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ヒストリー

ヒロシマの記録1979 4月


1979/4/1
原爆で消えた町、広島市天神町北組の元住民らが原爆死没者35回法要。天神町北組は平和記念公園内の平和記念館から元安川沿いに元安橋までの小さい町。町内の約400人のうち350人が死亡
1979/4/2
茨城県東海村の動力炉・核燃料開発事業団の使用済み核燃料再処理工場で作業員2人が被曝
1979/4/2
原水禁国民会議が「日本の原発即時停止」を要求
1979/4/2
カーター米大統領がスリーマイル島原発を視察。事故は「小型核戦争」の様相
1979/4/2
米スリーマイル島原発で圧力容器内の水素ガス抜き取り始まる
1979/4/3
日本原子力研究所東海研究所で実験装置が爆発
1979/4/3
大平首相が原発事故に万全の対策を指示
1979/4/3
長崎被災協と長崎の証言の会が、米スリ-マイル島原発事故を受け、原子力船「むつ」撤去と玄海原子力発電所の再検討を要求する緊急声明(「長崎年表」)
1979/4/3
山口県豊浦郡豊北町の藤井澄男町長が、中国電力に山口原子力準備本部豊北連絡所の撤去を申し入れ
1979/4/4
総評系の反原発中国5県共闘会議(議長、今井勇島根県評議長)が中国電力に「安全性が保証できない限り原発の運転を中止すべき」と申し入れ
1979/4/4
米原子力規制委員会がスリーマイル島原発事故で中間報告。設計、機構上の欠陥に加え、三重の人為ミスが重なったため
1979/4/5
米ニューヨーク州電力公社がスリーマイル島事故と同じバブコック・アンド・ウィルコックス社(BW)製の原子力発電所建設計画を白紙撤回。建設コストの上昇と事故で決定
1979/4/6
仏の地中海沿岸の町にある原子力産業施設でプラスチック爆弾が爆発。イラク向けの研究用原子炉2基の一部が破壊
1979/4/6
島根県が国に原発安全対策の徹底を要望
1979/4/7
原爆白内障の第1号認定被爆者竹田初枝さん(1977年11月死去)の眼球の標本が、米陸軍病理学研究所に保存決まる。広島市の眼科医杉本茂憲氏に手紙
1979/4/7
米コネティカット州グロトンのゼネラル・ダイナミックス社で、トライデント・ミサイル24基を積載可能な最強の原子力潜水艦オハイオが進水。2万人が祝い、3,000人が反対
1979/4/7
ピッツバーグ大のアーネスト・スターングラス教授らが新生児の甲状腺検査を提唱。「今後2、3年の間に米東部海岸諸州で生まれる新生児の継続検査を」
1979/4/7
米テキサス州オースチンで原子力発電所建設計画の住民投票。推進派がわずかに反対票を上回る
1979/4/8
日本被団協が東京で、被爆者援護法実現をめざし全国集会。約500人が参加し、厚生省へ陳情。田中明夫公衆衛生局長「被爆者対策の基本理念を検討する委員会の人選を進めている。1年以内には結論」
1979/4/8
米のスリーマイル島原発事故に抗議し、広島で被爆者や市民ら約70人が平和記念公園の原爆慰霊碑前に座り込み。広島大の丸山益輝工学部教授らも参加。被爆者青年同盟(山田隆則委員長)、反戦被爆者の会(小西ノブ子会長)など4団体も慰霊碑前で糾弾集会
1979/4/9
長崎原対協が創立20周年記念事業として進めていた被爆者小浜温泉保養所「大和荘」の改築工事が完了(「長崎年表」)
1979/4/9
原水禁国民会議が東京で全国委員会を開き、新村猛名古屋大名誉教授らが呼びかけている「79統一原水禁世界大会」参加を了承。独自の被爆34周年原水爆禁止大会の日程も決める
1979/4/10
中国電力が島根原発2号機の建設申し入れを延期
1979/4/10
名古屋大の長谷川正安教授ら憲法、政治学者17人が「非核三原則法案」を発表。高柳信一東大教授、阿部照哉京大教授、上野裕久岡山大教授らが名を連ねる。日本原水協の依頼で法案化
1979/4/11
スリーマイル島原発事故で米原子力規制委員会が「加圧水型軽水炉全体に構造上の問題がある疑いが強い」と発表。日本で採用しているウェスチングハウス社製9基も緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動しない可能性。通産省が関西電力などから事情聴取へ
1979/4/12
米原子力規制委員会が全米で運転中の原発71基の軽水炉すべてに11項目の安全対策を命令。特に43基の加圧水型については具体措置を求める
1979/4/12
日本原水協が常任理事会で統一世界大会開催を決める。(1)原水禁運動の新統一組織をつくる(2)3・1ビキニデー静岡集会を支持した17人のメンバーを中心に個人による主催組織をつくる-の2案を提案
1979/4/13
広島県医師会(大内五良会長)、放射線影響研究所(玉木正男理事長)が、在米被爆者第2回検診の派遣医師団を発表。前回の民間レベルと異なり、初めて厚生省が費用全額約800万円を負担、業務を県医師会と放射線影響研究所に委託。ロサンゼルス、サンフランシスコに加えシアトルで計400人程度を見込む。団長、蔵本潔広島原爆病院副院長、山木戸道郎広島大医学部講師(放影研研究員)、福永保夫同大医局員(同)の3医師と放影研の山田広明調査課長、国原道子看護婦、西沢孝次臨床検査技師の6人
1979/4/14
通産省が加圧水型原発の総点検を関西、四国、九州の電力3社に指示
1979/4/14
原子力安全委員会が、3日間(30時間)にわたって関西電力大飯1号機を運転中止して総点検するかどうかを論議。14日午前零時過ぎに、運転中止し炉心緊急冷却装置の作動チェックを決定。大飯1号機は国内で運転中の唯一の加圧水型。残りは定期点検などで停止中
1979/4/14
原水禁国民会議など約20団体の反原発グループが、東京で「政府の原子力政策に抗議し、すべての原発を止めさせる行動実行委員会」を結成
1979/4/15
仏で原発反対派が勝訴。パリ南方のロワール川沿いに建設中の原子力発電所に対し、オルレアン地裁が「地下水汚染の恐れ」との住民側の訴えを認め、工事の一時中止を命令
1979/4/16
関西電力大飯原発1号機が米スリーマイル島原発事故に伴う総点検で運転を停止。3月27日に営業運転に入ったばかり
1979/4/17
米原子力規制委員会(NRC)がゼネラル・エレクトリック社製の沸騰水型原発の総点検も指示。日本では中国電力島根原子力発電所を含む10基(運転中6基、点検中4基)がある
1979/4/17
「原発はごめんだ市民の会」(木原省治代表)が中国電力に島根原発の2号機建設中止などを申し入れ。計24団体、自治体が抗議、安全確保を要望
1979/4/17
米政府が太平洋の無人島に核廃棄物の貯蔵構想を表明
1979/4/17
米スリーマイル島原発事故で、大気中でも一時、基準を超す放射性ヨウ素を検出
1979/4/18
通産省・資源エネルギー庁が原子炉建設を前に安全審査に入っていた7基の安全審査を中止
1979/4/19
米上下両院がユタ州ソルトレークシティーでネバダ核実験被害の合同公聴会。マシスン・ユタ州知事も証人として出廷「政府は人体に無害とPR」と証言
1979/4/24
通産省が関西電力大飯原発1号機の緊急冷却装置は正常、と報告
1979/4/24
韓国が1991年までに原発18基の建設計画を発表。87年中に90万キロワット原発を3基
1979/4/24
新村猛名古屋大名誉教授を中心に原水禁運動関係者、学者、文化人ら約20人が、「79年原水禁世界大会主催方式を検討する会」を東京で開く。(1)原水禁大会などを手がける新組織を、原水禁運動に携わってきた団体、個人でつくる(2)第2回国連軍縮特別総会に代表を送る準備を進め国際連帯活動をする-などを決める
1979/4/25
米原子力規制委員会(NRC)のデントン原子炉規制部長が、スリーマイル島原発と同型炉(バブコック・ウィルコックス社製)すべての運転中止を勧告。27日、電力各社が自発的に運転中止。全米で9基
1979/4/26
ワルトハイム国連事務総長が、赤谷源一事務次長(広報担当)の後任に明石康国連代表部大使を任命。5月14日に就任。明石氏は1931年、秋田市生まれ、54年、東大を卒業後英、米に留学、57年国連事務局に入り、以来、事務総長官房政務担当官などを歴任。この間、外部からの人材導入で74年、外務省に入り日本国連代表部参事官、公使を経て1979年3月から大使
1979/4/26
中国電力が「原子力発電所保安管理特別委員会」(委員長、山根寛作社長)を新設し初会合
1979/4/27
広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)が「原爆で死んだ朝鮮人の遺族に戦傷病者戦没者遺家族等援護法の適用を」と厚相に要望
1979/4/29
在日朝鮮人被爆者の二世が「広島県朝鮮人被爆二世協議会」(80人)を平和記念館で結成
1979/4/--
被爆直後に被災者の救援活動に活躍した旧広島陸軍病院の看護婦生徒教育隊のために、当時の教官の永田正雄さん(広島市)が「老鴬の詩」をつくる
1979/4/--
米原発事故と同じ故障が関電美浜原発で2度発生。原子炉は緊急停止したが、補助ポンプが正常に働いたためまもなく運転を再開
1979/4/--
広島平和教育研究所が、幼稚園から中学校までの一貫した平和教育カリキュラム試案を発表
1979/4/--
詩人の栗原貞子さんが詩集「未来はここから始まる」を刊行
1979/4/--
袖井林二郎法政大教授が在米被爆者を追ったドキュメント「私たちは敵だったのか-在米被爆者の黙示録」の印税60万円を米国原爆被爆者協会に贈る
1979/4/--
広島県佐伯郡五日市町にあった広島戦災児育成所で少年期の7年間を過ごした広島市の児童文学作家、吉本直志郎さんに日本児童文学者協会の第12回新人賞。受賞作は育成所時代を描いた「青葉学園物語」(ポプラ社)。5月19日に東京で授賞式
1979/4/--
丸木位里・俊夫妻が近作「三国同盟から三里塚まで」をブルガリアで開かれる国際美術展に出品へ 1979/4/--
東広島市出身の映画監督長谷川和彦氏が原爆を作る男を主人公にした「太陽を盗んだ男」を製作へ。主役に沢田研二さん

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