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ヒストリー

ヒロシマの記録1949 2月


1949/2/4
広島復興について「外国人の忠言を聞く会」を広島市役所で開く(「ヒロシマの記録」)
1949/2/10
国連安保理が、米に対し保有原子爆弾数の公表を要求したソ連案を否決
1949/2/18
広島市が政府に8月6日を「平和の日」として国民の祝日に加えるよう請願へ(広島市議会は2月1日に要望を決議=広島市議会・決議集。最終的には平和記念都市法と重なったため、祝日請願は1950年3月に回す=1950年3月3日付)
1949/2/21
米海軍がカリブ海で平時最大の演習。初の原子爆弾模擬攻撃も実施。3月19日まで
1949/2/25
関係官庁、広島県、広島市が東京の日赤本社で広島原爆災害総合復興対策協議会を開く。約70人が出席(3・1)
1949/2/26
キリスト教の世界的伝道者アメリカ人のスタンレー・ジョーンズ博士(米)が広島市を訪れ、小町バプテスト教会などで講演。ジョーンズ博士はインドに40年間滞在し、第二次世界大戦を避けるためルーズベルト米大統領に日本人移民問題で進言した。「今後の世界は原子力と精神力の戦いで、その精神力が統御されている間こそ世界平和が維持されているものだと信じている」
1949/2/--
広島県土木部、広島観光協会が東京内外映画社によって製作中の原爆映画「ノーモア・ヒロシマズ」(3巻)の完成が間近
1949/2/--
平和の鐘再建運動に、処刑された戦犯未亡人らが協力。土肥原賢二、板垣征四郎元大将未亡人ら 1949/2/--
広島市給水課が市内の漏水は約3割5分と発表。漏水対策に全力

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