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ヒストリー

ヒロシマの記録1961 9月


1961/9/1
米政府が「ソ連は中央アジアのセミパラチンスク付近の高空で核装置を爆発させた。核装置の大きさは中型のかなりの威力を持ったもの」と発表
1961/9/1
24カ国の首脳が参加する世界中立国首脳会議がユーゴスラビアのベオグラードで始まる。チトー・ユーゴスラビア大統領が「国際情勢が悪化。中立諸国は一致して戦争防止を」と訴え。ナセル・アラブ連合大統領は「ソ連の核実験再開は国際情勢を危険な方向へ導く」と演説
1961/9/1
世界平和アピール7人委員会が核実験再開中止を勧告するフルシチョフ・ソ連首相あて書簡と世界平和護持を要望するケネディ米大統領あて書簡送付を決める
1961/9/2
米のライナス・ポーリング博士がフルシチョフ・ソ連首相に核実験再開を中止するよう電報
1961/9/2
ネール・インド首相がベオグラードで開かれている世界中立国首脳会議で演説。「ソ連の核実験再開決定で戦争の危機は増大した。米ソ両大国は人類の将来が危機にひんしている今、直ちに交渉に入るべき」
1961/9/2
日本原水協がソ連核実験再開について声明。前段で実験再開に強く反対する姿勢をとっているが、後段では「ソ連政府にこの異常な措置をとることを余儀なくさせた今日の国際情勢の厳しさに対して、特に世論の冷静な注意を喚起し真剣な検討を要望する」とソ連の行動を半ば肯定。日本原水協の参加団体の一つ日本青年団協議会は、独自に抗議書を作成しソ連大使館に手渡す
1961/9/2
政府が駐ソ大使を通じソ連に核実験に抗議する口上書を伝達。「ジュネーブ核実験停止交渉中に一方的に実験再開を声明したことは日本国民の悲願を踏みにじり全人類を破滅の道へおとしいれる」
1961/9/3
小坂善太郎外相が「国連総会に日本が主導者となって核実験即時中止の決議案を提出する」と発言
1961/9/3
原水禁広島協議会が全県総括会議開く。ソ連の核実験再開に対する態度決定で紛糾。共産党系代表から実験を肯定する声が出たため、一部の代表が退場を表明するなど混乱。最終的には「会議の空気を反映した抗議文を検討する」という事務局案を了承
1961/9/3
湯川秀樹京大基礎物理学研究所長、朝永振一郎東京教育大学長、坂田昌一名大教授の3原子物理学者がソ連核実験再開に抗議声明。広島子どもを守る会も在日ソ連大使館に核実験再開中止の要請文送る
1961/9/3
米英がソ連に対し大気圏内の核実験禁止を呼び掛ける共同声明を発表。9日までの協定締結を提案
1961/9/4
日ソ協会(石橋湛山会長)が「現在の世界情勢では、核実験はやむを得ない」とソ連支持を表明
1961/9/4
米政府原子力委員会が「ソ連は4日朝、中央アジアのセミパラチンスクで再び大気圏内の核実験を行った。実験された核装置の出力は数キロトン級」と発表
1961/9/4
広島県被団協と原水爆禁止広島母の会がソ連の核実験再開に対しフルシチョフ首相へ抗議電報
1961/9/4
江田三郎社会党書記長が「全面軍縮につながる国民的な反対運動を起こしたい。原水協を総評のほか全労、新産別も参加し、国民のだれでも参加できるものに立て直すべき」と語る
1961/9/5
ロンドンで開く世界青年学生原水爆禁止大会の組織当局者が、日本とハンガリー代表の入国を英政府が拒否したと発表
1961/9/5
英外務省スポークスマンは「米の核実験再開決定は事前に知らされていたが、英はたとえ安全なものでも実験は再開しない」
1961/9/5
ケネディ米大統領が核実験再開声明。「ソ連の度重なる核実験にかんがみ、米も今月中に研究所および地下での実験を再開する。自国民および他の諸国の安全保障に対して負っている責任を遂行するためには、これ以外に取るべき道はない」
1961/9/5
米政府原子力委員会が「ソ連は再開以来3回目の核実験をこれまでの2回と同じ中央アジア地域の大気圏内で行った」と発表
1961/9/5
浜井広島市長がフルシチョフ・ソ連首相に核実験中止の要請文。広島市議会も実験再開に抗議決議
1961/9/5
モスクワ放送が「大気圏内実験の停止を呼びかけた米英共同提案は地下核実験を正当化するための計略である」と非難
1961/9/6
日本向けモスクワ放送。「ソ連の核実験再開について日本からヒステリックなわめき声が聞こえてくる。今回の措置はやむを得ないものである。日本国民はソ連が最初に武器を手にしないことを信じてよい」
1961/9/6
大原博夫広島県知事が米ソ首脳へ核実験中止の要請文を送る。広島県地域婦人団体連絡協議会も米ソに抗議文を送ることを決定
1961/9/6
朝海浩一郎駐米大使がマコノギー国務次官補(極東担当)に米の核実験再開決定に対する日本政府の抗議口上書を手渡す
1961/9/6
モスクワ訪問中のネール・インド首相とエンクルマ・ガーナ大統領がフルシチョフ・ソ連首相と会見、冷戦緩和のため米ソ首脳の会談を強く要望する特別書簡を世界中立諸国民の名のもとに手渡す
1961/9/6
米政府原子力委員会発表。「ソ連が4回目の大気圏内核爆発実験を行った」
1961/9/6
浜井広島市長が「米ソの核実験に抗議するため市内の各団体に呼びかけ、平和記念公園で核実験再開抗議広島市民大会を開く」と発表
1961/9/6
フルシチョフ・ソ連首相が、米で開かれる第7回パグウォッシュ会議の参加者に「ソ連の平和政策は不変」とメッセージ
1961/9/7
ケネディ米大統領は、米の核兵器を仏軍が使用して訓練できる協定を締結したと発表
1961/9/7
アデナウアー西ドイツ首相が外国人記者クラブで演説。「ベルリン問題をめぐる戦争が通常兵器に限定できるかどうかあやしいと思う。小さい衝突がついには核戦争に発展する危険も大いにありうる」
1961/9/7
広島県議会が核実験中止を要求する決議文を米ソ首脳に送る
1961/9/7
浜井広島市長がケネディ米大統領に核実験中止要請書送る。広島市議会も同大統領あてに抗議文を送ることを決定
1961/9/7
アール・レイノルズ広島女学院大客員教授がフルシチョフ・ソ連首相に抗議電報。「ソ連が核実験を続けるならウラジオストクへ抗議航海する」
1961/9/7
原水禁広島市協議会が米ソ首脳に核実験中止の要請文を送る
1961/9/8
政府は列国議会同盟会議の本会議に核実験停止決議案を提出する方針を固める
1961/9/8
京都仏教会議(理事長、大西良慶清水寺貫主)が米ソの核実験再開について「人類の平和を願う意思を無視する非人道的行為である」との声明を発表
1961/9/8
科学技術庁の放射線医学総合研究所が「放射能対策の手引」を発表。米ソ核実験再開に伴い、不必要な放射能への不安を少なくするのがねらい。内容は核実験による放射能チリの飛来経路、放射能雨の危険度など
1961/9/8
「再び原爆孤児をつくるな」と、広島子どもを守る会がケネディ米大統領に核実験再開中止の要請文
1961/9/8
広島県被団協が灘尾弘吉厚相に(1)原爆障害援護法の制定(2)原爆死没者遺族に弔慰金と年金の支給-などを盛り込んだ陳情書を手渡すことを決める
1961/9/8
「核実験が再開され、世界はいま恐怖に包まれている」。訪ソ中のネール・インド首相が発言
1961/9/9
フルシチョフ・ソ連首相が大気圏内の核実験停止を呼び掛けた米英提案に拒否回答。「大気圏だけを禁止すると西側は地下実験や大気圏外実験を公然とやる。これは西側の一方的利益になり、ソ連の安全を脅かす」
1961/9/9
広島「折鶴の会」が、米ソ両大使館に抗議団を派遣するため広島市内で街頭募金を始める
1961/9/9
米海軍の世界初の原子力巡洋艦ロングビーチが就役
1961/9/10
政府が濃縮ウラン、プルトニウムなど特殊核物質を除く核燃料物質の民間所有を認める
1961/9/10
原爆被害者の会近畿ブロック会議が、米ソ首脳への抗議文とともに、日本原水協に対し「いかなる理由にせよ実験は核戦争に追い込むもので、反対すべき。原水協の態度は納得できない」と要請文送付へ
1961/9/10
米政府原子力委員会が「ソ連が10日、北極海のノバヤゼムリャの大気圏内で数メガトンの核実験を行った」と発表。同委員会は夜にも「ソ連は10日2度目の核実験を前回と同じノバヤゼムリャ島の近くで行った。規模は小型ないし中型のもの」と発表
1961/9/11
長崎原水協がソ連の核実験再開と米の核実験再開声明に反対し、街頭署名運動(「長崎年表」)
1961/9/11
気象庁が日本各地の放射能観測結果を発表。各地とも平常値よりやや増加。ソ連核実験の影響
1961/9/12
米政府原子力委員会が発表。「ソ連は12日早朝、北極海ノバヤゼムリャ島付近の大気圏内で再開後7回目の核実験を行った」
1961/9/12
ロンドンの治安裁判所が、バートランド・ラッセル博士ら核兵器反対百人委員会の会員に2カ月から1カ月の禁固刑判決。核兵器反対運動で合法活動を断ったため
1961/9/12
広島県地域婦人団体連絡協議会(22万人)が被爆孤老を中心とした老人被爆者の救援運動を決める
1961/9/12
広島県内12市長会議が米ソに核実験再開反対の決議文送付を決定
1961/9/13
米政府原子力委員会が「ソ連は13日、中央アジアのセミパラチンスクと北極海のノバヤゼムリャ近くで核実験を行った」と発表
1961/9/13
岡山県市長会が小野博笠岡市長から出された米ソ両国に対する核実験抗議の動議を可決
1961/9/13
ソ連が新しい多段式ロケットの発射実験に成功。1万2,000キロ以上離れた中部太平洋に着弾、誤差は1キロ以下。15日にタス通信が伝える
1961/9/13
広島「折鶴の会」の河本一郎氏ら3人が米ソ大使館を訪れ、両首脳あてに「世界のどの町もヒロシマのようにしないで下さい」としるした被爆瓦や抗議文、千羽づるを手渡す。14日には羽田で国連総会に出発する小坂善太郎外相に被爆者の手紙や千羽づるを託す
1961/9/13
英コベントリー市から浜井広島市長に招待状。「9月25、26の両日、コベントリー市で世界の平和都市15市長会議を開きたいので出席して欲しい」
1961/9/14
米政府原子力委員会が「ソ連が14日、再開後10回目の核実験を北極海ノバヤゼムリャ島付近の大気圏内で行った」と発表
1961/9/14
日ソ協会が4日に発表した「ソ連の核実験はやむを得ない」とする声明をめぐって理事会が紛糾。修正を求める石橋湛山会長、北村徳太郎副会長らが辞意
1961/9/15
米が核実験再開。ホワイトハウスは「15日、ネバダで地下核実験を行った」と発表。米の実験は1958年10月以来、約3年ぶり
1961/9/16
米政府原子力委員会が発表。「米は16日にネバダ実験場で小規模な地下核実験を行った」。再開以来2回目
1961/9/16
米政府原子力委員会は「ソ連が16日、ノバヤゼムリャ島の大気圏内でメガトン級の核実験を行った」と発表
1961/9/17
英核兵器反対百人委員会が核兵器反対を叫んでロンドンのトラファルガー広場とスコットランドで大規模なデモや座り込み。逮捕者1,000人を超す
1961/9/17
米政府原子力委員会が「ソ連は中央アジアで17日、中型の原爆を爆発させた」と発表。セミパラチンスクの大気圏内で行われ、再開以来12回目
1961/9/17
核兵器禁止運動で投獄されているバートランド・ラッセル博士が獄中から核戦争への国際抵抗運動を呼びかける。「ほんのちょっとした誤算から、いつでも核戦争は起こりうる。われわれは核戦争と大量殺害兵器に対する国際抵抗運動を宣言する。科学者は核兵器製造の仕事を拒否し、労働者も核兵器に関係するすべての仕事を拒否するよう呼びかける」
1961/9/18
米政府原子力委員会が「ソ連は18日早朝、北極海ノバヤゼムリャ島の大気圏内で再開後13回目の核実験を行った」と発表。爆発規模はメガトン級
1961/9/18
核実験抗議広島市民大会開く。大原博夫広島県知事、浜井広島市長ら平和記念公園に市民500人が参加。米ソ両国の核実験再開に抗議する宣言採択。米ソ両大使館に抗議のため、田淵実夫氏(広島市広報室長)、吉川清氏(広島県被団協)、草田きぬ氏(広島市主婦連副会長)ら7人が上京
1961/9/19
ソ連の核実験再開に抗議するためヨットでウラジオストクに向かうアール・レイノルズ博士一家の壮行激励会が、広島市の平和記念公園広場で開かれる。市民150人が参加
1961/9/20
マクロイ米大統領軍縮顧問とゾーリン・ソ連外務次官が軍備全廃への8原則を示した共同宣言を国連に提出。(1)軍縮は全面かつ完全であり、戦争はもはや国際問題解決の道具ではない(2)各国兵力は国内の治安維持だけを目的とし、国連平和軍に兵力を供出する(3)軍隊の解体、軍事施設の撤去、軍事生産の停止ないしは平和利用への転換。核、化学、細菌その他大量破壊兵器の廃棄および生産停止-など
1961/9/20
米政府原子力委員会発表。「ソ連は20日、北極海ノバヤゼムリャ地域で約1メガトンの核実験を大気圏内で行った」。再開後14回目
1961/9/20
外務省が在日ソ連大使館のスズダレフ代理大使を呼び、核実験再開に対する日本政府の抗議に誠意ある回答を示すよう要求
1961/9/21
呉市の自治会連合会、小、中、高PTA連合会、労組代表が、米ソならびに原水爆保有国に抗議するための署名集めを決める
1961/9/21
ライシャワー駐日米大使が、日本原水協のケネディ米大統領あて公開質問状の伝達を拒否
1961/9/21
ウラジオストクにヨットで核実験の抗議航海に向かうアール・レイノルズ博士の行動に「人道的な立場から危険とわかっているソ連への不法入国は思いとどまらせるべき」との声が起き、中野清一広島大政経学部長や広島流川教会の谷本清牧師がレイノルズ博士に中止を説得
1961/9/22
国連総会で小坂善太郎外相が演説。「日本は核実験停止の効果的決議案成立に全面協力」
1961/9/22
米政府原子力委員会が「ソ連は北極海のノバヤゼムリャで再開以来15回目の核実験を大気圏内で行った」と発表
1961/9/22
第50回列国議会同盟会議が、日本、アルゼンチン共同提案の核実験停止決議案を採択
1961/9/22
ウラジオストクにヨットで核実験の抗議航海に向かうアール・レイノルズ博士の再入国申請を法務省が拒否
1961/9/24
ソ連の原水爆実験に抗議するため、アール・レイノルズ博士一家が、ヨット、フェニックスでウラジオストクへ向け広島港を出港。市民500人が見送り
1961/9/24
米紙ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンが「マクナマラ米国防長官は、敵の攻撃に対し必要な場合にはいかなる質量の核爆弾をもっても応ずるだろうと語った」と伝える
1961/9/25
政府が在日米大使館に核実験再開に抗議する口上書を伝達
1961/9/25
ケネディ米大統領が国連総会に全面軍縮案を提出。「今日地球のあらゆる居住者は地球が居住不能になる日のことを考えねばならなくされている。戦争の武器がわれわれを滅ぼしてしまわないうちに、これらの兵器を廃止してしまわなければならない」と演説
1961/9/27
スイス国民議会(下院)がスイス軍の核武装を禁止する提案を賛成11票、反対152票で否決
1961/9/28
ソ連外務省が核実験再開に対する日本の抗議に回答。「実験の再開は平和を脅かす西側から自国の安全を保障するためにとった措置」
1961/9/28
米英が、核実験停止会議を再開するようソ連に要請する共同決議案を国連総会に提出
1961/9/29
米の科学者でノーベル賞を受賞したライナス・ポーリング博士が米の雑誌「フロンティア・マガジン」に寄稿。「もしソ連が今回の核実験シリーズを続けるなら、現在地球上に住んでいる20万ないし100万人の寿命が短くなり、白血病その他の放射能障害で死ぬだろう」
1961/9/--
広島大と広島地方気象台がソ連核実験の影響による雨中の放射能を測定へ
1961/9/--
岐阜実験航空隊が米ソ核実験再開に伴う大気中のチリに含まれる放射能を調べるためジェット戦闘機によるパトロールを強化
1961/9/--
アール・レイノルズ広島女学院大客員教授が広島で「国際平和科学研究所」設立の準備を進める
1961/9/--
広島大原爆放射能医学研究所の志水清教授と渡辺嶺男助教授が60歳以上の老齢被爆者の後遺症を調査。「男女とも血液疾患が最も多く、特に貧血の発病率は非被爆者に比べ3倍以上の高率」
1961/9/--
東宝が核戦争の恐怖を描いた「世界大戦争」を製作。松林宗恵監督
1961/9/--
核兵器禁止・平和建設国民会議が、広島市原爆被爆者協議会(任都栗司会長)に救援カンパ16万6,787円を贈る

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