×

ヒストリー

ヒロシマの記録1949 6月


1949/6/2
広島平和記念都市建設法案の住民投票が7月7日に決定
1949/6/3
聖フランシスコ・ザビエル来日400年記念でローマ法王特使ギルロイ枢機卿ら72人の国際巡礼団が広島市へ。平和広場で降福式、信者ら集う
1949/6/6
広島平和協会が第1回役員会で第3回平和祭の行事を決定するとともに、協会の会則を変更し第1条(目的)に「恒久平和の念願と人類文化の向上」を明示(「平和記念式典の歩み」)
1949/6/15
広島市議会が日本製鋼所広島製作所の争議円満解決要望書を採択(「原爆三十年・資料編」)
1949/6/15
広島県議会が広島平和記念都市建設法の実施に基づく県民協力について決議(「原爆三十年・資料編」)
1949/6/15
米政府原子力委員会リリエンソール委員長が議会で「米国は1年前、太平洋エニウェトク環礁で新型原子爆弾の実験に成功した」と発表
1949/6/24
広島市役所で平和婦人大会開催準備懇談会。浜井広島市長が「戦争を除くには世界連邦政治が一番良いと考え過日、知事ともこの問題について話したところ同意見であった。今回の住民投票(平和記念都市建設法案)が終わったら、生き残った10万人の署名をとってトルーマン大統領に送り、関心を盛り上げるとともに理想まい進に努力したい」(「広島新史・資料編2」)
1949/6/25
増田甲子七官房長官が広島復興に関連し「失業対策の重要な一環として原爆都市の復興がある。この復興資材は全部米国から送られ、これからは労働力だけを出すという喜ぶべき話がある」
1949/6/29
ハワイの日系人から広島戦災救済資金として11万2,000ドルの贈呈が決まる
1949/6/30
ジョン・ハーシー氏がウェスト・ポート・タウン・クリヤー紙に「広島では8・6平和祭の日に国連を強化して世界政府をつくるためにトルーマン大統領が主導的役割を果たすよう要請することになろう。広島市長は10万ないし15万の署名が集まると語っている」と発表(「原水爆時代上」)
1949/6/30
広島市宇品町にあるABCCが比治山に近く移転と発表。新研究所の工費4,000万円、建材は大半が米国から。呉、長崎両市にも研究所新築の計画
1949/6/30
三笠宮が広島市を視察。7月1日には広島赤十字病院訪れ「原爆1号」の吉川清氏を見舞う
1949/6/--
広島銅合金鋳造工業協同組合が、これまでの「平和の鐘」の10倍の大きさの平和の鐘の製作を決める(6・23)
1949/6/--
広島県教育委員会が募集していた「広島復興音頭」の入選作決まる。「今日も復興だ/頑張りだ/パッとパッとパッと頑張りだ」
1949/6/--
広島市が平和記念都市建設法案の住民投票に併せ、トルーマン米大統領に対して国連強化と戦争防止を訴える署名運動の展開を決める
1949/6/--
ノーモア・ヒロシマズ運動のアルフレッド・パーカー氏が浜井広島市長に「8月6日を世界平和記念日とする運動が米国内に大きく広がってきている」と連絡。あわせて「広島の青年の原爆体験記を送ってほしい」

年別アーカイブ