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ヒストリー

ヒロシマの記録1967 11月


1967/11/1
厚生省が原爆被爆者実態調査(1965年11月1日実施)の結果を発表。健康、生活の両面から抽出調査。(1)一般的に被爆者の健康がすぐれないといわれる事実を否定する資料も肯定する資料も得られなかった(2)特に原爆と密接な関係にあるといわれる血液関係では、一般とほとんど差がなかった(3)生活面でも国民一般に比べ、著しい格差があるとの資料は得られなかった
1967/11/1
核拡散防止条約が原子力平和利用に与える影響を検討する日米原子力専門家会議が外務省で始まる
1967/11/1
原子力委員会(委員長、二階堂進科学技術庁長官)が米原子力空母の寄港問題について「米政府の安全保障の条項が確保されるならば安全上支障はない」との公式見解をまとめる
1967/11/1
厚生省が発表した原爆被爆者実態調査について、広島原爆被爆者医療問題審議会(松坂義正原対協副会長ら7人)が「発表は誤解を与え、被爆者にはショックだ」との抗議電報を厚生省に打つ。広島市の原爆被爆者援護強化対策協議会(任都栗司会長)も「抽出調査で複雑な要因を持つ被爆者の実態を判断するのは無理」と厚生省に抗議文。日本原水協も「結語で調査結果をねじ曲げ被爆者援護法制定をかわそうとするキャンペーンに使っている」と反論
1967/11/2
日本被団協の森滝市郎理事長らが厚生省を訪れ「被爆者実態調査の結果は現状に対する評価が弱く、全体として被爆者の実情を軽視している印象が強い」と不満を伝える
1967/11/2
政府が閣議で米原子力空母エンタープライズなど原子力艦船の日本寄港を承認。外務省がオズボーン駐日米公使を招き口上書を手渡す。社会、共産、公明の各党は「ベトナム侵略への協力」と反対声明。民社党も「科学性がなく無責任」と批判
1967/11/2
日米原子力専門家会議が閉会。原子力平和利用の保障で相違点が浮き彫りに
1967/11/2
山田広島市長が厚生省の原爆被爆者実態調査について「政府が実施した第一段階の調査としてそれなりに評価する。ただ、被爆者が健康への不安や生活の苦しみを抱いているのは事実であり、今度の調査結果だけで被爆者援護対策が左右されないよう、早く政府のハラを確かめたい」と語る
1967/11/3
マクナマラ米国防長官が「ソ連は核弾頭を宇宙に乗せ、目標に投下しうる新しい宇宙兵器を開発中」と記者会見で表明。米は対抗レーダー配備へ
1967/11/3
広島市の原爆被害者援護強化対策協議会の任都栗司会長が勲三等瑞宝章を受章
1967/11/4
広島県原水協(佐久間澄理事長)と広島県被団協(田辺勝理事長)の20人が被爆者援護法制定を求め広島市の平和大通りに座り込み
1967/11/4
韓国人被爆者8人が「日本政府は韓国被爆者に補償せよ」とソウルの日本大使館にデモ
1967/11/6
毎月6日に広島市の原爆慰霊碑に祈りをささげる「八時十五分祈りの会」が発足
1967/11/6
長崎市中央保健所内に原爆被爆者中央検診所が開設(「長崎年表」)
1967/11/6
米上下両院合同原子力委員会の軍事利用小委員会がソ連の軌道兵器開発問題で公聴会。ニッツ国防総省次官らが「ソ連の軌道兵器は大陸間弾道ミサイル(ICBM)ほどの威力はない」と証言
1967/11/7
日本被団協が東京で被爆者援護法制定を訴え全国9ブロックで展開した被爆者行脚の集結集会。期間中、全国の知事、市町村長、議長1,121人と6万人の要請署名を集める
1967/11/7
広島市の原爆被爆者援護強化対策協議会(任都栗司会長)が厚生省を訪れ、坊秀男厚相に原爆被害者実態調査に対する意見書を手渡す。坊厚相は「批判はあろうが、一応の資料として今後の対策を検討する」と答える
1967/11/7
タス通信が「軌道兵器にも使える巨大な大陸間弾道ミサイル(ICBM)がモスクワの「赤の広場」軍事パレードに登場した」と伝える。英戦略研究所の年次報告によれば、ソ連は1965年以来、軌道兵器として使える3段式の大型ロケットはパレードに何回か登場
1967/11/8
日本被団協が被爆者援護法の実現を訴えるティーチイン開く。東京・国労会館に200人が参加。日高六郎東大教授、山手茂東京女子大助教授、庄野直美広島女学院大教授らが厚生省の原爆被爆者実態調査の解析は矛盾が多いと指摘
1967/11/8
木村俊夫官房長官が被爆者援護法の制定を求める日本被団協の陳情に対し「原爆被爆者実態調査の結果を掘り下げて分析したうえ、全般的な対策については審議機関を設けて検討したい。法律の制定は通常国会には間に合わないので、1968年度は原爆医療法の内容を拡大し、受給額を増額するなど緊急措置を考慮」と答える
1967/11/9
坊秀男厚相が衆院社会労働委員会で「原爆被爆者実態調査に基づき緊急対策から1968年度予算に盛り込んでいくが、措置の強化を『援護法』の形式にするかどうかは緊急対策を決めた後で検討する」と答弁
1967/11/9
被爆直後の広島、長崎の惨状を撮影し、米軍が押収した原爆記録フィルム「広島・長崎における原爆の影響」が日本政府に返還。16ミリに焼き直したマスターネガ5巻とプリント・フィルム5巻、サウンド・トラック1組で、原画の35ミリフィルム19巻は米政府が保管。宮地茂文部省大学学術局長「残酷なシーンがあれば一般には公開しにくい」
1967/11/10
山田広島市長が米返還原爆フィルムについて「コピーでよいから原爆資料館にも保管できるよう文部省に働きかけたい。『残酷物語』のような形で興行的に扱うことは被爆地市民として反対」と記者会見で語る
1967/11/10
広島市の原爆被爆者援護強化対策協議会の生活援護対策部会(松下一男部会長)が「厚生省の原爆被爆者実態調査は不十分」と、市独自の調査方針決める
1967/11/11
エスペランチストの横浜市、由比忠之進さんが首相官邸前で沖縄返還後退抗議、ベトナム戦争反対を訴えて焼身自殺。73歳
1967/11/14
南ベトナムへ医薬品を運ぶ反戦ヨットのフェニックスがダナンに向け香港を出発
1967/11/14
首相官邸前でベトナム戦争に抗議し焼身自殺した由比忠之進さんの遺言公開。「エスペラント語に翻訳した原爆手記集を出版し益金は被爆者援護に役立てて欲しい」
1967/11/14
青森県むつ市が原子力船第1船の母港を受諾。科学技術庁と日本原子力船開発事業団に正式回答
1967/11/15
広島、山口の大学人による「平和問題研究団体談和会」が「1965年に談和会が厚生省に提出した要望書の趣旨が今回の原爆被爆者実態調査に生かされておらず、特に結論の部分には問題がある」との見解をまとめ、再び要望書の提出を決める
1967/11/15
鈴木一男広島県衛生部長が「厚生省が発表した原爆被爆者実態調査に対し、調査の方法などに不満を感じている。援護法の制定をめざし、県も自主的な対策を講じる」と県議会厚生委員会で答弁
1967/11/16
山田広島市長が剱木亨弘文相と宮地茂大学学術局長に米返還原爆フィルムについて(1)興行用には使わず、一般公開には十分配慮(2)米にオリジナルフィルムの返還要請(3)広島、長崎両市へのコピー譲渡-を申し入れ。剱木文相は「扱いは学識経験者らで組織する管理運営委員会を設けて検討する」
1967/11/17
終戦直後の広島や長崎など全国各地で日本人の戦争体験を収録した米軍の録音テープが、ワシントンの国立記録保存所で見つかる。30分テープが360巻で、原爆の恐怖を語る証言も
1967/11/18
茨城県東海村の日本原子力発電会社東海発電所で火災。5人重軽傷。熱交換器室の油噴出
1967/11/19
厚生省公衆衛生局企画課の江間時彦課長が広島市を訪れ、広島、長崎両県市が立法化を強く要望している「原爆被爆者特別措置法案」について、志水清原医研所長ら原爆医療関係者と懇談
1967/11/20
ソ連が国連総会第1委員会に核兵器使用禁止協定の草案を提出。(1)核兵器の使用、核兵器使用の威圧、他国に対する核兵器使用の扇動をやめる(2)核兵器の生産を中止し、現在の貯蔵核兵器を国連監視下で破壊-が柱
1967/11/21
沖縄・小笠原返還問題を議題にした日米首脳会談から帰国した佐藤首相が記者会見。「核を持たないのは日本の強い方針で、残念ながら米の核の傘のもとにこの国の安全をはからねばならぬ」
1967/11/21
南ベトナム政府が医薬品を積んだ反戦ヨットのフェニックスに退去命令。22日に南ベトナム海軍に曳航され領海外に
1967/11/21
長崎原子爆弾被爆者援護強化対策協議会(長崎原援協)が発足。市議、市職員で組織し、被爆者の援護強化の促進を図る(「長崎年表」)
1967/11/22
日本原水協(共産党系)が在日韓国・朝鮮人被爆者の実態調査実施を発表。生活調査を中心に1968年8月6日までに結果をまとめ、生活向上運動を推進
1967/11/23
広島大、東大など8大学の学者グループが広島市で原爆被爆者実態調査に関する検討会を開く。佐久間澄広島大理学部教授、草野信男東大医科学研究所教授が呼びかけ。(1)報告の中には一部貴重な資料も含まれており、これを生かす(2)今回の調査には不十分な要素や不適当な調査報告が多く、今後これらの点を補っていくため実態調査をさらに続けることを要求する-との結論
1967/11/24
日本原水協が広島市の労働会館で「被爆者救援運動を推進するための全国活動者会議」開く。25日まで。100人が参加、(1)被爆者救援の1,500万円カンパ(2)核兵器使用禁止と核兵器の日本持ち込み阻止を訴える署名運動-などの方針決める
1967/11/24
山田広島市長がソ連ボルゴグラード市からの原爆被災資料貸し出し要請を断る。「ベトナム戦争がエスカレートするにつれ、国際的に高まっている反米感情に利用される懸念がある」
1967/11/25
米国連協会が核拡散防止条約の早期実現のため、国際原子力機関(IAEA)の強化を提案
1967/11/26
原爆被爆者呉地区連合会(小笠原好雄会長)が総会を開き、医療制度の充実や被爆者援護の特別立法など厚生省に働きかけることをを申し合わせる
1967/11/27
インドのスワラン・シン国防相が「中国は20キロトンの原爆100個を貯蔵」と議会で言明
1967/11/27
広島市原爆被爆者協議会(保守系)が広島市で被爆者総決起大会。800人が参加、広島、長崎両県市が政府に要求している「原爆被爆者特別措置法」の制定要求を決議
1967/11/28
広島、長崎両県市が東京で両県出身の国会議員に「原爆被爆者特別措置法」を説明し協力を要請
1967/11/29
厚生省が自民、社会両党の原爆被爆者援護対策専門部会で、原爆医療法の枠を拡大する方向で援護対策を次年度予算案に盛り込む方針を示す
1967/11/29
園田直厚相が「原爆被爆者特別措置法」の制定を陳情した山田広島市長らに「問題点は十分理解しているので、前向きに努力したい」と表明
1967/11/29
トロヤノフスキー駐日ソ連大使が坂田修一広島市助役にソ連で集めたドーム募金約36万円を贈る
1967/11/30
ジュネーブ軍縮会議の核拡散防止条約をめぐる討議が行き詰まる。実質審議は次年度へ
1967/11/--
中国の紅衛兵新聞「紅総戦報」が「初の水爆実験(6月17日)は高度10,000メートルから投下され6,000メートルで爆発」と伝える

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