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被爆者証言 精力的に NY近郊学校など 3日間で40ヵ所訪問

■記者 岡田浩平(ニューヨーク発)

 若者たちに被爆の惨状を伝え、核兵器のない平和な世界を託したい―。核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて訪米した広島の被爆者たちがニューヨークや周辺の学校に出向き、「あの日」を精力的に語っている。

 4日、ニューヨーク郊外の公立高1年生のクラスで箕牧智之(みまきとしゆき)さん(68)=広島県北広島町=が証言した。被爆者が描いた絵のコピー、原爆ドームの写真を持参。冒頭には米大リーグの話題で生徒たちの心をつかんだ。

 東京生まれの箕牧さんは東京大空襲を経験し、移り住んだ父の故郷の広島で原爆に遭った。当時3歳。母や弟と8月8日、国鉄勤めの父を捜しに広島駅一帯を歩いたものの、街や人の記憶はない。惨状を生々しく語る「先輩」被爆者のようにはいかず、証言の機会はなかった。

 5年前、北広島町原爆被害者の会の会長に就き、広島県被団協理事長の坪井直さん(85)らの奮闘に触れて意識が変わったという。「坪井さんたちと被爆2世との中間の世代である自分たちが今、伝えなければ」

 薄い記憶は父母の話や資料で補った。そんな体験談に、静かに聞き入る生徒たち。「核兵器が一発でも使われたら悲しい出来事が起こる。核兵器のない世の中へ一緒に努力しよう」。そう呼び掛け、証言を締めくくった。

 日本被団協によると訪米した被爆者42人は14班に分かれ、3~5日に学校を中心に約40カ所で証言。誰もが、海外での証言はこれで最後かもしれないとの思いに駆り立てられているという。

 4日、坪井さんはマンハッタンの大学での討論会に出席し、声を張り上げた。「原爆で人生を変えられ、私は米国を憎んだ。でもそれでは報復の連鎖を招くだけ。人の命を守るため、憎しみを乗り越え、手をつなぐんだ」

(2010年5月6日朝刊掲載)

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