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ヒストリー

ヒロシマの記録1948 2月


1948/2/1
厚生省が全国で孤児一斉調査を開始。施設外孤児を援護する基礎資料で、広島県内の孤児数は3,725人
1948/2/3
米科学者が「これまでの原子爆弾より1,000倍の威力の新式爆弾(水素爆弾)が近くマーシャル諸島エニウェトク環礁で試験されるだろう」と語る
1948/2/4
広島市で文化国家建設学生大会を開く。市民広場に大学生ら3万人が参加。「世界平和発祥の地たるわれらの広島を理想的なる文化都市として築き上げるため、われらの知性と情熱をささげ、国立広島総合大学決定に一路まい進する」と決議
1948/2/13
原爆の影響を調査する研究所を広島、呉に設置すると、両市を占領地区にもつ英陸軍省が発表
1948/2/20
中国新聞社と日本文化平和協会が懸賞募集した「平和の歌」の入賞作が決まる。1等は和歌山県川上村の丸山静氏の作品
1948/2/--
英BBC放送のニュース解説者マッカロック氏が広島市を訪問。「復興の早さに驚いた」
1948/2/--
ABCCの研究所敷地として呉市が中央公園の一角の提供を決定
1948/2/--
米政府筋が「ソ連は原子爆弾を所有している、とのスターリン首相の布告が陸軍記念日(23日)にあるのでは」と推測
1948/2/--
広島赤十字病院耳鼻科が地方でまれな喉頭がん摘出手術に成功。守屋誠医長は「被爆の地でこうした手術が出来るまでに立ち直ったことは誠に喜ばしい」
1948/2/--
広島工業専門学校(現広島大工学部)の醸造科研究室で原爆の猛威を裏付ける遺物が見つかる。研究室の棚戸にせん光で鮮明に焼きついた木製いすと実験器具の影(2・9)

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