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ヒストリー

ヒロシマの記録1974 1月


1974/1/5
韓国慶尚南道陜川郡陜川面に完成した韓国被爆者診療センターの無料診療が始まる(「増補ヒロシマの記録被爆40年写真集」)
1974/1/6
広島市中町の被爆女性がガス自殺。53歳。「疲れた」との遺書
1974/1/10
被爆後遭難死したとみられる三菱重工の朝鮮人徴用工の遺族がソウルで「三菱徴用工遺族会」の準備会開く。被爆徴用工問題を調査している歌人の深川宗俊氏も参加。代表者に盧長寿氏を選び、遺族への補償や遺骨返還などを日本政府に要請へ
1974/1/11
インドの英字紙ヒンドスタン・タイムズが「ソ連がきれいな核爆弾開発のためインド洋で水中核実験を準備」と報道。ソ連政府は17日、否定声明
1974/1/14
「人間であるために」製作上映委員会(福田元彦代表)と新映画協会が、原爆投下に対する日本政府の責任と補償問題を問う原爆裁判映画「人間であるために」の製作に着手。19日から広島ロケ
1974/1/15
世界連邦広島県協議会と同県教育協議会が地球市民連合広島センター(加藤新一代表世話人)と同青年連合(山根昭彦会長)を結成
1974/1/16
広島県山県郡加計町の原田ハルエさん方で、黒い雨のシミが付いた柔道着が見つかる
1974/1/16
爆心地から500メートル以内の生存被爆者が原医研のアンケート調査で新たに29人判明。既判明者を含め100人以上と推定
1974/1/19
R・ビオネルシュタット国連軍縮部長が広島市を訪問。「軍縮を考える上で勉強になった」
1974/1/20
ニューヨーク・タイムズが「米国防総省が軌道修正可能な新型ミサイルの開発に着手」と報道
1974/1/20
英の詩人エドモンド・ブランデン氏が死去。77歳。「ヒロシマ1949年8月6日に寄するうた」の作者
1974/1/21
大平正芳外相が国会の外交演説で「核拡散防止条約の批准に向け、国際原子力機関(IAEA)との間で保障措置協定締結交渉開始の準備を進める」と表明
1974/1/21
韓国に原爆病院建設をめざす徳山ニューライオンズクラブが「韓国被爆者救援国際協会」を結成、募金活動へ
1974/1/21
長崎市が被爆二世の健康相談と一般診断を開始
1974/1/21
ルイス・ストロース元米政府原子力委員長が死去。78歳。生前「広島への原爆投下は原子兵器時代突入の口火を切ったのだから不必要というより悪いことだった」と語る
1974/1/22
広島市曙町5丁目の独居被爆女性が病気を苦に自殺。60歳
1974/1/23
仏海軍が「来年(1975年)、15,000トンの原子力空母の建造を始める」と表明
1974/1/25
仏の核実験予告に被爆者団体が「実験の固定化につながる」と強く反発
1974/1/25
「仏が水路通報で南太平洋ムルロア環礁での核実験を予告」。海上保安庁が発表
1974/1/28
沖縄県原爆被爆者協議会が「原爆医療法の適用が本土より10年間遅れた間の医療費自己負担分約3億2,000万円を支払え」と要求。厚生省が実態調査を約束
1974/1/28
在日ポーランド大使館の文化担当書記官が広島市とアウシュビッツ町との姉妹都市縁組を申し入れ 1974/1/28
総評被爆者連絡会議が初の幹事会。被爆者援護法制定運動の進め方を協議
1974/1/28
ソ連が複数目標弾頭(MIRV)の新しいミサイル(SS19型)の長距離発射実験。米が探知
1974/1/28
行政管理庁が「被曝の危険がある放射性同位元素の使用、管理がずさん」と、科学技術、厚生、労働、運輸の4省庁に改善勧告
1974/1/29
1972年に寄港した原子力潜水艦の放射能調査データねつ造が発覚。衆院予算委員会で不破哲三共産党書記局長が追及。「政府委託の日本分析化学研究所が行った横須賀寄港時の放射能調査結果の中に、原潜名も入港日時も違うのに結果が全く同じものが何組もある」。科学技術庁も事実を認める
1974/1/30
韓国人被爆者、孫振斗氏の「原爆被爆者健康手帳交付申請却下処分取り消し」訴訟の第8回口頭弁論(福岡地裁)。本人尋問で日本での居住を主張
1974/1/30
仏の核実験予告に対し、オーストラリアのウィルシー外相が「国際司法裁判所を通じ、あらゆる法的手段を駆使して反対を続ける」と表明
1974/1/30
原発・火電反対福島県連絡会議が東京電力福島第2原子力発電所の反対訴訟を福島地裁に起こす
1974/1/30
原子力潜水艦の放射能調査データねつ造問題で、科学技術庁が委託先の日本分析化学研究所を立ち入り検査。波光分析の36%、化学分析の40%でねつ造を確認
1974/1/--
広島で被爆死した米兵2人の名前を、当時通訳だった広藤鼎氏(広島県佐伯郡廿日市町)が証言。チャールス・モナーさんとロバート・バウムガードナーさん。後日、当時の看守も名乗り
1974/1/--
三菱重工広島造船所が戦時中の朝鮮人徴用工の調査開始を表明
1974/1/--
広島県佐伯郡廿日市町の宮内公民館で、旧平良村の死亡診断書綴や旧宮内村の罹災者収容名簿など原爆関係資料が見つかる。広島平和文化センターへ寄贈
1974/1/--
原爆によるケロイド治療のため広島市に来た被爆韓国女性鄭龍分さんの被爆者健康手帳申請を、広島市が却下

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