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ヒストリー

ヒロシマの記録1969 9月


1969/9/10
広島県甲奴郡甲奴町、繁森アサさんが、広島市内で被爆死した夫・止一さん(広島市立第一高女教頭)の最期を知る同市江波南3丁目、河野静樹さんをたずね当て、当時の様子を聞く。爆心500メートルの旧木挽町で建物疎開作業中だった止一さんは生徒らと被爆。日本放送出版協会が発刊した「原爆爆心地」に、「市女の教頭」の最期に遭遇した河野さんの記述があったのが面会のきっかけ
1969/9/12
英戦略研究所が各国の軍事力現況を比較した年次報告「軍事バランス1969~70年度」を発表。(1)中国の核兵器開発は西側が予想したほど進んでいない(2)ソ連は大陸間弾道ミサイル(ICBM)で米に肩を並べた-と分析
1969/9/15
タス通信がソ連無人衛星コスモス298号打ち上げ伝える。西側筋はソ連の部分軌道爆撃システム(宇宙爆弾)の実験再開と観測
1969/9/16
第24回国連総会が開幕。ウ・タント事務総長は前日の15日、記者会見で核戦争の脅威の増大を警告し、米ソ英仏中の核保有5カ国の軍縮交渉を要望
1969/9/16
日本政府が米のアリューシャン列島アムチトカ島地下核実験に伴う立ち入り禁止区域設定に対し、「公海の自由の制限は遺憾。損害補償を請求する権利を留保する」と申し入れたことを発表
1969/9/17
関西電力が米ウエスチングハウス社から核燃料管理技術導入を明らかにする。米原子炉メーカーが核燃料管理技術を公開するのは初めて
1969/9/17
法務省広島出入国管理事務所が広島在住の米平和運動家アール・レイノルズ氏に「26日までに出国するよう」勧告。ヨットでの中国親善航海をめぐり法務省が在留延長を許可せず、5日で在留期限切れ
1969/9/18
広島入国管理事務所から出国勧告を受けた米平和運動家アール・レイノルズ氏が法務大臣を相手取り、再入国拒否処分の取り消しを求める行政訴訟を広島地裁に起こす
1969/9/18
米政府原子力委員会が米航空宇宙局(NASA)と共同計画の原子力ロケットエンジン実験に成功
1969/9/18
広島・長崎原爆被爆者援護対策協議会の幹事会が長崎市で2回目の打ち合わせ会。(1)被爆者健康管理の強化(2)被爆者の所得制限緩和(3)被爆者保養センター設置(4)被爆者実態調査の実施-など7項目を政府に要望へ
1969/9/19
愛知揆一外相が国連本部で仏のシューマン外相と会談。シ外相が「ジュネーブ軍縮委員会は中国が入らなければ実効は上がらない。核拡散防止条約で核の独占体制を作ることには反対」と述べる。仏は軍縮委に加わりながら出席していない
1969/9/19
ウ・タント国連事務総長が恒例の年次報告序文を発表。核軍拡の脅威が増大しており、1970年代を「軍縮の10年」にするよう提案
1969/9/20
米原子力潜水艦スヌークが横須賀港に入港。米原潜の日本寄港は30回目。10月2日に出港
1969/9/21
ソ連ボルゴグラード市を訪問した広島市の医師使節団(団長、重藤文夫広島原爆病院長)一行4人が帰国。約2週間、がん研究所など各医療施設を視察。テレビで原爆医療の現状も話す
1969/9/22
広島市が市平和文化推進審議会(山本正房会長)に広島国際文化会館の構想を発表。市中央卸売市場跡(同市加古町)への建設計画に対し、委員側から「平和記念公園内の市公会堂と新広島ホテルを取り除き、その跡地に建てるべき」との意見も
1969/9/22
広島市平和文化推進審議会が「ABCC問題小委員会」を設け、ABCC日本移管問題などを検討して日米両国政府に働きかけを強める方針を決定
1969/9/22
ニクソン米政権発足後初の米ソ外相会談がニューヨークで開会。懸案の核ミサイル制限交渉の予備交渉開催で合意
1969/9/22
中国が22日に初の地下核実験を行った-と米政府原子力委員会が28日に発表。中国の北京放送(10月4日)は「23日、わが国は成功裏に初の地下核実験を行った」と発表
1969/9/24
米政府原子力委員会が「アリューシャン列島で『ミルロー計画』と呼ぶ大規模な地下核実験を10月2日に実施する」と発表
1969/9/24
社会党と総評が反戦青年委員会の新全国組織「反安保反戦青年中央協議会」を10月に発足させることを決定
1969/9/25
日本原子力委員会が、日本原子力研究所で3年前に発見された動力試験炉の圧力容器ひび割れについて「安全上は問題ない」と佐藤首相に答申
1969/9/25
大阪万国博で日本政府館の内壁を飾る原爆展示のタペストリー(つづれ織り)の制作が京都・西陣の竜村美術織物で始まる
1969/9/26
共産党が在日米大使館に、アリューシャン列島アムチトカ島の地下核実験中止を求めるニクソン大統領あての抗議文を手渡す
1969/9/26
米政府原子力委員会が「ソ連は26日、ボルゴグラードの西方で地下核実験を行った」と28日に発表
1969/9/26
広島県警が広島市の平和記念公園でサーキット族の取り締まりを実施。警官120人を動員
1969/9/27
急性白血病で広島大付属病院に入院中の被爆二世、森井昭夫ちゃんが死去。広島県教組、同県被爆教師の会などの供血運動で約250人が提供を申し出
1969/9/27
ジュネーブ軍縮委員会から帰った政府の朝海浩一郎代表が佐藤首相に帰国報告。「核軍縮を推進するわが国の立場から核拡散防止条約をできるだけ早く調印した方が望ましい」と進言
1969/9/28
広島市と姉妹都市縁組しているハワイ・ホノルル市のフランク・ファージー市長夫妻らが広島を訪問。29日、原爆慰霊碑に参拝。山田市長に「両市の上下水道専門技師の長期交換」を提案
1969/9/29
米政府原子力委員会が「中国は29日、ロプノル地区の低空で約3メガトン級の核実験を行った」と発表。中国核実験では最大規模。山田広島市長が30日、抗議談話を発表。10月4日に北京放送は「成功裏に新しい水爆の爆発が行われた」と発表
1969/9/29
米上院外交委員会の公聴会で、スタンフォード大ピッツァー学長がアリューシャン列島アムチトカ島での米核実験に関し「大規模な地震を誘発する恐れがある」と中止を要求
1969/9/29
米バークリー市のG・L・ニーリー氏が被爆後の広島市内で見つけた寺院の鐘を、所有者の西蓮寺(同市大手町1丁目)に返す。1945年11月、米海軍将校として広島市入り。鐘は戦前に供出され、元産業奨励館(現原爆ドーム)で半鐘に使われる
1969/9/30
中国の周恩来首相が中国建国20周年レセプションで演説。「われわれが核兵器を開発するのは完全に防御のためであり、核独占を打破するためであり、最終的な目標は核兵器の消滅にある」と改めて強調
1969/9/30
広島県会で松江澄議員(労働者党・広島)が「沖縄被爆者に県が積極援助を」と質問。永野厳雄県知事は「前向きに考えたい」と答弁
1969/9/30
内閣放射能対策本部が中国核実験に伴い対策を協議。防衛庁、気象庁など関係機関が監視体制に
1969/9/--
日経連が核拡散防止条約について「調印反対」の方針を固める。政府に要望へ。反対理由は(1)条約が発効すると非核保有国が不利になる不平等な内容(2)将来の原子力開発に支障-など
1969/9/--
移動演劇さくら隊の隊長として広島で被爆した俳優丸山定夫の最期を克明につづった手記が原爆資料館に寄せられる。広島で難を免れた珊瑚座座長の乃木年雄さんの手記「移動演劇さくら隊原爆殉難記」。1945年8月15日に宮島で死亡した丸山の臨終の様子などを記す
1969/9/--
広島市が被爆者援護の市独自措置として特別被爆者介護手当付加金(1日300円限度)と被爆身体障害者福祉手当(月2,000円)の2制度新設を計画。付加金は11月、福祉手当は12月実施へ
1969/9/--
美術家平和会議から広島県被団協(田辺勝理事長)に原爆犠牲者の肖像画42点が届く。10年目で総数は約400点に
1969/9/--
英の原子力発電所6カ所のマグノクス改良型原子炉で圧力容器上部の腐食が見つかり、英原子力公社が日本とイタリアに輸入同型原子炉の点検を申し入れ。日本原子力発電は25日、東海村にある発電所の同型原子炉について「炉の安全性に問題はない」と発表

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