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ヒストリー

ヒロシマの記録1972 11月


1972/11/2
尾道市原田町、農業桑原忠男さんの「原爆症認定訴訟」第7回口頭弁論が広島地裁で開かれ、原告側が最終弁論。「放射能と病気との因果関係は国に立証責任」
1972/11/2
広島の被爆者で「日本子どもを守る会」常任理事の山口勇子さんら5人が、北ベトナム市長に招かれ同国へ出発。北爆の実情を調査、14日に帰国
1972/11/2
「創価学会」の池田大作会長が第35回本部総会で、「戦争絶滅・平和確立・人間尊重を目標とする宗教者の立場から国内外で平和運動を繰り広げていく」方針を打ち出す
1972/11/2
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が「ソ連は2日、メガトン級の地下核実験をした」と発表
1972/11/3
広島女学院高校(広島市上幟町)の文化祭で、演劇クラブ(宇根澄恵部長)が原爆創作劇「ある軌跡」を上演。折鶴の会同好会(内山景子部長)も8月の韓国訪問時に聞いた在韓被爆者5人の証言を写真入りで展示
1972/11/4
広島電機大付属高校(広島県安芸郡海田町)の普通科1年有志20人が、文化祭で「韓国人被爆者救援展」を開く。5日も
1972/11/8
広島大理学部のボイラー室の地下に被爆者の遺骨数柱が眠ったままであることが判明。旧広島文理科大職員の中薗喜節さん(鹿児島市在住)の知らせをもとに、被爆当時の教職員6人が集まって証言を出し合う。1945年8月8日に理学部2号館北側で火葬した遺体のうち引き取り手のない遺骨と、その後発見された身元不明の遺骨数柱が、同年11月ごろ、ボイラー室付近に埋葬されたことを確認。現在は建物の下で発掘不可能なため処理を検討へ
1972/11/8
日本傷痍軍人会、同妻の会全国合同大会に出席のため広島を訪問の高松宮夫妻が原爆慰霊碑に参拝、広島原爆病院を慰問
1972/11/8
第25回野間文芸賞に、佐多稲子氏の「樹影」(講談社刊)が決まる。長崎で被爆した中国系女性と被爆直後に入市し遺体処理に従事した画家の愛を縦糸に、原爆、民族などの問題を描く長編
1972/11/9
被爆者青年同盟(山田隆則代表)がABCCを訪れ、「被爆二世への遺伝研究は二世を不安に陥れ、差別を助長する」とラパポート総務部長に糾弾文
1972/11/10
「世界連邦広島県教育者協議会」の設立総会が広島YMCAで開かれ、教育関係者約30人が出席。会長に飯島宗一広島大学長。地球市民意識を基調にした教育活動の推進が目的。県単位では石川、岡山県に次いで3番目
1972/11/10
北陸電力が富山支店各営業所管内の新聞、放送記者の身上調査をし貢献度でランク付けしていたことが分かり、富山県マスコミ共闘会議と新聞労連北信越地連が「人権侵害」と声明。17日、同社へ抗議
1972/11/11
山田広島市長が記者会見で、原爆被災資料の収集に関連し「市民協力を得て積極的に収集し、貴重な原爆文献は市費で買い取ってもよい」と述べる
1972/11/13
米原子力潜水艦クイーンフィッシュが横須賀港に入港。2分間停泊し出港。米原潜の日本寄港は82回目
1972/11/13
独自の平和活動を続ける長野県下伊那郡豊丘村の婦人会代表2人が広島市を訪れ、救援金4万円を寄付。同村出身の被爆孤老、桑原ハナさん(荒神町小学校用務員)にも金一封を贈って激励。7回目
1972/11/13
通産省が欧州の核燃料再処理工場を実態調査のため、「欧州再処理調査団」(団長、高島洋一東京工大教授)を派遣
1972/11/14
中国の姫鵬飛外相が「中南米に非核地帯を設けるという中南米諸国の主張を支持する」と声明
1972/11/15
原水禁長崎県民会議(岩松繁俊事務局長)が、同県五島の男女諸島を原子力発電所の放射性廃棄物集中処理地の候補地として調査することを決めた科学技術庁に対し抗議文を送る
1972/11/15
科学技術庁が、「日本原子力研究所(茨城県東海村)で14日午後、放射性同位元素を運搬中のトラックの放射能汚染事故があった」と発表。イリジウム192とクロム51を搬送したトラックの荷台が汚染、程度は許容量内
1972/11/15
ビキニ水爆実験(1954年)で死の灰を浴びたマーシャル諸島の少年、レコジ・アンジャイン君が白血病のため米メリーランド州ベセズダの全米保健研究所病院で死去。19歳。米ブルックヘブン研究所が17日に明かす
1972/11/16
政府が米海軍横須賀基地の周辺に米第7艦隊旗艦・空母ミッドウェー乗組員の居住を認める方針を横須賀市に通知。事実上、同港の米空母母港化を認める。22日、横須賀市は「原子力空母は寄港させない」などの条件付きで母港化受け入れを外務省に文書回答
1972/11/16
国連総会第1委員会で、日本など太平洋諸国12カ国が共同提案した太平洋での大気圏核実験停止決議案を賛成106、反対4で採択。反対は中国、仏、アルバニア、ポルトガル。決議は仏核実験停止が目的
1972/11/17
原子力委員会の原子炉安全専門審査会が、100万キロワット級の日本原子力発電会社東海第2発電所と東京電力福島原発6号機、および50万キロワット級の四国電力伊方原発の3原子炉をいずれも安全と結論
1972/11/19
米原子力潜水艦クイーンフィッシュが佐世保港に入港
1972/11/20
ABCCのジョージ・ダーリング所長が離任を前に記者会見。「ABCC再編成問題の解決を見ないまま帰国するのは心残り。一日も早い解決を期待
1972/11/21
第2次米ソ戦略兵器制限交渉(SALT2)がジュネーブの国連機関ソ連代表部で開幕
1972/11/21
広島市似島町の似島中学校グラウンドから発掘された被爆者の遺骨517柱の霊をまつる「原爆死没者慰霊碑」が完成し、発掘1周年の現地で除幕式。遺族や同校生徒、山田市長ら約200人が参列
1972/11/21
国連総会第1委員会が、日本、カナダなど18カ国提出の化学兵器禁止に関する決議案を採択
1972/11/24
15年間、ABCC所長を務めたジョージ・ダーリング博士が広島を離れる。母校のエール大学教授に帰任予定
1972/11/24
日赤長崎原爆病院で検診を受けるため長崎市を訪れていた沖縄の被爆者9人が、諸谷義武長崎市長に「本土並みに集団検診を実施」を要請(「長崎年表」)
1972/11/27
グンナー・ヘクシャー駐日スウェーデン大使夫妻が広島を訪れ、原爆慰霊碑に参拝
1972/11/27
レアード米国防長官が「ソ連は27日、射程7,200キロの新型核ミサイルの発射実験を実施した-と28日に発表。米のポラリスに相当する核ミサイル
1972/11/27
科学技術庁が過去1年間の「原子力開発利用動態調査報告書」を発表。1971年度の民間の原子力発電所建設費は1,378億円で、前年度比57%増と過去最高
1972/11/29
米原子力潜水艦クイーンフィッシュが横須賀港に入港
1972/11/29
国連総会本会議が武力不行使、核兵器使用の永久禁止に関するソ連決議案を賛成73、棄権46、反対4で採択。日本や西欧諸国は棄権、中国は反対
1972/11/29
国連総会本会議が南太平洋での大気圏核実験停止を求める決議を賛成105、反対4で採択。反対は中国、仏、アルバニア、ポルトガル
1972/11/--
広島市が1969年から進めている原爆被災全体像調査の実施計画の再検討を始める。予算、人員不足で目標の1975年調査完了がほぼ不可能に。爆心500メートルから2キロ内の旧114町が対象。復元作業は90町を終えて残る24町を作業中だが、被爆死亡者と生存者を追跡確認する本格調査は来年度から
1972/11/--
フィリピン・ルバング島の生き残り日本兵、小野田寛郎さんの救出活動を続ける救出促進会から山田広島市長に、「投降呼びかけビラに使用したいので被爆写真と復興した広島の写真を送ってほしい」と手紙が届く
1972/11/--
ユーゴスラビアの代表的詩人、ズラトコ・ゴリアン氏が広島を訪れ、中国新聞社で「自作の長編詩『ヒロシマ』を訳してほしい」と希望を語る
1972/11/--
「東京原爆被爆二世の会」が結成。両親が広島で被爆した法政大1年の西川省吾さんらが呼びかけ。(1)被爆二世の健康管理と医療の実現(2)全国の被爆二世の会との連携-などを掲げる
1972/11/--
ブラジル・サンパウロ市のヒロシマ中学校と姉妹縁組した広島「折鶴の会」が原爆展示用写真25枚と「広島県史・原爆資料編」などを贈る。南米移住船として最後の航海に出たぶらじるの川島裕船長に託す

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