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ヒストリー

ヒロシマの記録1978 4月


1978/4/1
「米国原爆被爆者援護法案」の制定で連邦下院司法委員会行政小委員会が、ロサンゼルスで初の公聴会。米国原爆被爆者協会の倉本寛司会長、被爆者代表の円石アヤさんら13人が証言
1978/4/1
山口県豊北町の臨時町会が原電対策協設置条例の廃止を求める直接請求を否決
1978/4/2
学徒兵として長崎で被爆した韓国・釜山市の金貞賢氏が日赤長崎原爆病院に入院。4月8日、被爆者健康手帳の交付を受ける(「長崎年表」)
1978/4/3
韓国人被爆者孫振斗さんが1971年10月5日の申請から6年半ぶりに被爆者健康手帳を取得
1978/4/4
西ドイツのゲンシャー外相が中性子爆弾の欧州配備をカーター米大統領に要請
1978/4/4
山口県豊北町議会が賛成派抜きで原発調査拒否を決定
1978/4/5
米国立太平洋記念墓地(ハワイ・パンチボウル)のアーネスト・シャンツ所長夫妻が広島市の原爆慰霊碑に参拝
1978/4/7
カーター米大統領が中性子爆弾の生産に関する決定の延期を発表。ソ連が歓迎
1978/4/11
米ネバダで、英米が共同で地下核実験。英政府の要請。米エネルギー省が発表
1978/4/12
荒木広島市長が英米共同核実験に抗議電を在日両国大使館に打つ。14日、広島県内7市町(11カ所)で被爆者や労組員らが抗議の座り込み
1978/4/12
中国電力が山口県豊北町で反原発ビラを配った日本電気産業労組(電産)中国地方本部の山口県支部役員ら7人を懲戒休職2カ月などの処分
1978/4/12
米内務省の高官が下院歳出委員会で「ビキニ島住民の体内から危険量のストロンチウム90が検出され、住民112人の島外強制移住を決めた」と言明。5月にも移住を実施し、30~50年間は立ち入り禁止
1978/4/13
広島原爆養護ホームのお年寄りらが初の野外園芸楽しむ。広島市老人クラブ連合会の園芸作業所
1978/4/13
衆院社会労働委員会で野党提出の被爆者援護法案を審議。孫振斗さんの最高裁判決に基づき国家補償の援護法を要求する野党に、政府は依然難色
1978/4/14
国連本部で開く「広島・長崎被爆写真展」が写真61点(広島31点、長崎30点)、図表2枚で確定。最終的には広島34点、計64点に
1978/4/17
被爆者援護法制定を求める日本被団協の全国行脚が東京入り、日比谷公園で集結集会。延べ2万人が参加、36都道府県知事が署名
1978/4/17
「仏が既に南太平洋ムルロア環礁で中性子爆弾の実験を実施」-と仏週刊誌ルポアンが報道。フランス・ソワール紙も19日、「極秘で世界最初の中性子爆弾を実験」と伝える
1978/4/19
宮沢弘広島県知事が外務省を訪れ、国連軍縮特別総会に出席する園田直外相に核兵器廃絶に関する要請書を手渡す
1978/4/19
政府が原子力行政の「目付け役」として原子力安全委を新設へ。原子力基本法改正案が衆院委を通過。6月7日、成立
1978/4/20
国連軍縮特別総会で日本の非政府組織(NGO)の代表1人の発言が認められる。「日本および広島、長崎原爆被爆者代表」
1978/4/20
荒木広島市長が仏の中性子爆弾実験で、在日仏大使館に事実確認と抗議の電報送る。被爆者らも広島県内11カ所で座り込み
1978/4/20
地婦連、日青協、総評などが、国会内で安倍晋太郎官房長官に被爆者援護法制定を申し入れ
1978/4/20
広島県労被爆連(森下弘会長)が、5月に広島市で開かれる広島フラワーフェスティバルへの自衛隊や米海兵隊軍楽隊の参加に抗議。同フェスティバル事務局長、花岡正登広島市経済局長に申し入れ
1978/4/21
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。米エネルギー省が24日発表
1978/4/22
原爆資料館の倉庫に眠っていた被爆資料の展示が、広島市の平和記念館で始まる。赤十字代表のマルセル・ジュノー博士が寄贈した救援医薬品など89点
1978/4/22
栗栖弘臣統合幕僚会議議長が1963年の陸上自衛隊第4普通科連隊長時代(一等陸佐)、陸上自衛隊幹部候補生学校の部内研究雑誌に「相手が核を持っている以上、こちらも核を持たなければ完全な防衛は期待できない」と核武装論を説いていることが分かり問題に
1978/4/23
中国電力島根原発のある島根県鹿島町長選で原発推進派の桑谷道雄氏が当選。2号機建設に前進
1978/4/25
10年前の1968年12月12日に外国人として初めて被爆者健康手帳の交付を広島市に申請し却下された韓国人被爆者、厳粉連さんが改めて申請。5月2日交付
1978/4/25
「米が生産せぬ限り、ソ連も中性子爆弾造らぬ」-ブレジネフ・ソ連書記長が提案。カーター米大統領は提案を拒否
1978/4/25
四国電力・伊方原発の原子炉設置許可処分の取り消しを求めた「伊方原発訴訟」で住民側が敗訴。柏木賢吉裁判長「原子炉設置を許可した国の審査は適法で、安全性は十分確保されている」。原告団控訴へ
1978/4/26
夏に開く予定だった「人類の未来を創るための科学者宗教者国際会議-地球共同体をめざして」が中止へ。会員から「特定の宗教団体に偏っている」と疑義が出たため
1978/4/26
荒木広島市長がソ連地下核実験(21日)で在日ソ連大使館に抗議電。27日、被爆者らが広島県内7市1町で抗議の座り込み
1978/4/27
衆院社会労働委員会で原爆被爆者援護法また見送り。野党が法案を撤回
1978/4/27
スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が、世界の軍備、軍事状況をまとめた1978年版年次報告を発表。世界各国が保有する核兵器は「広島型原爆の100万個分。正確な数はつかめない」
1978/4/28
「群集の渦」(酒井千鶴子代表)の西本満さんらが、「8月6、9日を国民の休日に」との被爆者の直訴状を持って広島市から首相官邸へ出発。1969年以来、19回目の自転車行進
1978/4/28
アルゼンチンから里帰りの被爆婦人が被爆後、廃校になった西高等女学校(西高女、広島市東観音町)の同級生と再会
1978/4/30
1945年に広島市立広瀬国民学校を卒業した25人が33年ぶりの同窓会。卒業生173人のうち消息をつかめたのは56人、うち18人が原爆の犠牲に
1978/4/--
丸木位里、俊夫妻の「原爆の図」が仏で初の巡回展決まる。5月初めから8カ所で約2カ月間。仏の平和運動家で画家のアンジェ氏らの呼びかけ
1978/4/--
フィンランド・ヘルシンキで開かれる社会主義インターナショナル軍縮会議(4月24~26日)の広島被爆写真展に、広島市がパネル30点送る
1978/4/--
原爆資料館の1977年度入館者数は8万6,709人で3年ぶり前年度より減る(7.2%減)。不況が原因
1978/4/--
広島市役所本庁舎の被爆の傷跡、中庭に面した壁の塗り替え始まる。痕跡は屋上の一部だけに
1978/4/--
国連軍縮特別総会を機に米で計画中の「反核・日米共同行動」に、広島から久保陽子さん(全電通被爆協幹事)、外林昭任さん(広島県高教組副委員長)、木原省治さん(広島被爆二世連絡協議会準備会幹事)の参加決まる。26日、広島を出発。原水禁国民会議と米の「生存のための動員」(MFS)の共同行動で日本から22人参加
1978/4/--
長崎市内にあった捕虜収容所の外国人捕虜たちの生活ぶりを写した写真13枚が初めて長崎市内で公表。撮影者は故松田弘道氏(「長崎年表」)
1978/4/--
被爆直後の惨状を描いた水彩画29点が、長崎国際文化会館の原爆資料センタ-に常設展示。パリ在住の山田栄二画伯が、1945年8月10日長崎市入りしスケッチ(「長崎年表」)

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