死去。87歳
1980/7/26
被爆直後に大竹市の玖波小学校に収容された被爆者の収容名簿が見つかる。80人の病状など記す
1980/7/26
日本のプルトニウム転換施設建設に米が正式に同意
1980/7/27
原水禁1980年世界大会を前に日本原水協が在京担当常任理事会を開き、ソ連、中国など社会主義国の核実験にも反対を決める。「いかなる国問題」に終止符
1980/7/27
広島国際文化財団が招いたアキバ・プロジェクトの米地方紙記者3人が広島入り
1980/7/28
原子力安全委員会が関西電力高浜原子力発電所3、4号機と東京電力福島第2発電所3、4号機の増設計画認める
1980/7/28
中国電力が島根原子力発電所2号機の建設を島根県と鹿島町に申し入れ。1983年着工をめざす
1980/7/28
全電通被爆者連絡協議会が被爆体験記「原子雲の下に生きつづけて」第7集刊行
1980/7/29
広島県原水禁が英キングストン市のヒロシマ・デーに代表2人を派遣
1980/7/30
広島市婦協(迫千代子会長、45,000人)が役員会で1980年の原水禁統一世界大会への不参加を決定。永井千都子副会長「大会に参加するだけが平和運動ではない。静かに犠牲者のめい福を祈り、平和を考えたい」
1980/7/30
在米被爆者200人が米被爆者援護法の制定運動の一環として、サンフランシスコで集会。被爆体験や放射能障害の実情を話し合う
1980/7/31
被爆直後の広島で医療活動にあたったスイス人医師、故マルセル・ジュノー博士が集めた被爆記録写真展が広島市で始まる。8月6日までの期間中に1万3,000人が入場
1980/7/31
被爆直後の1945年9月に広島で医学調査にあたった京都大医学部原子爆弾災害調査班が京都に持ち帰っていた被爆者1,500人の個人検診票が35年ぶりに広島に返される。広島大原医研で整理
1980/7/31
米エネルギー省が「ネバダ州で31日、地下核実験を行った」と発表
1980/7/31
故長田新広島大名誉教授が広島の子供たちの手記を編んだ「原爆の子」の全文英訳版が刊行。全国原爆被爆教職員の会が教え子に被爆体験を語り継ごうと編集した「人類の未来への証言」も
1980/7/31
広島原爆病院が1979年度の診察概況を発表。長期入院患者が増え、入院日数の長期化が進む。死因はがんがトップで半数以上を占める
1980/7/31
ジュネーブの全面的核実験禁止条約交渉で、米英ソ3国が核実験査察で暫定合意に達したとする中間報告書をジュネーブ軍縮委員会本会議に提出
1980/7/31
スウェーデンのハグフォルス軍観測所が「ソ連がセミパラチンスクで31日、地下核実験」と発表
1980/7/31
被爆直後の広島市を低空で撮影した米軍の航空写真2枚が公開。「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」が米国防総省でネガを入手
1980/7/--
身寄りを無くした被爆者に無料の宿泊所を提供する財団法人広島県相互扶助会が赤字を抱えピンチ。運営資金となる「平和の鐘」鉛筆の売れ行き不振が原因。累積赤字は4,000万円
1980/7/--
長崎で被爆した元オランダ兵捕虜R・スフェーフェルさんが悲惨な被爆体験を詩とイラストで表現。被爆体験集「長崎の証言」第8号に掲載へ
1980/7/--
NHK中国本部が広島市民を対象に実施した原爆意識調査で、6割が核戦争と日本の核武装予測
1980/7/--
日本赤十字社長崎県支部が、被爆直後の長崎市で医療品不足に悩まされながら救護活動をした日赤看護婦の手記集「閃光の影で」を出版

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