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ヒストリー

ヒロシマの記録1948 7月


1948/7/5
広島駅前の東広島商店街連盟が市の都市計画反対を決議。再建途上の商工業に支障などが理由 1948/7/5
広島平和協会が平和祭で市民の胸を飾る造花「平和の花」作り方講習を広島市役所で開催。市内小中高校の教師約30人が参加
1948/7/10
「平和と宗教」座談会を広島商工会議所で開催。浜井広島市長、仏教タイムス社、夕刊ひろしま代表らが出席。「原爆を人類が繰り返さないよう過去への反省と新しい世界平和への発展を祈願したい」「パールハーバーと広島の交歓供養」などの意見が出る
1948/7/12
広島市観光協会が観光ヒロシマ建設へ13カ所を原爆名所として保存を決める。爆心地、元産業奨励館、御幸橋、元安橋、広島城跡など
1948/7/15
広島児童文化会館などが平和祭を記念し小中高校生の平和ポスター募集
1948/7/15
日本の各新聞、通信社に対するGHQの事前検閲が午後1時を期して廃止に
1948/7/16
英の原子物理学者協会会議が「原子戦は短期に終わるものではない」との声明を発表
1948/7/17
マーシャル米国務長官が「十字路に立つ政策」と題した報告を発表、ソ連の原子力政策を攻撃。「ソ連の原子力国際管理に関する提案は原子力兵器の製作、使用を防止する十分な保障手段を設けずに米から原子爆弾を取り上げることが目的」
1948/7/19
芦田首相が初めて広島市を訪問。官民合同歓迎会や広島女学院講堂での民主党広島県支部大会に出席(7・20)
1948/7/24
トルーマン米大統領がマーシャル諸島エニウェトク環礁での3種類の新型原子爆弾の試験について声明。「この試験により米の原子力兵器の優位は一層確実になった。世界各国が国際原子力管理機構に参加する用意を示すまで米は原子力の秘密保持を続ける」
1948/7/30
広島市中央部の大手町、中島町など数十カ町の有志が市東部復興促進会を結成。換地決定の情実廃止など都市計画の公正な世論喚起を決議
1948/7/30
広島中央放送局が広島市本通りで「広島市の復興」をテーマに街頭録音。市民は街の緑化、都市計画の促進、住宅問題の解決を切望
1948/7/31
中国新聞社が浜井広島市長と大橋博長崎市長の長距離電話対談を実施。両市長は「両市が手を握って日本、世界の平和文化運動にまい進を」と語り合う
1948/7/31
原爆死没者の霊を弔い元安川で川施餓鬼。日蓮宗の僧侶らが2隻の船で読経
1948/7/--
米オークランド市のアルフレッド・パーカー氏(世界平和デー委員会実行委員長)から浜井広島市長に手紙。「世界18カ国で8月6日をヒロシマデーにする準備が進む」
1948/7/--
長崎医大の永井隆教授の「原子病概論」が執筆3年目で脱稿。原爆に侵された死の床で原稿用紙300枚(7・28)
1948/7/--
米などでノーモア・ヒロシマズ運動が広がる。ミルウォーキー市での北米バプテスト教会連合大会で36州代表4,000人が8月6日を「ノーモア・ヒロシマズの日」とすることを決議
1948/7/--
広島市復興顧問ジャビー少佐が広島市や市民に被爆遺物の保存運動を提唱
1948/7/--
労働省婦人少年局広島出張所が被爆3周年を前に、障害を持つ原爆症女性の調査へ。7月末までに申し込みを呼び掛け。将来の独立生計へ職業、宗教教育の実施を計画
1948/7/--
ABCCが長崎医大付属第一病院に一時的な施設を開設し、活動を始める(「長崎年表」)

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