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ヒストリー

ヒロシマの記録1954 8月


1954/8/4
中国新聞社ホールで高増啓造氏の「原爆スケッチ画展」。8日まで
1954/8/4
広島市毎日会館ホールで広島一中被爆生徒の遺族による手記集「星は見ている」(秋田正之編)出版記念講演会
1954/8/6
浜井広島市長(広島平和協会長)平和宣言「あの日投下された一個の爆弾は、一瞬にして20余万の尊き人命を奪い去ったばかりでなく、今なお残存した市民の生命を脅かし続けている。しかも、原子爆弾につぐにさらに恐るべき水素爆弾の出現をみ、全人類の運命はいよいよ滅亡の脅威にさらされるに至った。人類史上これにまさる危機があったであろうか。…」
1954/8/6
平和記念式典に続き「原水爆禁止広島平和大会」。137団体、約2万人が参加。大会世話人田辺耕一郎氏の開会あいさつ。原水爆禁止署名は広島県内で約90万人分に達したと報告。「原子兵器の製造、実験、使用の禁止。原子兵器の禁止と原子力管理のための国際会議の即時開催」を決議(8・7夕)
1954/8/6
広島市本川小で約1,000人参加し平和運動全国協議会。8・6平和週間実行委主催。長田新日本教育学会会長、藤田藤太郎総評議長らが講演
1954/8/6
「原爆を許すまじ」(作詞浅田石二氏、作曲木下航二氏)が広島市本川小で開かれた平和運動全国協議会の席上発表(「原爆被災資料総目録・第2集」)
1954/8/6
広島市幟町に建設中の世界平和記念聖堂が完工式。建設費1億円。信者約2,000人、11カ国の駐日外交官、高松宮夫妻が出席。ローマ法王から「(聖堂は)戦いの傷をいやすとともに平和への道の象徴」とメッセージ
1954/8/6
広島市の電通会館で原爆歌集「広島」出版記念会。約70人が出席し、「あの日8月6日、肉親を焼かれ自らも傷ついたわれら270名はここに広島の歌声を結集した。9年間の苦しみ、怒り、悲しみは今もなお生々しくわれら市民をさいなんでいるのにさらに強力な水爆が製造され、ビキニにおいて実験されている。…人類の繁栄と平和と自由を願うわれらはきょうの出版記念会を機として再び広島の悲劇を繰り返さぬために文化人相提携し強力な発言をする」と宣言(8・7)
1954/8/6
広島一中の父母手記集「星は見ている」出版を記念し東京・銀座の書店で一中生の遺品展
1954/8/6
総評など中心に製作していた原水爆解説記録映画「永遠なる平和を」完成
1954/8/6
被爆9周年。平和記念公園で原爆死没者慰霊式・平和記念式。高松宮夫妻も出席し約2万人が参加。初めて遺族代表として原爆孤児男女2人が献花。212人を原爆死没者名簿に追加
1954/8/6
広島市の長岡省吾氏らの原爆写真集「HIROSHIMA」出版
1954/8/6
東京・目黒の羅漢寺で被爆した劇団「さくら隊」殉難慰霊祭
1954/8/8
東京・国労会館で原水爆禁止署名運動全国協議会結成大会。世話人、湯川秀樹京大、武谷三男立教大教授、片山哲氏ら各界329人。寄せられた署名449万人
1954/8/9
被爆9周年。長崎市が主催し「原爆犠牲者供養並びに平和祈念式典」。田川務長崎市長が平和宣言。「国際間のあつれきはなおそのあとをたたず、不安と恐怖にさいなまれつつある。しかし、この切なる念願は人類のすべての心に通うものあるを疑わない…」。広島市青年連合会代表が平和式典に広島市の平和宣言をはじめ市長、市議会議長のメッセージを持って初参加
1954/8/12
東京で原子力展覧会。広島、長崎の被災写真も展示
1954/8/16
広島大付属図書館が「平和文庫図書目録」をつくり全国の大学へ
1954/8/22
広島市の教育会館で原爆被害者の会(幹事長、山田正喜氏)が主催し、「原爆被害者の苦しみを語る会」。「広島の外見上の復興は戦後の来広者が主にやっていること。われわれ戦前から広島に住み着いていた者には病苦と生活苦が重なって復興から取り残されてしまったものが多い」(8・24)
1954/8/25
米国広島平和委員会から浜井広島市長に「米ソいずれかの勢力に偏重する限り真の平和は絶望だ」とするメッセージ
1954/8/26
水産庁がビキニ東方の3島の残存放射能はまだ高いため接近しないよう警告
1954/8/27
原水爆禁止広島県民運動連絡本部が広島県内の原水爆禁止署名が100万人を超え100万3,472人となったため、日通広島支店の好意で国連本部に送る
1954/8/27
長崎市で広島、長崎両原対協が会議。両市が協力し原爆障害者の治療費国庫負担を働き掛けるほか、11月下旬に東京で原爆資料展開催を決める。全被爆者に健康手帳を交付し、健康管理考慮も
1954/8/28
シンガポールで開かれた第2回世界青年会議で日本代表が、原水爆国際管理早急実現を訴え満場一致で採択
1954/8/30
ビキニ被災の原爆症調査研究協議会が「第五福竜丸無線長の久保山愛吉氏=国立東京第一病院入院中=が肝臓障害、黄だん、意識混濁で重体」と発表
1954/8/--
現代詩人会(村野四郎幹事長)が9月2日からベルギーで開かれる第3回国際詩学会議で原水爆への怒りを込めた詩を英訳し発表へ
1954/8/--
西岡竹次郎長崎県知事が広島で一緒に避難した少年の安否を尋ねる。同知事は原爆被災当時、代議士で海軍政務次官、広島の第2総軍司令部を訪れる途中被爆し、長崎に帰り再度原爆に遭った

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