×

ヒストリー

ヒロシマの記録1949 3月


1949/3/5
今村得之氏、大森実氏著の「ヒロシマの緑の芽」が世界文学社から出版。6,000部(「奥付」)
1949/3/5
渡米中の広島流川教会谷本清牧師が「土曜文学評論」(3月5日号)のゲスト・エディトリアルに「ヒロシマのアイデア」として「原爆最初の被害地広島を世界平和のセンターにせよ」と発表(「広島原爆とアメリカ人」)
1949/3/11
東京・市政会館で広島原爆災害総合復興対策協議会の第1回小委員会
1949/3/17
米政府原子力委員会が原子力推進飛行機(NEPA)の開発着手を発表
1949/3/17
メキシコ当局が「昨年11月、米の原子力研究所からの盗品とみられるウラニウムを所持していたメキシコ人2人を逮捕。1人は放射能被害で死亡」と発表
1949/3/19
米が核施設のある閉鎖都市テネシー州オークリッジ市への一般市民自由通行を認める
1949/3/23
ニューヨークでヒロシマ・ピース・センター協力会が結成。「土曜文学評論」のノーマン・カズンズ主筆、パール・バック氏、スタンレー・ハイ氏(リーダーズ・ダイジェスト主筆)、ハリー・カーン氏(ニューズ・ウィーク主筆)らが中心(「広島原爆とアメリカ人」)
1949/3/26
映画「ヒロシマ」出演のため尾崎咢堂氏が広島市訪問へ。楠瀬常猪広島県知事が招待
1949/3/29
広島地方労働組合会議が広島市の平和広場(慈仙寺鼻)で生活擁護人民大会
1949/3/--
「原爆研究所」建設予定地として広島市比治山が決まる。浜井市長が2月28日、東京から帰り語る
1949/3/--
米クエーカー奉仕団太平洋沿岸連合会のフロイド・シュモー書記長らが広島市に社会施設の建設を計画。8月ごろ広島市を訪問へ
1949/3/--
原爆で亡くなった夫人にあてた手紙を「絶後の記録」としてまとめて出版した広島文理科大、小倉豊文助教授が印税を広島市に寄付申し出
1949/3/--
安倍能成氏らが「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」を雑誌「世界」に発表(「近代日本総合年表」)
1949/3/--
オーストラリアの信者の援助で広島県佐伯郡井口村に日本聖公会(チャーチ・オブ・イングランド)広島教会落成

年別アーカイブ