ヒロシマの記録1978 1月
78年1月1日
1978/1/4
中国新聞で小久保均、岩崎清一郎、大牟田稔の3氏による連載「広島文芸の日々3人による戦後史」が始まる
1978/1/7
広島大平和科学研究センター主催の第2回平和科学シンポジウムが広島大で始まる。「世界秩序の構造-その過去、現在および将来」がテーマ(8日まで)。鴨武彦早稲田大助教授、グレン・ペイジ・ハワイ大教授、福田歓一東大教授、高畠通敏立教大教授らが参加
1978/1/9
原子力船「むつ」の佐世保港修理問題で、長崎県知事と佐世保市長が「静観」で合意
1978/1/9
広島市が平和文化施設の整備構想を丹下健三都市建築設計研究所に委託。8月までに最終報告
1978/1/10
国連軍縮特別総会へ向け核兵器完全禁止署名運動を進めている推進連絡会議の新村猛名古屋大名誉教授が、荒木広島市長に署名運動支持表明を申し入れ
1978/1/10
中国電力の山口・豊北原発の事前調査に反対の住民が、調査に同意する平井N6山口県知事に抗議
1978/1/10
原爆作家大田洋子の「冬の巣」「冬」など未発表原稿が遺族宅で見つかる。「原爆」を遠回しに表現
1978/1/11
エドワード・ケネディ米上院議員が広島市を訪れ、広島医師会館で広島大学生を相手に「平和と核軍縮」の講演(広島大主催)。国際核燃料銀行、太平洋に使用済み核燃料貯蔵センターの設立-を提案。ジョーン夫人ら家族と原爆資料館を見学。3月23日、テレビ出演料の6万円を広島市が計画している国際平和文化施設にと寄付
1978/1/12
核兵器禁止を呼びかけている米の科学者グループ「懸念する科学者の同盟」(UCS)のダニエル・フォード事務局長が広島市を訪れ、広島県原水禁などと交流
1978/1/17
広島県朝鮮人被爆者連絡協議会が5月の国連軍縮特別総会に2人の代表派遣を決める。協議会の名称を広島県朝鮮人被爆者協議会と改称、代表委員制を廃止し会長に李実根前代表委員を選ぶ
1978/1/18
山口県豊浦郡豊北町の原発反対派住民が、1977年9月に制定した「町原電対策協議会設置条例」廃止で直接請求の署名運動へ
1978/1/19
広島平和文化センターが発行した平和読本「ヒロシマ・原爆・平和」に過去の日本の戦争正当化の記述があると被爆者らが抗議。本を回収、書き換えへ
1978/1/21
広島県高教組の平和教育推進研究調査小委員会(森下弘代表)が1971年、74年、76年の3回行った高校生の原爆意識を分析。ヒロシマへの思いが年ごとに薄れる
1978/1/22
三重県紀勢町への中部電力芦浜原子力発電所の立地をめぐり、前紀勢町長と同電力津支店長代理が贈収賄の疑いで逮捕。原発立地に伴う汚職事件は初
1978/1/23
広島市が被爆者の入院看護料を4月から無利子で立て替える方針を決める
1978/1/23
政府が「第4回総合エネルギー対策推進閣僚会議」を開き、重要電源立地として山口県豊北原発などの促進を決める
1978/1/24
発電用小型原子炉を積んだソ連の原子炉衛星「コスモス」がカナダに墜落。1977年9月18日に打ち上げ。ソ連は「大気層に突入し燃え尽きて消滅。環境汚染の心配はない」と発表。4,500個の軍事衛星が飛び交う米ソ宇宙戦争の実態が明るみに
1978/1/24
広島県被団協(森滝市郎理事長)が理事会で、国連軍縮特別総会に向けての核兵器廃絶署名は、被団協独自で取り組みを決める。「社会党系、労働団体とだけでは幅広い署名が集まらない」が理由
1978/1/24
放射線影響研究所が長崎市で第6回理事会。山下久雄理事長、米エネルギー省(前エネルギー研究開発局)のジェームズ・リバーマン環境担当次官補ら日米5人ずつの理事が出席
1978/1/25
尾道市の桑原忠男さんの「原爆医療法に基づく認定申請却下処分の取り消し請求訴訟」(桑原訴訟)控訴審第6回口頭弁論が広島高裁で。原告側証人の日本原水協理事長・草野信男医師の反対尋問と再尋問
1978/1/25
米下院でネバダ核実験に参加した兵士の健康問題で聴聞会。1957年の「スモーキー作戦」に関して行われ、医学面の責任者として実験に関与したカール・モーガン博士は「被曝退役軍人の白血病は間違いなく核実験被曝が原因」と証言。アーサー・タンプリン博士らも兵士の後遺症は核実験が原因と証言
1978/1/26
米復員軍人援護局のポール・ハーバー医学副部長が下院商業委員会で、「1946年以降、核実験に参加した米兵は約17万4,000人、うち34人が放射線障害。政府は6人だけ認定」と証言。ドナルド・カー・エネルギー省副次官補は51年から62年までの核実験で少なくとも900人の民間人が被曝と証言
1978/1/26
カナダで墜落したソ連の原子炉衛星から多量の放射能を検出。1日、原子炉破片が飛散している可能性強まる
1978/1/27
米兵捕虜を埋葬し、写真を撮った徳山市の元憲兵藤田明孝さんが名乗り出る。広島市二葉の里に白木の十字架の墓3基と、1945年7月28日に広島県佐伯郡五日市町八幡に墜落し即死した6人の墓
1978/1/27
ジュネ-ブで開かれるNGO軍縮会議に参加する日本代表団の長崎県代表6人が決まる(「長崎年表」)
1978/1/27
5月の国連軍縮特別総会に向け核兵器廃絶を求める署名運動が広島で始まる
1978/1/28
ソ連の原子炉衛星墜落事故で広島県原水協(共産党系)が核兵器禁止の国際協定を求めるアピールを核保有6カ国の在日大使館へ送る
1978/1/30
核禁広島県民会議(民社党・同盟系)の在韓被爆者調査団が出発。栗原登広島大原医研教授ら4人
1978/1/30
カーター米大統領が原子炉衛星の打ち上げ禁止をソ連に提唱
1978/1/31
ソ連の原子炉衛星墜落に抗議し広島県労会議、同県労被爆連、広島被爆者団体連絡会議、広島県原水禁などの労組員や被爆者らが、広島市の原爆慰霊碑前など県内6カ所で座り込み
1978/1/--
広島平和文化センターが青少年向け副読本「平和教育冊子」シリーズの第1号「ヒロシマ・原爆・平和」を発刊
1978/1/--
広島市の原爆資料館が被爆資料の保存実験計画を決める。東京国立文化財研究所の指導で樹脂板、チッ素ガスなどを使用し、春から実施へ
1978/1/--
ニューヨーク・タイムズがカーター政権の基本戦略「軍事戦略と兵力配置の検討」をすっぱ抜く
1978/1/--
広島市の米人宣教師ウィリアム・ボールドウィンさんが在日朝鮮人の差別の実態をつづった「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」(朴寿南氏著)の英訳に打ち込む
1978/1/--
広島市安芸町の永田正雄さんが原爆で壊滅した広島陸軍病院史を執筆。同病院の死者は1,140人近かったが、被爆後37カ所の分院、救護所を開き4万7,000人を治療
1978/1/--
広島大原医研の宇吹暁助手が、外務省の外交資料で広島で被爆死した米兵捕虜3人を新たに確認。計20人に。3人は1945年7月27日、福岡県八女郡横山村で撃墜されたB29の乗員で、広島市内で被爆死、遺骨は同年12月7日、米軍に引き渡し