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ヒストリー

ヒロシマの記録1948 1月


1948/1/1
英連邦軍総司令官ロバートソン中将が新年メッセージ。「廃虚と化した広島が立派な繁華街の中心となっている。広島人が平和のメッカとして復興に傾けた熱意こそ、全日本人に要求されている」
1948/1/13
米航空製作委員会がトルーマン大統領に「航空時代に勝ち抜くために」と題した報告書を提出。5年後に原子戦争が発生する可能性があるとして空軍力整備を勧告(1・15)
1948/1/14
英のモリソン議員が労働党会合で「英は原子力研究に主力を注いでいる」と述べる
1948/1/15
国連原子力委員会のオズボーン米代表がソ連の拡張政策を痛撃する演説。「ソ連が鉄のカーテンを開かない限り平和は到来し得ない」
1948/1/20
スウェーデンの新聞「デーリー・ニュース」婦人記者バープロー・アルビングさんが同国人で初めて広島取材。「広島市民は今後もなお平和都市建設に努力して」(1・21)
1948/1/22
「原爆影響医学研究所が広島、長崎両市に設けられる」と広島県の藤井義明衛生部長が全国衛生部長会から帰り語る
1948/1/24
広島市にCIE図書館が開設。広島文理科大の尚志会館の一部を改装、全国で4番目
1948/1/29
ソ連のグロムイコ国連常任代表が国連原子力委員会小委員会で言明。「原子力国際管理制度を確立する前に、まず原子力兵器を禁止すべき」
1948/1/29
ABCCの委員11人が来日。委員長フィリップ・オーエン博士が広島、呉に設置計画の原爆被害研究所について「原爆被害者の症状を研究するだけでなく、爆発にさらされなかった者との比較研究を行うのが目的」
1948/1/30
インドのガンジー翁が暗殺される
1948/1/31
国連が世界の戦災児を救うため救済募金運動を開始
1948/1/31
広島港の開港記念式が宇品町の旧凱旋館で(1・21)
1948/1/--
米教育界から広島女学院に留学の招請状。松本卓夫院長にも被爆状況の講演依頼
1948/1/--
米極東軍司令官ホワイトヘッド中将夫妻から広島赤十字病院の入院患者吉川清氏らに小包が届く
1948/1/--
広島県土木部が1948年度事業で広島、呉、福山の3戦災市を緑の都市にする3年計画を立案
1948/1/--
ABCCが広島市宇品町の旧凱旋館に移転。厚生省国立予防衛生研究所も正式にABCCの研究に参加(「目で見る原爆傷害調査委員会-放射線影響研究所40年」)

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