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ヒストリー

ヒロシマの記録1968 1月


1968/1/1
東京・文京区の理化学研究所の山崎文男博士の研究室に保存されている「ヒロシマの砂」「電線がいしの硫黄」「骨」などを中国新聞紙上で紹介
1968/1/3
米政府原子力委員会が「さきに行われた中国核実験は失敗か。中国はさらに大規模な爆発を計画していたもよう」と発表
1968/1/5
厚生省が「原爆被爆者特別措置法」を想定した1968年度原爆被爆者対策予算要求案を発表。健康管理手当(5,000円)、介護手当(9,000円)、認定被爆者手当(1万円)など生活援護に踏み込んだ内容。他に広島、長崎両県に3カ所ずつ計6カ所の被爆者養護ホームの設置
1968/1/5
自民党原爆被爆者対策小委員会(田中正巳委員長)が広島市基町相生地区の原爆スラムを視察。「今日まで放置していたことが問題で、国と県、市が一体となって早急に手を打つ必要がある」
1968/1/9
劇団文学座が京都などで「薔薇よりも孔雀だ」公演。小山祐士氏作、演出木村光一氏。瀬戸内海の美しい光景の中で、戦争、原爆の影を引きずり、傷つき孤独になる人々を描く(「原爆被災資料総目録・第2集」)
1968/1/10
社会党が、米原子力空母エンタープライズの寄港阻止闘争を社共共闘で取り組むことを決定
1968/1/11
原爆被爆者予算に対する反響。山田広島市長「単なる医療保護ではなく、認定被爆者に生活の励みを与える援護手当が実現したことは社会保障の立場から画期的。しかし、これで対策が終わった訳ではない」。森滝市郎日本被団協理事長「法律に国家補償の精神が盛り込まれるよう見守りたい」。佐久間澄広島県原水協理事長「援助や保護が認定患者だけに偏るのは実情に合わない」
1968/1/11
1968年度予算大蔵省原案で原爆被爆者認定患者に対して月額1万円の援護手当、同9,000円の介護手当、同3,000円の健康管理手当など決まる。原爆養護ホーム6カ所(広島県3カ所、うち広島市2カ所)の補助金1億5,000万円も。被爆者対策費総額45億5,000万円。法案成立に先立ち予算案決定
1968/1/12
米国防総省が戦略ミサイル用の新大型核弾頭「マーク17」の生産計画を中止。ミニットマン2型ミサイル用のマーク11核弾頭生産に振り替え。複数核弾頭ミサイル化に対応
1968/1/13
山田広島市長が「被爆者養護ホームは市負担分にプラスアルファを加えてでも立派な施設にしたい」
1968/1/15
「平和について市民の対話を進める会」(代表世話人、今堀誠二広島大教授、原田東岷医師)が主催し、平和記念館で第1回「市民対話のつどい」。約500人が参加。青年とヒロシマをテーマに作家の大江健三郎氏、相原和光広島YMCA総主事、ジャーナリスト秋信利彦氏ら討議
1968/1/16
長崎地区労がベトナム戦争反対、原子力艦艇寄港阻止の抗議集会を開き、約2,000人が市内をデモ行進(「長崎年表」)
1968/1/16
長崎被災協が米原子力空母佐世保寄港に反対声明を発表(「長崎年表」)
1968/1/16
原水禁国民会議が東京でエンタープライズ寄港阻止中央集会。約500人が参加
1968/1/17
平和記念公園の原爆慰霊碑前で初の韓国人原爆犠牲者の慰霊祭。広島、岡山などから遺族150人が出席。大韓仏教会の金東和和尚ら5人の韓国仏教関係者が来日したのを機に実施
1968/1/17
米原子力空母エンタープライズ入港をめぐり、佐世保市内で寄港阻止を唱える3派系全学連を中心とした学生と警官隊が衝突。乱闘、学生27人が逮捕
1968/1/18
日本被団協の行宗一副理事長らが文部省に「原爆の恐怖を伝えるため、米から返還された原爆記録映画はありのままの形で公開してほしい。悲惨な姿を画面にさらけ出しても投下直後の真実を全国民に知ってもらいたい。被爆者対策の前進にもつながる」と公開要望書を手渡す
1968/1/18
周恩来中国首相が社会党議員らと面談し「中国は核実験は6、7回しか実施していない」と言明
1968/1/18
米ソ両国が、再開されたジュネーブ軍縮会議に核拡散防止条約の新草案を提出
1968/1/19
曹洞宗管長、元全日本仏教会会長の高階瓏仙師が死去。91歳。1950年、セイロンで開かれた第1回世界仏教徒会議に出席。核兵器禁止宗教者平和使節団名誉会長として欧米、東南アジア、南米、中国などを訪問
1968/1/19
米政府原子力委員会が中央ネバダの地下960メートルで約1メガトンの大規模地下核実験を実施と発表
1968/1/19
エンタープライズ艦長のK・L・リー艦長が記者会見で(1)原子炉の安全性には自信がある(2)将来は横須賀寄港を望む-と語る
1968/1/19
米原子力空母エンタープライズ、原子力フリゲート艦トラクストンが佐世保港に入港(1・19夕)
1968/1/20
今堀誠二広島大教授、金井利博中国新聞論説委員ら有志5人が集まり、今後の資料収集運動について話し合う。「1月中に被災資料収集のための準備会を発足させ、その後、広島原爆被災資料研究会結成」を確認
1968/1/20
文部省が米から返還された原爆記録映画の取り扱いをめぐり、2回目の保管と利用に関する会議。「フィルムの一部をカットし解説を吹き替えた日本語版を製作し、一般に公開」と決定。一部カットは撮影時にいやがる被爆者に対し「学術的な映画で一般には公開しない」の約束があったためといわれる
1968/1/21
水爆4個を積んだ米軍のB52爆撃機がグリーンランドのツーレ米軍基地付近で墜落。乗員7人のうち1人が死亡。水爆は行方不明。同機はグリーンランドからニューヨークへの帰途。米国防総省が22日に発表
1968/1/22
広島原爆被害者援護強化対策協議会(任都栗司会長)が総会を開き、(1)国の被爆者対策予算の裏付けとなる特別措置法制定をめざしてさらに強い運動を進める(2)1969年度をめどに「原爆スラム」解消の特別時限立法を政府に働きかける-などを決める
1968/1/23
米原子力空母エンタープライズが佐世保港を出港
1968/1/23
社会党が米ソの核拡散防止条約についての見解を発表。「条約草案は非核保有国に対してのみ、核兵器を開発せず、所有しないことを一方的に義務づけた不平等条約。核保有国は地下核実験即時禁止、核兵器の生産、貯蔵、移動、使用を禁止する核軍縮への義務を負担すべき」
1968/1/24
米国防総省が「グリーンランドで墜落したB52の4個の水爆のうち1個ないしそれ以上の破片を23日に発見」と発表 1
968/1/24
日本原水協が日米政府に水爆パトロールなどで抗議文送る。(1)危険な水爆パトロールを中止せよ(2)原子力空母エンタープライズの佐世保寄港など日本の核基地化に反対(3)米武装スパイ船の北朝鮮沿岸侵入など挑発、脅迫行為に抗議(4)日本原水協代表団の沖縄渡航拒否に抗議
1968/1/24
波紋描く米水爆機の墜落。中国新聞が解説記事。米水爆機の事故は1961年1月、米北カロライナ州でB52の衝突事故。パラシュートで投下された水爆は6つのうち5つの安全装置が外れていた。1966年1月17日にはスペイン・パロマレス上空でB52と給油ジェット機が衝突、墜落。積んでいた水爆4個のうち3個は見つかったが、残り1個は発見まで2カ月。最初の3個のうち2個は起爆用の通常爆薬が爆発しプルトニウム239とウラニウム235が付近に飛散
1968/1/25
広島平和文化センター(田淵実夫局長)が平和文化推進審議会に「国際文化会館建設計画」と「平和の歩み」の編集など1968年度の事業計画を示す。国際文化会館は1968年度中に建設場所とマスタープラン決定。審議会会長が浜井前広島市長から山本正房広島商工会議所会頭に
1968/1/27
広島大の学生ら16人が中心になり「広島ベトナムに平和を市民連合」(広島ベ平連)を結成
1968/1/27
佐藤首相が施政方針演説で核問題について所信を述べる。「われわれは核兵器の絶滅を念願し、自らもあえてこれを保有せず、その持ち
込みも許さない決意である。…世界における唯一の被爆国民としての悲惨な経験を持つわれわれの発言は、世界政治のあり方に重大な示唆を与え、大きな指標となるべきである」
1968/1/28
米国防総省が「グリーンランドで墜落したB52の水爆4個の破片を発見」と発表
1968/1/29
ドゴール仏大統領が「仏はその戦略を世界中のどの地域も攻撃可能な長距離ロケットに切り替えつつある」と言明
1968/1/30
衆院本会議で大平正芳自民党政調会長が米原子力空母エンタープライズ佐世保寄港に伴う反対運動の高まりに関して「寄港が米による日本の核基地化につながるのではないかという素朴な不安と、核に対する潜在的な恐怖があったと思う」と述べる
1968/1/30
厚生省が作成中の「原爆被爆者に対する援護に関する法律案」(仮称)について原爆医療審議会(中泉正徳会長)の意見を聴取。志水清広島大原医研所長が「健康管理手当の支給対象を広げてほしい」と要望
1968/1/30
佐藤首相が衆院本会議で核政策4本柱を示す。(1)非核三原則を守る(2)核兵器の悲惨な体験を持つ国民として、核兵器の廃棄、絶滅を念願する。このため、まず実行可能な政策として核軍縮に粘り強く取り組む(3)国際的な核の脅威には日米安保条約に基づく米の核抑止力に依存する(4)核エネルギーの平和利用は最重点国策として取り組む
1968/1/31
佐藤首相が衆院本会議で「米原子力空母エンタープライズは核装備をしていないと確信するので(安保条約の)事前協議の対象にはならない。しかし、ポラリス潜水艦は核兵器で事前協議の対象になる」
1968/1/31
長野正義横須賀市長が「米原子力空母の横須賀寄港は絶対反対」と記者会見で言明
v1968/1/-- 広島平和文化センター(田淵実夫局長)が7項目の年間計画。(1)平和文化推進審議会(会長、浜井前広島市長、27人)の開催(2)平和問題の調査・研究(3)資料収集(4)国際文化会館建設のための調査(5)市民の平和意識の高揚(6)平和記念施設の整備、管理(7)平和運動団体との連絡、調整
1968/1/--
広島市基町相生通りと太田川河川敷一帯にある不法建築1,800戸の対策が焦点に。10年間で4度の大火、死者も。対策で県市が対立し、対応遅れる
1968/1/-- 沖縄在住の被爆者にも本土並みの援護対策。経費738万円を計上
1968/1/-- 広島県が1967年度から始めた被爆者就職支度金、雇用奨励金の利用が低調。適用基準の緩和を検討へ
1968/1/-- 米返還原爆記録映画の貸し出しは地方公共団体などに限る。文部省が決める。政治的、娯楽的に扱われることを警戒。「人体編」などの中の特定の人物と判別できるものはすべてカット
1968/1/-- 原水禁国民会議が沖縄・那覇で開く沖縄返還集会への参加申請700人のうち、原水禁役員などを含む約100人が渡航不許可に。板倉静夫広島県原水協事務局次長、吉川清日本被団協理事らも

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