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ヒストリー

ヒロシマの記録1977 11月


1977/11/1
米エネルギー省が「ネバダ実験場で1日、地下核実験を行った」と発表
1977/11/2
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報をマンスフィールド駐日米大使に打つ
1977/11/2
ブレジネフ・ソ連書記長が、革命60周年集会で「あらゆる核実験の禁止に合意する用意がある」と演説。バンス米国務長官が「現在交渉中の包括的な核実験停止協定に有益」と歓迎の意向を表明
1977/11/2
広島学院中学校の生徒が原爆資料館の英訳展示の誤りを調査、文化祭で発表。8行の説明文に12カ所のミスも。広島市が修正へ
1977/11/3
原爆医療と被爆者援護を推進した松坂義正氏が中国文化賞を受賞
1977/11/3
ワルトハイム国連事務総長がブレジネフ・ソ連書記長の核実験全面一時停止案歓迎の声明を発表
1977/11/3
ベトナム秘密文書をマスコミに流し、政府機密漏洩罪に問われた元国防総省の核問題分析研究家ダニエル・エルズバーグ氏がニューヨークの反核集会で「アイゼンハワー氏ら3人の大統領は特定の条件の下ながら、自らの持つ核兵器の使用権限を軍部に与えていた」と、原爆使用にまつわる最高機密の一部を暴露
1977/11/4
米核実験に抗議して、被爆者や労組員らが広島、三原、三次市の計6カ所で座り込み。広島県職組の被爆職員23人が初めて広島県庁前で座り込む
1977/11/4
山口県議会原子力発電調査特別委員会が、山口県豊浦郡豊北町の原子力発電所立地で事前調査了承
1977/11/5
カーター米大統領がクリンチリバー商業用見本高速増殖炉建設の予算法案に拒否権を発動
1977/11/5
米民間科学者団体「憂慮する科学者連合」が、米原子力規制委員会から入手した内部文書を基に「米国内の大半の原子力発電所の安全装置に欠陥」と表明
1977/11/6
京大農学部放射線遺伝学研究室の市川定夫助手が、ムラサキツユクサによる放射能汚染調査の結果を発表。関西電力高浜原子力発電所1、2号機周辺地で突然変異が自然現象の17%も多い
1977/11/6
広島市の旧大手町国民学校の疎開児童と教師が、疎開先の庄原市立田川小を32年ぶりに訪問。旧袋町国民学校の疎開児童と教師も三次市善立寺で同窓会
1977/11/6
長崎北ライオンズクラブが米戦略爆撃調査団の撮影したフィルムを基に、16ミリカラ-映画「長崎原爆の記録」を完成、長崎市に贈る(「長崎年表」)
1977/11/8
マーシャル諸島を訪れていた全電通被爆者協議会の松木忠生事務局長ら3人が帰国記者会見。「ビキニ被曝者2人を招き、広島原爆病院で治療したい」
1977/11/9
米エネルギー省が「ネバダ実験場で9日、地下核実験を行った」と発表。この年10回目
1977/11/9
広島県沼隈郡沼隈町の弥勒の里に収容されているベトナム難民52人が福山ライオンズクラブの招待で原爆資料館を訪れる(「増補ヒロシマの記録被爆40年写真集」)
1977/11/9
財団法人・広島平和会館(森滝市郎理事長)が3人の被爆証人捜し。広島県被団協(森滝市郎理事長)の運動を引き継ぐ
1977/11/10
茨城県東海村の核燃料再処理工場で国産プルトニウムを初抽出。819グラム。核分裂を起こすプルトニウム239と241を92.9%含む
1977/11/10
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報をマンスフィールド駐日米大使に打つ
1977/11/12
米核実験に抗議して広島市の原爆慰霊碑前など4市7カ所で被爆者や労組員が座り込み。初めて福山市でも実施
1977/11/14
荒木広島市長が核実験に抗議する書簡を米ソ両国の在日大使館に発送。抗議電に加えて広島市民の声、抗議行動などの写真を送る
1977/11/15
核兵器の完全禁止を求める署名運動推進連絡会議が東京で発足。呼び掛け人に湯川秀樹、松本清張氏ら52人。1978年5、6月の国連軍縮特別総会に向け全国で運動を展開へ
1977/11/15
資源エネルギー庁が、定期検査中の東京電力福島第1原子力発電所2号機、関西電力高浜1号機、中部電力浜岡1号機にひび割れなどの故障があったと発表
1977/11/16
奈良県立医科大で研究用の放射性同位元素トリチウムが半年前から紛失していたことがわかり、橿原署に届ける
1977/11/16
米原子力潜水艦ソードフィッシュが横須賀基地に入港。19日に出港
1977/11/17
島根県が県議会厚生商工委員会で、中国電力島根原子力発電所のひび割れ事故(3月)を調査した通産省の資料を公開
1977/11/17
米エネルギー省が「ネバダ実験場で17日、ことし11回目の地下核実験を行った」と発表
1977/11/18
日ソ民間原子力協定に調印。原子力平和利用の協力促進など決める
1977/11/18
原水禁国民会議(社会党・総評系)が山口市で西日本原水禁交流集会。19日まで。反原発闘争の盛り上げを確認
1977/11/19
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報をマンスフィールド駐日米大使に打つ。市長の抗議電はこの年20回目
1977/11/19
ジョン・ハーシー氏「ヒロシマ」の主人公の1人、ドイツ人神父ウィルヘルム・クラインゾルゲ(高倉誠)師が広島市で死去。71歳。ク神父は29歳で来日、39歳のとき広島市幟町の宣教師館で被爆。1959年に白血病と肝臓障害で認定患者に。晩年は広島県高田郡向原町を「第2の故郷」としてひっそりと住んだ
1977/11/20
米核実験に抗議して被爆者や労組員らが、広島市の原爆慰霊碑など3市4カ所で座り込み
1977/11/21
参院で「核防条約保障措置協定」承認。核物質が兵器に転用されないよう国際原子力機関(IAEA)の査察を受ける
1977/11/23
電車の中で被爆し、原爆白内障の認定第1号となった放射線影響研究所職員の竹田初枝さんが広島市内で乗用車にはねられ死亡
1977/11/23
中国が核弾頭付き中距離弾道ミサイル(IRBM)の飛行実験に成功。飛行距離は吉林省から新疆ウイグル自治区のタクラマカン砂漠までの2,500キロ
1977/11/23
仏軍筋が「仏は今週、ムルロア環礁で地下核実験を行った」と明かす。仏政府は論評を拒否
1977/11/24
野党5党が提出した被爆者援護法案が審議未了で継続審議に。25日、衆院本会議で正式決定
1977/11/24
荒木広島市長が仏核実験に抗議する電報を在日仏大使館に打つ
1977/11/24
在日英大使館付き武官のヒテンス大佐が諸谷義武長崎市長に軍艦の親善寄港を申し入れ。諸谷市長は記者会見で「核実験を今後行わない、核兵器を製造しない-という条件を受諾すれば認める」と事実上、要請を拒否。核保有国軍艦の寄港要請は1973年の仏ヘリ空母ジャンヌダーク以来2回目。仏は自主的に寄港を取りやめ
1977/11/25
仏核実験に抗議して被爆者や労組員らが広島市の原爆慰霊碑前など6カ所で座り込む。呉市内の被爆者らが初めて呉駅前で座り込む
1977/11/25
原爆白内障認定第1号で交通事故死した放射線影響研究所職員の竹田初枝さんの眼球水晶体が病理標本として永久保存されることが決まる
1977/11/30
広島県朝鮮人被爆者連絡協議会が広島市と広島県安芸郡海田町に広島市戸坂南1丁目、金源玉さんら10人の被爆者健康手帳の交付を申請
1977/11/30
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が「ソ連は30日、セミパラチンスク実験場で強力な地下核実験を行い、マグニチュード6.9の地震が記録された」と発表。同実験場で行われた最大級の規模
1977/11/--
広島市が架け替える相生橋の親柱を原爆遺跡として保存することを決める
1977/11/--
広島市が平和記念館の改装に着手へ。貸し会議室を廃止。平和センターの機能を強化
1977/11/--
広島市が観光客の実態調査。広島市を訪れる動機は「平和都市を見たい」が39%でトップ。広島の印象は「よい」が61%、「悪い」1.5%。「道路が広く緑が多い」「近代都市として整備されている」の印象が多い一方、「あまり見る所がない」「運転手のマナーが悪い」
1977/11/--
広島大の原爆に関する学術研究の大要をまとめた「生死の火・学術編・原爆と広島大学」が完成。広島大原爆死没者慰霊行事委員会が1972年から続けている事業のしめくくり
1977/11/--
米が海洋投棄した核廃棄物から放射能漏れの疑い。魚から放射能が検出されたり、異常に膨れ上がった海綿が見つかったためで、米連邦環境保護局がカリフォルニア近海の投棄個所を中心に調査を始める
1977/11/--
米ワシントン州ハンフォード・プルトニウム製造工場労働者の死因を調査していた米英合同の調査団が、長期間放射線にさらされた労働者に高率のがん死亡者が出ていることを突きとめ、これまでの被曝許容限度を決めた国際安全基準は不適当と報告

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