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ヒストリー

ヒロシマの記録1970 9月


1970/9/1
米ソがジュネーブ軍縮委員会で海底非核化条約の最終草案を提出。3日、国連総会へ送付
1970/9/4
「中国は1発20キロトンに換算して、約120発の原爆を保有」。英戦略研究所が年次報告書で発表 1970/9/4
広島市平和文化推進会議が「広島平和財団」の結成を市に要請へ。原爆資料館の入場料や原爆慰霊碑のさい銭をプールし、平和使節団の派遣など平和事業の推進に充てる
1970/9/7
ケニアのジャーナリスト、クル・プーシャン氏が広島市入り。「核時代のギタ(聖典)」執筆のため被爆者らから取材
1970/9/9
中曽根康弘防衛庁長官がレアード米国防長官と会談。濃縮ウランの秘密情報公開を要望
1970/9/10
米原子力潜水艦アスプロが横須賀入港(9・10夕)
1970/9/10
「日本への核の脅威に対し米の抑止力が機能している限り、日本が核武装する可能性は全くない」。訪米中の中曽根康弘防衛庁長官がワシントンで講演
1970/9/11
日本初の放射能調査船きぬがさ、さいかいの2隻が進水
1970/9/16
米の平和団体「平和のための母親会議(AMP)」から広島の母親に世界平和実現のための連帯を呼びかける手紙が相次いで中国新聞社に届く
1970/9/18
第五福竜丸保存委員会(中野好夫氏ら代表委員7人)の第五福竜丸永久保存工事が東京湾の夢の島で始まる
1970/9/19
ノーベル平和賞受賞者らを招く「ヒロシマ会議」委員会が会議の開催を11月2日と決める。フィリップ・ノエルベーカー、アイラ・モリス氏らから出席の返事。全国募金展開へ。開催はその後11月28日に変更
1970/9/19
日本原水協が結成15周年記念式。佐久間澄代表理事「核兵器禁止の目標は実現していない。この間、米など核保有国は何度か核の引き金に手をかけたが、それを抑えてきたのは原水禁運動の成果」
1970/9/20
被爆直後の広島を襲った枕崎台風(9月17日)の犠牲になった京大原爆災害調査班(教官、学生ら11人)の慰霊碑が現地の広島県佐伯郡大野町に完成。遺族ら80人が出席して除幕式
1970/9/20
「原爆の図」米巡回展のため、丸木俊さんや安井郁丸木美術館長らが東京・有楽町で街頭募金
1970/9/24
在日米大使館が沖縄のB52を近く撤去すると外務省に通告。屋良朝苗琉球政府主席は「一時的な移駐ではなく永久撤去を望む」と声明
1970/9/25
広島市の平和記念公園内にある「嵐の中の母子像」建設10周年記念大会。広島市婦人会連合会の会員ら80人が参加
1970/9/25
原爆記録映画「ヒロシマ原爆の記録」の英語版が完成、広島市の原爆資料館で試写会
1970/9/25
米国防総省が「ソ連がキューバにポラリス型原潜の寄港可能な潜水艦基地を建設中」と発表。ソ連はタス通信を通じ否定
1970/9/27
ニューヨーク・タイムズが「沖縄の核兵器を持ち帰るかグアムや韓国へ再配置するかで、米政府内の意見が対立」と伝える
1970/9/29
中曽根康弘防衛庁長官が参院内閣委員会で「今後防衛費は国民総生産(GNP)の約1%にするのが妥当と思う」と答弁

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