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ヒストリー

ヒロシマの記録1949 1月


1949/1/6
広島県が「浮浪児」対策で里親募る
1949/1/13
1948年末の広島市の人口が25万3,000人、建物5万5,000戸
1949/1/13
永井隆長崎医大教授が「夕刊ひろしま」に随想「倒れて後始む」を掲載
1949/1/19
連合国軍総司令部のサムス公衆衛生局長が広島市を訪れ、浜井市長に「原爆研究所」建設用地の早急な提供を申し出る。「広島市に新しい原爆研究所を建てる計画を進めているから早く土地を提供してほしい。この研究所ができて原子力を平和のために用いる研究をしたら各国の学者も集まり、広島は世界科学交流の土地となると思う」
1949/1/--
「音色がよくない」との平和の鐘再建運動で東条英機元首相夫人から関係者に寄付
1949/1/--
米講演旅行中の広島流川教会の谷本清牧師から近況報告。「ワシントンでメソジスト教会などの協力の下に『広島を世界平和のメッカに』の運動を始めた。パール・バック氏、ジョン・ハーシー氏らの協力も得ている」
1949/1/--
連合国軍総司令部がジョン・ハーシー氏の「ヒロシマ」の年内翻訳出版を認める
1949/1/--
1948年の8月6日に広島市が世界主要都市に送った平和メッセージに9月以来、共感の返事約50通。同じ敗戦国のドイツ・ベルリン、イタリア・ミラノ両市からも(1・9)
1949/1/--
広島市が中島公園内に浄財で平和記念館建設構想。浜井市長は米にも募金隊派遣を計画(夕刊ひろしま1・15)

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