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ヒストリー

ヒロシマの記録1950 2月


1950/2/4
米コーネル大のハンス・ベーテ教授らがニューヨークで開かれた米国物理学協会冬季大会で「米は水素爆弾の第一使用は絶対しないことを宣言すべきだ」と声明
1950/2/6
タイディングス米上院軍事委員長が、すべての武装放棄へ向け国際非武装化会議開催決議案を議会に提出
1950/2/8
ネール・インド首相が議会で「インドは遠からず原子力をつくり出すつもりだ」と言明
1950/2/8
丸木位里・赤松俊子氏が日本美術会第3回アンデパンダン展で「原爆の図・第1部・幽霊」を発表(「近代日本総合年表」)
1950/2/11
広島平和協会が主催し広島市中央公民館で「原爆と平和展」。テーマは「原爆と広島」「世界平和と広島」など。3月21日まで
1950/2/14
米カリフォルニア工科大のライナス・ポーリング教授がニューヨークで開かれた水素爆弾製造反対大会で「40個の水爆で10億人が殺される。戦争防止のため米ソが直接交渉すべきだ」と主張
1950/2/16
米のキリスト教伝道者フレッド・ジャービス博士が広島市を訪問。「青年をキリスト教へ」
1950/2/18
広島市の日本文化平和協会がノーモア・ヒロシマズを刻んだ「平和塔鉛筆」売り出す
1950/2/20
ジェームズ・ヤング元INS東京特派員が米で「広島市民は原爆のせいで死んだのではなく、日本軍が備蓄していた毒ガスが爆発して死んだのだ」と講演
1950/2/26
ノーマン・カズンズ氏提唱の「精神養子」運動第1号として3組の縁組が決まる。広島戦災児育成所の女子2人、男子1人、精神親は米ミズーリ州の教師夫妻ら3夫妻
1950/2/27
「日本平和を守る会」発足(「近代日本総合年表」)
1950/2/28
米・英・カナダの3国、原子力問題に関する協力を一時中止。英の機密漏洩と政局不安定が理由
1950/2/--
広島県内の観光団体連絡会が広島県観光連盟を結成し広島市で「世界平和博覧会」の開催を計画 1950/2/--
原爆投下機の乗組員の訓練から投下後までのいきさつを連載した米大衆週刊誌「コリヤーズ」を翻訳、中央公論3月号に掲載。翻訳者は広島大文学部の今堀誠二、松崎壽和両助教授
1950/2/--
被爆映画監督の田阪具隆氏が「原爆孤児に焦点をあてながら原爆のすべてを表す音楽映画をつくりたい」
1950/2/--
広島市が旧産業奨励館保存と平和祭の在り方で被爆体験者500人に聞く。428人が回答。「奨励館保存を望む」は62%、「平和祭はもっと供養・慰霊に重点を置くべき」が61.6%。1949年10月調査実施
1950/2/--
天野重安京大病理学助教授が英文報告書「広島市における原爆症の研究」を発表(「原水爆時代上」)

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