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ヒストリー

ヒロシマの記録1973 10月


1973/10/2
ワルトハイム国連事務総長が、国連大学の日本設置を総会に勧告。国連大学広島誘致期成同盟会(会長、永野厳雄広島県知事)が活気づく
1973/10/7
日本被団協が東京で「被爆者援護法制定を迫る全国活動者会議」。11月に延べ2,500人で大陳情へ
1973/10/8
米原潜ガードフィッシュが横須賀に入港
1973/10/9
在米被爆者の救援活動を続けているトーマス・ノグチ氏(ロサンゼルス郡検視局長)が広島市を訪れ、山田広島市長と懇談。米国原爆被爆者協会の岡井巴会長も同席。ノグチ氏は「在米被爆者の医療保障のため、災害保護法の改正案が1975年ごろには成立の見込み」と語る
1973/10/11
原水禁国民会議が原爆被爆者援護法制定の要求骨子を発表。「日本被団協、共産党が提案している援護法を基本的に支持」。日本原水協に同法制定のための一日共同行動を呼びかけ
1973/10/11
原水禁国民会議が米政府原子力委員会に、中部太平洋のビキニ、エニウェトク両環礁の汚染土の除去と、旧住民の両環礁への帰還中止を要請へ
1973/10/12
米がネバダでこの年7回目の地下核実験を実施。規模は20キロトン以下
1973/10/13
第1回全国平和教育シンポジウムが、全国から約250人の教師が集まり広島市で始まる。14日も。広島平和教育研究所(宅和純理事長)の主催。文学、歴史、芸術など7分科会で平和教育の進め方を論議。1974年5月を目標に平和教育研究協議会を結成、被爆30周年の1975年には国際平和教育シンポジウム開催を決める
1973/10/13
広島市の私立鈴峯女子高校が同校体操部の自衛隊パレード前夜祭「第7回県民と自衛隊のつどい」への出演中止を決める
1973/10/14
広島「折鶴の会」がハワイ在住の広島県出身者に託した千羽づるが、真珠湾のアリゾナ記念館にささげられる。届けたのはホノルル市の末田条一さん
1973/10/17
広島原爆病院運営委員会(会長、山田広島市長)が、赤字解消のための小委員会設置を決める
1973/10/18
厚生省の委託を受け、被爆二世の健康調査をする「広島地区原爆後障害研究会」が、広島被爆者福祉センターで初会合。被爆二世の罹病状況の解明をテーマに基礎資料づくりへ
1973/10/23
米の平和活動家バーバラ・レイノルズさんが、オハイオ州ウィルミントン・カレッジ(ロバート・ヘーンショー学長)に「広島・長崎記念館」の建設準備で広島入り。記念館に収める被爆資料を収集へ。24日、山田広島市長に協力を要請
1973/10/24
日本原水協が、日本被団協の「被爆者援護法制定11月中央行動」の支援、共闘を決める。原水禁国民会議とは「国家補償の見解が違う」-と共闘せず
1973/10/24
山田広島市長の自衛隊パレード観閲中止を求めて広島市役所へ抗議相次ぐ。広島市公会堂で開いた「自衛隊パレード阻止市民集会」に約1,500人が参加
1973/10/25
広島市で開かれた全国更正保護大会に出席した高松宮が原爆慰霊碑に参拝
1973/10/26
英ヨークシャーテレビの一行が広島入りし、3日間の日程で被爆都市広島の取材を始める。アントニー・トーマス監督ら7人。廃虚からスタートし、高度成長をとげた日本の象徴として広島を取り上げる
1973/10/26
米政府原子力委員会が「ソ連が1ないし2回の地下核実験を行った」と発表。1回はセミパラチンスクで200キロトン級、次いで南部ウラル地方で20キロトン以下▽スウェーデンのウプサラ大地震研究所は26日から28日までに4回の地下核実験を探知。新華社が伝える
1973/10/26
原子力船「むつ」が青森県むつ港に係留されて1年。出力試験実施のメドつかず
1973/10/26
中国電力と島根県、鹿島町が島根原発の安全協定改定に調印。改正点(1)環境放射能の測定は県の独自計画に従う。異常時には原発敷地内の放射能データを県に提出(2)測定結果の公表は県の判断で行う(3)運転の一時停止につながる事故はすべて県に連絡(4)立ち入り調査権の拡大
1973/10/28
被爆者の染色体異常は長崎より広島が多い-。ABCC臨床検査部の阿波章夫研究員が徳島市で開いた人類遺伝学会で発表。ウラン爆弾の広島原爆の方がプルトニウム原爆の長崎より中性子量が多いためとみられる
1973/10/28
自衛隊創立22周年を記念し陸上自衛隊第13師団が、広島市基町の県庁前通りをパレード。栗栖弘臣師団長、永野厳雄広島県知事、山田広島市長らが観閲。徒歩部隊1,000人、砲12門、戦車25両、航空機11機が参加。観衆4万3,000人。6,000人を超す反対派の賛否が渦巻く
1973/10/30
山田広島市長が広島市十日市地区の住民との「市長を囲む会」で、「爆心に近い本川小は改修、保存したい」と述べる
1973/10/--
爆心から800メートルの広島市基町の第2陸軍病院で被爆した松江市の元陸軍予備軍医が被爆体験記を出版へ。開業医の飯尾勝海さん
1973/10/--
厚生省が1975年に予定している全国被爆者実態調査について、松坂義正原対協副会長が試案。被爆人口、被爆二世、生活史などの調査に重点
1973/10/--
黒い雨汚染の特別被爆地域に指定されている広島市祇園町東原の「飛び地」、和久繰地区をめぐり、周辺地区から不満
1973/10/--
被爆に耐えた広島市の西平和大橋水道橋(本川)を取り壊し。1924年に完成、広島市の東西を結ぶ上水の動脈だった
1973/10/--
広島市が原爆被災全体像調査の大幅な遅れ解消のため、調査員を倍増し1975年度完了をめざす 1973/10/--
米核実験のためキリ島へ強制移住させられていたビキニ島民が10月末、27年ぶりに帰島へ。米信託統治領政府発行の週刊誌「ミクロネシアン・ニューズ・サービス・ウイーク・イン・レビュー」が掲載。最初は40家族

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