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ヒストリー

ヒロシマの記録1973 2月


1973/2/1
初代の原爆資料館長、長岡省吾氏が大竹市玖波町2丁目の自宅で死去。71歳。満州国(現中国東北部)ハルビン露支語専門学校(地質学専攻)卒。被爆当時、広島文理科大地質学教室嘱託だった長岡さんは山口県上関町で上陸用舟艇の退避壕造りに従事、広島の被災を知りその日のうちに広島に帰って残留放射能を浴びた。広島護国神社の御影石が溶けているのを知って「これはただごとではない」と感じたのがその後の長岡さんの生き方を決めたという。1949年、原爆被災資料の収集と調査を実施する専門職として広島市役所に勤務。1955年、資料館開設と同時に館長に。資料館の前身の中央公民館被爆資料室時代から集めた資料は約1,700点、資料館の生みの親、育ての親。1962年、館長を退職、1969年に広島市から功労賞を受けた
1973/2/1
全国被爆者青年同盟(山田隆則代表)が、広島市役所前で、「被爆者家族調査粉砕集会」を開く
1973/2/2
広島市議会の田辺正治、築地満両議員とABCC労組の上田登委員長、社会党の大原亨代議士らが、斎藤邦吉厚相に「ABCCを日本が主体的に研究できるよう再編成してほしい」と要望。厚生省は「6月までには結論を出したい」と述べる
1973/2/2
全電通中国被爆者連絡協議会(橋本一郎会長)が中国電通局に、被爆二世調査では「実態調査対策委員会」を設けてほしいと要望
1973/2/2
国労被爆者対策協議会(石川俊彦事務局長)、動労被爆者対策協議会(池田歳雄事務局長)、全電通被爆者連絡協議会(近藤幸四郎事務局長)、ABCC労組(上田登委員長)、県情報管理反対共闘会議(門田高亨議長)の5団体が広島県、市に「被爆者家族調査」で申し入れ。(1)援護対策を含め、調査目的を明確にせよ(2)放射線の遺伝的影響を科学的に掌握するには調査方法が不十分(3)調査範囲を爆心2キロ内に限定した根拠(4)手帳のない被爆者や死亡した人が調査対象になっていない(5)調査結果の取り扱いいかんでプライバシー侵害の恐れがある
1973/2/3
動力炉・核燃料開発事業団中部探鉱事務所が、岐阜県土岐市賎洞で、岡山県の人形峠を質、量とも上回るウラン鉱を発見と発表
1973/2/5
山田広島市長が「被爆者家族調査」に引き続いて第2次調査の実施を表明。「現在の調査は基礎調査。具体的な被爆二世の援護対策を立てるためには、1次調査の終わった人から順に2次調査をやりたい」
1973/2/5
原爆小頭症の子を持つ広島市の母親が、子どもの将来を案じながら死去。「この子の生ある限り、人間としてなすべき道は歩ませたい。容姿、形はどうあろうとも、健康でこの子と将来を共にしてくれる嫁を迎えて、私はこの世を去りたいと念願しています」。願いはかなえられないままの死だった
1973/2/6
オーストラリアのマーフィ法相が「太平洋の仏核実験継続に反対して、国際司法裁判所に提訴の準備をしている」と表明
1973/2/6
ニクソン大統領が、米政府原子力委員会委員長に女性のディキシー・レイ博士を任命
1973/2/7
広島の地域や職域の被爆者組織8団体でつくっている被爆者問題懇話会が、被爆者援護法の制定を政府に要求を決める。2つの広島県被団協、国労被爆者対策協議会、全電通被爆者連絡協議会など
1973/2/9
原水禁国民会議の森滝市郎代表委員ら7人が国会内で二階堂進官房長官に、韓国人被爆者の救援と被爆者援護法の制定を訴え。東京・九段会館で「被爆者援護法制定要求・朝鮮人被爆者救援集会」。森滝市郎氏は「現行の原爆医療法、被爆者特別措置法は発病し、しかも認定枠内の限られた患者にしか適用されず、発病する可能性のある被爆者に予防措置をとるものではない」と強調
1973/2/9
胎内被爆者・被爆二世問題対策会(深川宗俊会長、15団体)が「被爆者家族調査」はデータをABCCに利用される疑念があると広島県、市に公開質問状
1973/2/10
被爆二世連絡会議(国労被爆者対策協議会、動労被爆者対策協議会、全電通被爆者連絡協議会、被爆教師の会など6団体)が、山田広島市長に「被爆二世の無料健康診断の実施」「医療、生活面の救援」などを申し入れ
1973/2/11
米原潜パッファーが、沖縄県ホワイトビーチに入港
1973/2/12
劇団民芸が、広島市公会堂で「銀河鉄道の恋人たち」を公演。原爆に引き裂かれた広島の恋人たちの姿を幻想的に描く
1973/2/12
山田広島市長が被爆二世対策として(1)無料健康診断(2)被爆者家族調査の補足調査実施-を記者会見で表明
1973/2/12
仏消息筋が、仏政府は4月末か5月の核実験を最後に、地下核実験に移行すると述べる。地下核実験場は南太平洋マルケサス諸島のエイアオ島
1973/2/13
原爆症認定却下で、福岡市博多区の山本末枝さんが斎藤邦吉厚相に異議申立書を提出。「低形成性貧血は放射能によって骨髄機能が低下したためで、被爆が原因」
1973/2/15
広島市の被爆二世は最低限でも6万6,627人。広島市が住民基本台帳からはじきだした数字を発表。男3万3,446人、女3万3,181人
1973/2/15
広島市西川口町の被爆女性が自殺。病弱を苦か。死亡推定時刻は13日午後
1973/2/18
米原潜クイーン・フィッシュが、横須賀港に入港。米原潜の横須賀入港は70隻目
1973/2/19
被爆二世対策で広島市が混乱。市長と所管の衛生局で意見の食い違い。竹本毅衛生局長が被爆二世問題連絡会との「合意事項は食言」と陳謝する
1973/2/20
25カ国参加のジュネーブ軍縮委員会が開会。日本などが力を入れている地下核実験禁止がテーマ
1973/2/20
エドワード・ケネディ議員ら米上院議員30人が、核実験の全面禁止についてソ連と交渉するよう要求する決議案を上院に提出
1973/2/20
被爆二世をテーマにした深川宗俊氏の詩「愛のうた-ヒロシマの子」が、東京・上野の東京文化会館での東京女声アンサンブル第4回演奏会で初演。作曲家の安達元彦さんが深川さんに依頼しつくった
1973/2/20
山田広島市長が「被爆二世対策は調査の結果を待って検討する」と記者会見で表明。「調査と並行して援護する」と述べた竹本毅衛生局長の言葉を訂正
1973/2/21
広島県の阿部克己衛生部長が被爆二世対策で(1)必要に応じた健康診断の実施(2)緊急救護の必要が生じた場合、公費による法外援護措置(3)実施体制を4月からつくり、制度化も努力-の方針を被爆二世問題連絡会に示す
1973/2/22
原子燃料工業(本社東京)が、インド政府の原子力機関バーバ・アトミック・リサーチ・センターから、「ジルカロイスペーサー」を受注と発表。わが国の商業用原子力発電部品輸出は初めて。同工業は前年7月、住友電気工業と古河電気工業が設立
1973/2/22
原爆病院の累積赤字8,000万円強に。病院運営委員会(会長、山田広島市長)が改善策話し合う
1973/2/25
東京・夢の島で第五福竜丸保存委員会が、陸上保存はされたが、野ざらしの第五福竜丸の永久保存を訴え、記念集会開く
1973/2/25
反核平和団体グリーン・ピースから、広島ワールド・フレンドシップ・センターに「連帯して仏の核実験に抗議しよう」との便り届く。呼応し抗議電報の打電、ニュージーランドの反核団体に激励、カンパなど送る
1973/2/25
林光氏作曲の「原爆小景」(原民喜氏作)がレコード化、ビクターから発売
1973/2/26
ヒロインが被爆二世という広島テレビのドラマ「瀬戸の恋歌」の撮影始まる。松山善三氏監修
1973/2/26
広島市が緊急被爆二世対策決める。調査結果を待たずに実施を原則とし、(1)希望に応じ無料健康診断(2)医療援護も現行法を最大限活用して実施(3)4月から実施できる体制をとる-など。無料健康診断は親が被爆者健康手帳を持つ希望者を対象とし、市内3保健所で実施
1973/2/27
国労被爆者対策協議会が進めている国鉄原爆犠牲者慰霊碑の建設場所が、広島市東白島町の常盤橋西詰め河岸緑地と決まる
1973/2/27
日本原水協の被爆二世運動全国交流会が静岡市の静岡県民会館で開く。被爆二世の組織化を話し合う
1973/2/27
日本原水協の招きで来日している「反戦ベトナム帰還兵の会」のスチーブン・ホーキンス元米空軍軍曹が、「復帰前の沖縄嘉手納基地で核爆弾を見た」と証言
1973/2/27
米原子力潜水艦ピンタードが横須賀入港。米原潜の日本入港は91回目
1973/2/28
大竹市文化協会の畠中武義理事長らが「流しびな」をもって広島原爆病院を慰問。3回目
1973/2/28
原水禁国民会議が静岡市の静岡県評会館で「ビキニ被災19周年3・1原水禁活動者討論集会」。200人が集まる。日本原水協は静岡市の駿府会館で「被災19周年3・1ビキニデー全国中央集会」、3,000人が参加
1973/2/--
岡山県が初の単県原爆被爆者対策として「被爆者への啓発普及活動費」15万円を予算化。県内の被爆者3,100人、1人あたり50円
1973/2/--
名古屋大プラズマ研究所(伏見康治所長)で、わが国最大の瞬間大電流発生装置が完成。1億3,000万キロワットを放電
1973/2/--
被爆二世問題で被爆者団体が大同団結し被爆二世問題連絡会発足。加盟団体は当初は6団体だったが、その後、政党の枠を超え13団体に増える。国労被爆者対策協議会、動労被爆者対策協議会、全電通被爆者連絡協議会、広島県被爆教師の会、同高校被爆教職員の会、全逓被爆者協議会準備会、全専売被爆者対策協議会、両広島県被爆者団体協議会、ABCC労組、胎内被爆者被爆二世問題対策会、広島県労会議、同県情報管理反対共闘会議

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