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ヒストリー

ヒロシマの記録1979 9月


1979/9/1
米英の29日の核実験に抗議して被爆者らが全国7都県で座り込み
1979/9/5
電力労連の橋本会長が定期大会で原発推進を表明
1979/9/6
米がネバダで地下核実験。同時に1978年5月10日の実験で不発の核爆発装置も破壊。エネルギー省が発表
1979/9/6
ソ連が中央シベリアで地下核実験。スウェーデンのハグフォルス軍観測所が7日発表
1979/9/6
「山口のヒロシマ」デー、被爆者ら350人が山口市の原爆死没者の碑前で「第5回原爆死没者追悼・平和式典」。本島等長崎市長からもメッセージ
1979/9/8
広島市の平和記念公園にスイス人医師、故ジュノー博士の記念碑が完成、除幕式。博士の一人息子ブノワ・ジュノー氏、スイス大使館駐日総領事のハンス・シュラー夫妻、国際赤十字駐日代表アントワ・ミショー夫妻、日本赤十字の島津忠承氏ら約100人が出席。碑は比治山女子短大の芥川永教授が制作
1979/9/8
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1979/9/8
荒木広島市長が6日の米核実験でマンスフィールド駐日米大使に抗議電報
1979/9/9
荒木広島市長が6日のソ連核実験に抗議電報。米ソ核実験に抗議して被爆者らが各地で座り込み
1979/9/10
荒木広島市長が8日の米核実験に抗議電報。11日、被爆者らが全国24カ所で座り込み
1979/9/12
純国産技術で開発した日本初の遠心分離式ウラン濃縮パイロットプラント(岡山県上斎原村人形峠)が運転を開始。動力炉・核燃料開発事業団が建設。年50トンの濃縮ウラン国産化へ
1979/9/13
動力炉・核燃料開発事業団が、茨城県東海村の核燃料再処理工場で軽微な放射能汚染事故があったと1カ月半遅れで報告。科学技術庁が厳重注意
1979/9/13
中国電力島根原発の使用済み核燃料38体が初めて茨城県東海村の再処理工場へ向け船積み
1979/9/13
原子力安全委員会の米国原子力発電所事故調査特別委員会が米スリーマイル島原発事故で報告書。「緊急時中央指令所」を原発制御室以外の敷地内に設置など52項目の検討項目を示す
1979/9/16
米ウィスコンシン州の地方紙「マジソン・プレス・コネクション」が、23歳のコンピューター技師が寄稿した水爆製造法を掲載。エネルギー省は掲載中止を申し入れ、一部新聞は連邦地裁を通じて同記事の差し止め命令も
1979/9/17
「広島市原爆遺跡選定会議」が平和記念館で初会合。市が委嘱した原田東岷ヒロシマを知らせる委員会委員長、庄野直美広島女学院大教授ら14人が出席し、市がリストアップした41カ所について説明。小委員会をつくり、優先する14~15カ所を選定へ
1979/9/17
水爆製造法報道で米司法省が、ウィスコンシン州の雑誌「プログレッシブ」とカリフォルニア大の学生新聞「デーリー・カリフォルニア」に対する訴訟を取り下げ。各地でマスコミが水爆製造法を掲載し訴訟の意味がなくなる。司法省は「新たに刑事裁判を検討」と表明
1979/9/18
米テネシー州アーウィンの核燃料工場で核兵器に転用可能の原子力潜水艦用濃縮ウラン9キロが紛失。米原子力規制委員会(NRC)は調査のため、工場閉鎖を命令。21日、調査の結果、1968年以来110キロの高濃縮ウランが行方不明に。22日、「紛失のウランは工場内で気化して大気中に発散」と発表
1979/9/18
広島の教訓生かし核軍縮を-。米上院のマーク・ハットフィールド議員が、広島に駐留した体験をもとに議会で訴え
1979/9/18
韓国の張慶植医政局長らが厚生省、自民党本部を訪問、在韓被爆者の治療について具体策を協議。医師研修、在韓被爆者10人程度の渡日治療を中心に検討
1979/9/21
広島被爆者団体連絡会議(22団体)が、広島テレビの流した9月20日の「11PM」の内容に「ジュリーは原爆のようにツヨーイ」という「無神経な表現があった」と、同テレビなどに抗議。局側は25日、同じ番組でおわび
1979/9/23
米各地で反原発大集会。ニューヨークでは20万人参加。消費者運動指導者のラルフ・ネーダー氏、女優のジェーン・フォンダ氏らが呼びかけ
1979/9/23
第五福竜丸の故久保山愛吉氏の25回目の命日で「原水爆禁止運動の統一を目指す静岡県民準備会」が焼津市弘徳院で「追悼の集い」
1979/9/24
ソ連がノバヤゼムリャ島で地下核実験。スウェーデンのウプサラ大地震研究所が観測
1979/9/25
荒木広島市長が24日のソ連核実験に抗議電報。27日、被爆者らが全国24カ所で座り込み
1979/9/26
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1979/9/27
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。スウェーデン国防研究所地震観測所が発表
1979/9/27
荒木広島市長が26日の米核実験に抗議電報
1979/9/27
関西電力大飯原発で放射性ガス漏れる。廃液放出中の操作ミス
1979/9/28
荒木広島市長が27日のソ連核実験に抗議電報
1979/9/28
米エール大教授のロバート・リフトン氏が「核のいけにえ」と題し中国新聞に寄稿。「人類は今や人体の知恵である恐怖、恐れを明確に意識し一定の緊張感を保ちながら核の危険に対処しなければならない」
1979/9/29
米ソが26、27日と相次ぎ実施した地下核実験に抗議し、全国24カ所で座り込み
1979/9/30
日本原子力産業会議が原子力の公開原則で見直し意見。東京で開かれた「核兵器禁止を願う科学者フォーラム」主催のシンポジウムで明らかに。原産内部資料の「公開問題に関する法的検討中間報告(案)」で「公開が核ジャックや核拡散の危険を懸念させる場合には、一定の限度内での非公開が必要になろう」
1979/9/30
広島平和教育研究所の石田明事務局長が、東京で開かれた「NGO被爆者問題国際シンポジウム2周年記念・合同研究会」で、国際平和教育会議開催を提唱
1979/9/--
日本児童文学者協会広島支部(吉本直志郎支部長、20人)が「広島県の民話」を刊行。原爆民話が3話収録。「あの子ものがたり」(大野允子氏著)「ガラスのわきでた話」(脇田充子氏著)「墓の石べい」(三浦精子氏著)
1979/9/--
大阪の「釜ケ崎原爆被爆者の会」(中村順会長)が体験集「釜ケ崎原爆被爆者の怒りと悲しみ」を発刊。7人が証言
1979/9/--
大桐国光中国短大教授が広島平和美術展に出品した彫刻「ヒロシマの苦しみ」を平和記念館に寄贈。イタリアのダンテ国際展の入賞作を鋳型取り
1979/9/--
中国が「1964年10月の最初の原爆実験以来、78年3月15日までに20回の核実験を実施」と発表

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