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ヒストリー

ヒロシマの記録1977 6月


1977/6/1
米政府筋が「仏は米の意向に沿いパキスタンに対する核処理施設の売却中止を決定した」と述べる
1977/6/1
ホワイトハウスのパウエル報道官が「米はソ連との均衡を保つため、命中精度の高い新大型核弾頭マーク12Aを1979年までに配備する必要がある」と言明
1977/6/1
島田興生写真記録集「ビキニマーシャル人被曝者の証言」出版
1977/6/2
第2回日米核燃料再処理問題交渉がワシントンで始まる。東海村再処理工場運転開始と仏への再処理委託問題が焦点
1977/6/2
カーター米大統領の韓国防衛核使用発言に対し、原水禁国民会議(社会党・総評系)と日本原水協(共産党系)が抗議
1977/6/3
被爆死した李E%公の伯母にあたる李方子さんが広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝
1977/6/3
原爆医療法が制定され、被爆者健康手帳の交付を始めて満20年。手帳保持者は広島市内で11万3,000人を突破、全国で36万人を超える
1977/6/3
第2回日米核燃料再処理問題交渉で、米が東海村再処理工場について(1)プルトニウム拡散防止のための保障措置(セーフガード)が合意できれば試運転を認める(2)工場の操業は実験用に限定し、商業運転は認めない-を骨子とする提案。4日、日本は米案を拒否
1977/6/5
第2回日米核燃料再処理問題交渉で、米が東海村再処理工場の操業方法に関し「プルトニウムの単体抽出は認めない」との方針を示す。核兵器転用が不可能な代替抽出方法として「混合抽出法」や「プルトニウム・スパイク」を提案
1977/6/6
米紙ワシントン・ポストが「米は建造物などを破壊せず、人間だけを殺傷する中性子核弾頭の生産を近く開始」と報道
1977/6/6
日加原子力協定の改定交渉で、カナダ政府が「カナダ産天然ウランの濃縮、再処理に関して、日本が米など第3国に委託する場合にカナダ政府の規制権限を強化したい」と提案。交渉は暗礁に
1977/6/6
全電通広島被爆者連絡協議会が広島県労被爆者団体連絡協議会(15団体)で「5・19合意は当事者の主体性を軽視」と、学者、文化人主導を批判
1977/6/6
広島市平和記念公園の原爆供養塔前で33回忌法要。遺骨が見つからない遺族や被爆者ら60人が参列
1977/6/7
新自由クラブを含む野党5党提出の被爆者援護法案が衆院社会労働委員会で審議されず廃案へ
1977/6/7
「核戦争の危機を半数が抱き、原水禁運動もマンネリで56%が新展開を望む」。広島県高等学校教職員組合の平和教育推進委員会が県内15高校、1,500人の生徒を対象に平和・戦争観をアンケート調査
1977/6/7
広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に供えられた李方子さんの花輪がちぎられる
1977/6/8
文部省が新学習指導要領を発表。「核兵器・戦争否定」の記述が消える。現場の教師や平和教育関係者らは一斉に反発。9日、広島県内320校区が文相に抗議電報。広島、長崎両県の県教組と被爆教師の会が「重大な危機感を予感」とのアピールを発表
1977/6/9
国立福山病院に被爆者クリニック開設
1977/6/10
東京・夢の島に建設された第五福竜丸展示館が開設1周年。5月末現在の来館者は28,480人
1977/6/10
故永井隆博士の生誕70年で、故郷の島根県飯石郡三刀屋町に住む旧友が「永井隆と師友」を出版
1977/6/10
広島県比婆郡口和町の被爆者亀垣隆美さん(69歳)が自殺。妻と長男を原爆で失う。枕元に「原爆の魔炎におびえ狂いきて/煙草喫むつど火柱みつめる」の歌。1978年8月6日に同町原爆友の会が歌碑を建立
1977/6/11
日本平和教育研究協議会が第5回平和教育シンポジウムを広島市で開く。1,400人が参加。核抜き新学習指導要領を強く批判
1977/6/12
第18回原爆後障害研究会が広島市で始まる。志水清広島原爆養護ホーム所長が原爆小頭症患者の生活実態を報告し、国家補償の終身保障を強調。中鉢正美慶応大教授が「広島の被爆者は一般家庭に比べ生活が苦しく、婚姻率も低い」と被爆者家庭の実態調査を報告
1977/6/13
原水禁運動統一に関する「5・19合意」に基づく拡大世話人会が「原水爆禁止統一実行委員会」の発足を決める。代表幹事に新村猛名古屋大名誉教授、高桑純夫原水禁国民会議事務局長、吉田嘉清日本原水協副理事長
1977/6/13
動力炉・核燃料開発事業団が遠心分離法によるウラン濃縮プラントを人形峠鉱業所に建設したいと岡山県へ申し入れ
1977/6/13
中国電力が中国地方で第2の原子力発電所建設の候補地に山口県豊浦郡豊北町神田岬を選び、山口県と豊北町に申し入れ。平井龍知事が事前調査を了承
1977/6/14
米紙ワシントン・スターが「ハビブ米国務次官とブラウン統合参謀本部議長が10日の下院外交合同聴聞会の秘密会で、在韓米地上軍の撤退に伴い、韓国にある戦術核兵器も撤去すると証言」と報道
1977/6/14
厚生省の第2回被爆者実態調査(1975年実施)がまとまる。(1)被爆者の平均年齢は53.7歳(2)傷病率は非被爆者の2倍(3)若い層を中心に9.8%が就職、結婚で差別を受けた経験を持つ
1977/6/15
広島県原水禁が常任理事会で、統一世界大会とは別に独自大会開催を決める。「一致した課題で開く統一大会と運動原則を貫く独自大会が相互に補完し合って初めて運動が盛り上がる」
1977/6/15
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が77年度年次報告を発表。核軍拡と武器輸出の拡大によって全面核戦争の可能性が強まったと警告
1977/6/16
中国電力の第2原発建設問題で、山口県豊北町議会が計画の内容が納得いくまで事前調査を認めない方針決める
1977/6/18
NHKがテレビドキュメンタリー「市民の手で原爆の絵を」の英語版フィルムを広島市に贈る
1977/6/18
日本原水協が緊急全国理事会で、「原水爆禁止統一実行委員会」が発足したのに伴い、独自の原水禁世界大会中止を決定
1977/6/18
広島県原水禁、長崎県原水禁、大阪府軍縮協、沖縄県原水協が大阪市で、13日に結成された「原水爆禁止統一実行委員会」を地方無視と批判する声明発表
1977/6/22
被爆者青年同盟が中心になって「反戦被爆者の会」結成。会長に小西ノブ子広島県原水禁常任理事
1977/6/22
ジュネーブの海底核兵器禁止条約の再検討会議で、沢井代表が中、仏に条約加盟を呼びかけ
1977/6/22
土光敏夫経団連会長がペトロシャンツ・ソ連原子力利用国家委員会議長と会談。民間の日ソ原子力協定締結と日本からの原子力発電機器輸出商談促進で合意
1977/6/22
ブレジネフ・ソ連書記長とジスカールデスタン仏大統領が仏ランブイエで会談。核拡散防止、緊張緩和に関する宣言に調印
1977/6/22
放射線影響研究所が理事会で第1回在米被爆者検診の結果を報告。半数以上が疲労訴え。岡田泰二派遣医師団長「ちょっとしたことでも敏感に反応する症状が目立った。精神的に不安定な人が多いことを裏付け」
1977/6/22
原水禁国民会議が緊急役員会で独自の世界大会の開催を確認
1977/6/23
原水禁運動統一実行委員会が第2回幹事会で、8月3日から6日まで広島市で「1977年原水爆禁止世界大会」の開催を決める。テーマは「1977年8・6広島、8・9長崎から何を呼びかけるか」「核兵器廃絶、被爆者援護のため、われわれは今何をすべきか」
1977/6/24
米紙ワシントン・ポストが「米国防総省が8インチ砲や155ミリ砲用の中性子砲弾の生産を計画している」と報道
1977/6/24
長崎市議会が「核兵器完全禁止実現に関する決議」を採択
1977/6/24
放射線影響研究所が在米被爆者検診を1978年度も実施することを決める
1977/6/25
中国電力が第2原子力発電所の建設を計画している山口県豊北町神田岬の住民が、中電と町に対し原子力発電所の建設に反対する意思を表明
1977/6/25
広島県被団協(森滝市郎理事長)が理事会で、原水禁国民会議(社会党・総評系)の独自大会には出席するが、「5・19合意」に基づく統一大会には「いかなる核実験、核兵器にも反対という基本路線が盛り込まれない限り参加しない」方針を決める
1977/6/25
パリでの日仏定期協議で、原子力平和利用に関して西ドイツも含め3国協力強化で合意
1977/6/25
米紙ワシントン・ポストが「米ペンシルベニア州の核燃料工場から18年間で原爆20発分127キロのウランが消失した」と報道
1977/6/25
「若い世代の大半が『核使用の恐れ』抱く」。広島大平和科学研究センターが、広島、岡山、東京など5都市の中学生と父母1万2,000人の核意識調査をまとめる
1977/6/26
制御棒駆動水戻りノルズにひび割れが見つかった中国電力島根原子力発電所が5カ月ぶり試運転 1977/6/27
ブルガリアのバルナで開かれている第7回国際赤十字映画祭で、胎内被爆女性の30年を描いた「生きる」(秋吉宣子監督)が短編部門のグランプリを受賞
1977/6/27
原爆小頭症患者の親らで作る「きのこ会」が生活指導費の直接支給を広島県、広島市に要望
1977/6/28
カナダの対日ウラン供給問題の日加米3国の事務レベル協議で、(1)二重規制が日本に与える不便を回避する(2)カナダによる対日ウラン供給再開を急ぐ-との前提に立ち、暫定取り決めによる処理をめざし具体的な検討に入ることで合意
1977/6/28
難航する日米核再処理問題交渉を打開するため専門家による日米合同調査が、茨城県東海村の核燃料再処理工場で始まる
1977/6/28
広島戦災供養会が総会で、広島市平和記念公園内の原爆供養塔に安置されている遺骨の名簿を作成し広島県内の寺院、教会などへの配布を決める
1977/6/29
朴東鎮韓国外相が国会外務委員会で、韓国は国家安保と民族の防衛のため必要とあらば核開発を行う可能性があることを示唆
1977/6/29
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が「ソ連は29日、セミパラチンスク実験場で地下核実験を行った」と発表
1977/6/30
荒木広島市長がソ連核実験抗議電報を在日ソ連大使館に打つ。7月1日、広島被爆者団体連絡会議の被爆者ら60人が広島市の原爆慰霊碑前で座り込む
1977/6/--
広島市幟町の旧幟町国民学校58期卒業生が同級生234人を追跡調査。被爆死95人、消息不明14人。12日に東白島町の妙風寺で合同慰霊祭
1977/6/--
在米被爆者の援護の決め手になる「米国被爆者援護法案」が下院に再提出。上院にも提出予定
1977/6/--
米カリフォルニア大の学生グループが在米被爆者の実態を伝える30分のスライドを製作
1977/6/--
無名の被爆者たちが描いた原爆画集「原爆の絵-HIROSHIMA」(童心社)が刊行
1977/6/--
サンフランシスコ郊外のサンベニト公立高校で米教師が「原爆は当然の報い」「ジャップ」と邦人留学生に暴言。日系米市民協会が抗議

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