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ヒストリー

ヒロシマの記録1978 12月


1978/12/1
広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(八者協)が、1979年度予算の被爆者対策で原爆小頭症患者の終身保障などを陳情
1978/12/1
ソ連の29日の地下核実験に抗議し、広島県内の9カ所で被爆者らが座り込み。2日も6カ所で
1978/12/2
チェコスロバキアのアロイス・インドラ連邦議会議長が原爆ドームなどを見学、原爆慰霊碑に参拝
1978/12/7
長崎の証言の会が「季刊・長崎の証言」創刊号を発行(「長崎年表」)
1978/12/10
袖井林二郎氏が「在米ヒバクシャの黙示録私たちは敵だったのか」を潮出版から刊行
1978/12/10
カーター米大統領がネバダ核実験被曝の元米兵らの健康調査再検討を指示。核実験場周辺地域児童の甲状腺異常調査の再開、日本や太平洋核実験場被曝者まで調査拡大も検討。ワシントン・ポスト紙が伝える
1978/12/13
日本原水協の細井友晋代表委員ら4人が国連を訪ね、世界各地で被爆資料写真展を開くよう要請
1978/12/13
広島原爆病院に入院中の50歳の被爆女性が投身自殺。同病院でこの年3人目
1978/12/14
ソ連がセミパラチンスク地方で地下核実験。スウェーデンの国防観測所が発表
1978/12/14
中国がロプノル核実験場で大気圏核実験を実施。米エネルギー省が発表
1978/12/15
荒木広島市長が14日の中国、ソ連の核実験に抗議し両在日大使館に電報。17日、被爆者らが広島県内9カ所と東京、山形で抗議の座り込み。18日には庄原市役所前で初めて
1978/12/15
国連総会本会議が1982年に「第2回国連軍縮特別総会」の開催を全会一致で決める
1978/12/15
オーストリア議会が原発禁止法を可決。国民投票で稼働を否決された同国第1号の原発は通常の発電所に変更へ
1978/12/16
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1978/12/18
ソ連がカスピ海北部地域で地下核実験。スウェーデンのハグフォルス軍地震観測所が発表
1978/12/18
荒木広島市長が16日の米地下核実験に抗議し在日米大使館に電報
1978/12/19
ソ連の18日の核実験で荒木広島市長が在日ソ連大使館に抗議電。10年間で通算150回目
1978/12/19
原水禁国民会議と総評被爆連の第4次「原爆被爆者援護法制定要求」中央行動に参加の広島県内の被爆者ら約200人が広島駅を出発。午後、全電通会館で全国の500人が総決起集会
1978/12/19
島根県衛生公害研究所が雨や大気中の降下物から平常値の36~210倍の放射能を検出。中国大気圏核実験の影響とみられる
1978/12/20
米の16日、ソ連の18日の核実験に抗議し被爆者や労組員らが1都3県の20カ所で座り込み
1978/12/20
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。この年18回目。スウェーデン国防観測所が発表
1978/12/21
荒木広島市長が20日のソ連地下核実験で在日ソ連大使館に抗議電。ソ連へ12月3回目
1978/12/21
原水禁山口県民会議(松村章理事長)と同市民会議(俵田佐理事長)が中国(14日)、米(16日)、ソ(18日)と相次ぐ核実験に抗議し、山口市宮野江良の「原爆死没者の碑」前で初の座り込み
1978/12/21
国連軍縮週間行動広島実行委員会が解散
1978/12/21
インドのアブタール・シン駐日大使夫妻が荒木広島市長を表敬訪問、原爆慰霊碑に参拝
1978/12/21
韓国人被爆者の救援活動をしている「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」(事務局、大阪府吹田市桃山台、松井義子会長)が、夏に韓国原爆被害者協会と協力して行った在韓被爆者調査の中間報告を発表。「病弱、苦しい生活。日本政府の援護求める」
1978/12/21
米ネバダ核実験場近くに住む市民100人が、米エネルギー省を相手取って2億3,200万ドル(約464億円)にのぼる損害賠償要求の訴訟を起こす。うち43人は核実験の結果、がんや白血病になったと主張、残り57人は同じ病気で亡くなった人たちの遺族
1978/12/22
広島市で第1回原爆問題総合研究会開く。広島、長崎、東京で被爆者援護運動や原爆問題を研究している学者、活動家70人が参加。予定していた「日本原爆問題合同研究会」の発足は広島、東京の準備の遅れで先送り
1978/12/22
ソ連の20日の地下核実験に抗議し、広島、呉、東京など18カ所で被爆者らが座り込み
1978/12/25
広島県原爆被爆教師の会が「広島県原爆被爆教職員の会」に名称替え。修学旅行生受け入れのため「ヒロシマ子供平和文化会館」の建設構想も
1978/12/26
世界平和を願って16年間、つるを折り続けている東京・品川区の関ツルさんから広島原爆病院に寄せられた千羽づるが100万羽を突破。20万円相当の医療器具も併せて贈る
1978/12/26
原爆小頭症の娘を抱える岩国市の畠中敬恵さんが骨転移がんのため死去。58歳。11月14日に原爆症として認定されたばかり。敬恵さんは応召の夫の留守中に被爆、背負っていた長男を8月下旬に失い3カ月の胎児だった二女は原爆小頭症として生まれた
1978/12/27
外務省が中国の大気圏核実験の即時中止を求める情報文化局長の談話を発表
1978/12/27
政府が在米日本大使館を通じ米政府に「日本はあらゆる国の核実験に反対する」と申し入れ。28日には在日ソ連大使館を通じ、ソ連政府にも
1978/12/--
放射線影響研究所が1979年から被爆者の解剖廃止を決める。遺族の協力が得られないのと経費の節減が理由
1978/12/--
在韓被爆者が「韓国被爆二世の会」発足へ。歌手の金允植さんらが12月23日、ソウルで結成

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