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ヒストリー

ヒロシマの記録1969 12月


1969/12/1
広島原爆被害者援護強化対策協議会(任都栗司会長)が原爆被爆者特別措置法の改善、強化を要求する陳情書をまとめる。1970年度予算編成中の政府や国会などに送付へ。(1)被爆者健康管理、医療制度の充実、強化(2)被爆者保養施設の充実(3)被爆者補償制度の確立-など6項目 1969/12/1
「原水爆被災資料の収集、保存、利用の方法に関する基礎的研究班」(班長、志水清広島大原医研所長)の第2回会議が原医研で開会。人文、自然科学研究者25人が出席。基本案作りや既に発表された学術資料を持ち寄ってのリスト作りなどを決める。日本学術会議を中心にした原水爆被災資料センター設置運動の一環
1969/12/3
北大西洋条約機構(NATO)の国防相会議が戦術核兵器使用に関する新基準を採択。核兵器使用は原則として加盟国全部の協議で決定されるが、緊急の場合、「当該ミサイル基地所在国、核弾頭所有国、ミサイル所有国」の3国だけの協議で決定できることに。ソ連のチェコスロバキア侵攻により東西間の通常兵器不均衡が拡大したのに伴い、紛争初期段階での戦術核兵器の使用を想定した決定
1969/12/4
国連総会第1委員会が全核保有国に対し、地下爆発を含むあらゆる環境内での核兵器実験中止を求める決議案を賛成94、反対なし、棄権3で可決
1969/12/5
文楽の人間国宝、桐竹紋十郎氏が広島原爆病院を慰問。人形浄瑠璃を披露
1969/12/8
広島テレビ制作の原爆をテーマにしたドラマ「碑」が文部省の芸術祭テレビドラマ部門の優秀賞を受賞。同局の原爆シリーズ第6作で、4年連続の受賞
1969/12/9
国連総会第1委員会が、米ソ両国に新たな戦略核兵器体系の実験、配備中止への同意を求めた15カ国共同決議案を賛成67、反対なし、棄権40で可決。米ソや英、日本などは棄権に回る
1969/12/9
レアード米国防長官が、9日公表された上院外交委員会ベトナム秘密聴聞会(11月19日)で、米の核抑止力がアジアに必要と強調。米の核の傘が日本にとって重要であると指摘
1969/12/10
原爆被災復元委員会の志水清会長(広島大原医研所長)が広島市平和文化推進審議会で原爆被災全体像調査の中間報告。調査対象にしている爆心地から500メートル以遠、2キロ未満の焼失区域旧117町のうち調査中の33町が1969年度中に完了見通し
1969/12/10
レアード米国防長官の議会証言に関し、佐藤首相が記者会見で「日本に関する限り、核の持ち込みははっきり断る」と非核三原則の堅持を改めて強調
1969/12/12
国際原子力機関(IAEA)の保障措置技術パネル(東京プリンスホテル)で、核拡散防止条約の焦点である原子力施設などの査察方法で大筋合意。(1)核物質などの記載簿を標準化する(2)核物質の軍事転用を監視する技術的方法として統計学的な手法を採用する-など。中間報告にまとめ理事会に提出へ
1969/12/14
日本被団協が東京で全国代表理事会を開き、被爆者援護法制定の実現を目指す1970年度の運動方針を決定。「原爆被爆者特別措置法で社会保障的な被爆者対策は上限に達した。これ以上の対策は国家補償原理に基づく援護法によらなくては実現しない。そのための壁は厚いし、被団協の陳情中心の運動方針は行き詰まっている。財政的裏付けが乏しくなった」と転機にさしかかった実情を分析。援護法制定の実現に向け「運動方針を強いものに改め、活発な運動を通じて組織立て直しと財政の確立を図る」
1969/12/14
沖縄の琉球新報が「佐藤首相訪米とその成果」に関する世論調査結果を発表。沖縄返還後の「核抜き、本土並み基地」を住民の61%が疑う
1969/12/15
米国防総省と沖縄の米空軍司令部が、核ミサイル「メースB」を装備した第498戦術ミサイル部隊を年内に解散、撤去すると発表。愛知揆一外相は「非核三原則に背かないよう沖縄返還を実現するとの確約を実行に移す米政府の誠意ある努力の表れ」との談話を発表。琉球政府の屋良朝苗主席は「これに変わる新しい核兵器の持ち込みを恐れている」
1969/12/15
国連総会本会議が、海底平和利用促進の国際体制ができるまで各国が海底開発を控え、海底への権利を認めないとの活動停止決議案を可決
1969/12/16
日米首脳会談の直後にジョンソン米国務次官が行った会談の背景説明全文を入手した社会党が、全文を公表。ジ次官は「緊急の場合、日本政府の同意を得れば核持ち込みが日本本土南東部の米軍基地に適用される」などと説明。同党は「核抜き、本土並み返還がまやかし」と強調。政府は17日「共同声明がすべてで、それ以外に両国を拘束するものはない」と保利茂官房長官が談話
1969/12/18
米連邦放射線協議会のポール・トンプキンズ議長が「米政府の現行の放射線許容基準を厳格にしなければ、さらに1年間に最低1万6,000人ががんになる恐れがある-との米科学者2人の警告を検討中」と発表
1969/12/20
被爆者援護のため広島市が市独自措置として12月から支給を始めた「被爆身体障害者福祉手当」の受給者(20日現在)がわずか16人。市の見込み(100人)より大幅に低調で、支給基準緩和などを検討
1969/12/21
広島、長崎両県の被爆者団体代表ら34人が広島市社会福祉センターで「第1回被爆二世問題研究会」を開く。日本原水協(共産党系)の代表理事・佐久間澄広島大教授ら学者3人が呼びかけ。(1)研究会が被爆二世について独自に実態調査を進める一方、国や自治体にも総合的な「被爆二世調査」を要求(2)被爆二世の健康を守るため、親が希望すれば被爆二世にも被爆者健康手帳を交付するなど援護策を国に要望-を決める
1969/12/22
フィンランドのヘルシンキで行われた米ソ戦略兵器制限交渉(SALT)の予備会議が終了。1970年4月16日からウィーンで本交渉を開き、その後、再びヘルシンキで続開するとの共同コミュニケを発表
1969/12/24
広島で被爆した中学校教諭高山等さん(広島県安芸郡船越町)が英文の小冊子「広島の追憶」700部を自費出版。米、カナダなどに送る。被爆体験や闘病記、原爆被害の実情を海外に知ってもらうのが狙い
1969/12/24
広島原爆病院に東京・武蔵野市の関ツルさんから1万羽の折りづると見舞金1万円が届く。1962年以来続き、折りづるは12万羽に
1969/12/24
広島「折鶴の会」や広島女学院、比治山女子高の生徒約60人が広島原爆病院を慰問し、「クリスマスのつどい」を開く
1969/12/25
東大医学部脳神経外科が「1970年1月中旬、脳腫瘍のカナダ人患者に『原子炉療法』を行う」と発表
1969/12/25
ソ連のモスクワ放送が米ソ戦略兵器制限交渉(SALT)予備交渉について解説。「ソ連は1970年4月、ウィーンで始まるSALT本交渉の成立に努力」
1969/12/26
広島原爆病院が1969年の年間診療概況(11月30日現在)を発表。診察患者は延べ4万4,866人(うち初診2,084人)。原爆被爆者特別措置法などで診察が受けやすくなり大幅増。死亡者65人。白血病は前年に続きゼロ
1969/12/--
長崎市と長崎原爆被爆者対策協議会が同県内の被爆者の定期検診、精密検査のできる専用検診施設「原爆被爆者検査センター」建設を決定。同市興善町に計画

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