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ヒストリー

ヒロシマの記録1948 6月


1948/6/1
広島市西部復興地区の第2回換地24万坪(舟入、河原町地区)が決まり、発表
1948/6/2
世界平和建設の道徳再武装(MRA)運動10周年記念世界大会が米ロサンゼルスで開会。元駐米大使堀内謙介氏ら、日本代表など世界23カ国150人が参加。戦争の永遠の防止を審議
1948/6/2
戦災復興財源に悩む広島市など戦災都市連盟の役員が政府に国庫補助を懇請。4日まで
1948/6/3
米オークランド市のヘレン・タッピング女史から浜井広島市長にノーモア・ヒロシマズ運動への参加要請。広島流川教会の谷本清牧師が伝える。市長は快諾
1948/6/4
カトリックの子供の家「光の園」が広島市基町に落成。孤児32人が生活
1948/6/6
米政府原子力委員会が既存の3倍以上の能力がある世界最強の原子核破壊装置を造る計画を発表。ニューメキシコ州ロスアラモスの原子力研究所で2カ年計画
1948/6/8
米陸軍省が世界各地の全米部隊に布告。「原子時代にあって米が壊滅するか生き残るかは戦闘部隊の防衛能力いかん」
1948/6/8
エニウェトク環礁での原爆実験に参加したジョン・ハル米陸軍中将が言明。「実験は4、5月に行われ、原子爆弾を3回爆発させた。将来は研究結果を最大限利用するため科学者を軍隊に編入しなければならない」
1948/6/8
広島アメリカ映画文化協会(AMCA)が広島市八丁堀の東洋座で発会式
1948/6/8
広島市が8月6日の平和祭行事の新構想を発表。平和式典のほか音楽会、美術展など文化的色彩を強め、世界平和の祭典を目指す。1947年行事が米誌に「カーニバル」と報道され反省
1948/6/12
シドニーの週刊紙サンデー・サンが「オーストラリアの科学者は原子爆弾を遠距離地点から発射する誘導式ロケット弾の完成に努めている」と報じる
1948/6/14
中国新聞社が募集した本社復興完成記念懸賞小説第1席に兵庫県・京都伸夫氏の「花愁あり」決まる(6・17)
1948/6/14
広島平和祭協会が名称を広島平和協会に改正することを決定。平和運動に力を注ぐ意味をこめる
1948/6/15
永井隆氏著「ロザリオの鎖」発刊(「原爆被災資料総目録・第4集」)
1948/6/22
国連安保理が米提案の「原子力国際管理案採択」を表決。ソ連は拒否権を発動
1948/6/29
ABCC副所長に槙弘博士が就任。8月31日には国立予防衛生研究所広島支所長に(「目で見る原爆傷害調査委員会-放射線影響研究所40年」)
1948/6/--
広島市商工課が被爆資料収集のため市民から石、瓦、写真などのリストを募集。被爆当時の秘話の投稿も募る。締め切りは7月15日

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