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ヒストリー

ヒロシマの記録1948 9月


1948/9/1
前中国行政院長の張群氏が広島市を訪問。「広島は世界平和の出発点として復興に努力されているが、その迅速ぶりに感服した」
1948/9/2
浜井広島市長の平和メッセージにハワイ・ホノルルのジョン・ウィルソン市長から便り。「3年前の悲劇的な破壊を契機として平和への努力を続けていることに深い関心を持っている」
1948/9/6
広島市二葉高校で平和塔が完成、除幕式。ほほえむ3人の乙女像で、デザインは河内山賢祐氏、工費15万円(9・8)
1948/9/14
ノーモア・ヒロシマズ運動のアルフレッド・パーカー氏から浜井広島市長に手紙。「米では広島平和祭が新聞、ラジオに大々的に出るなど8月6日を世界平和デーとする機運が濃厚になりつつある」
1948/9/20
広島流川教会の谷本清牧師が渡米のため広島を出発。米メソジスト教会伝道部の招きで約1年、ノーモア・ヒロシマズを全米に呼び掛けへ
1948/9/23
片山哲社会党委員長が広島市を訪問。元産業奨励館、相生橋などを視察、被災者納骨堂でクリスチャンとして祈りをささげる
1948/9/25
国連総会でソ連首席代表のビシンスキー外務次官が原子力兵器などの軍縮提案。「総会が軍縮を監視する国際機関を設置し、原子力兵器を禁止する措置を講ずるとともに、5大国の陸海空軍現有兵力を1年以内に三分の一縮減するよう要請する」
1948/9/25
国連総会のソ連軍縮提案に米代表部が歓迎を表明。「米政府は国連原子力委員会および一般軍縮委員会の確立諸原則に違反しない限り軍縮に関するいかなる提案も進んで検討を加える用意がある」
1948/9/28
国連がソ連の軍縮・原子力兵器禁止に関する提案を総会に上程、第1委員会での付託討議を決定
1948/9/29
浜井広島市長の平和メッセージにロンドン市から戦後復興の報告書が届く
1948/9/30
国連第1委員会が国連原子力委員会報告について審議を開始。1946年米が提出した原子力管理案を総会採択するようカナダ代表が要請
1948/9/--
広島建設委員会が広島県土木部の構想を中心に「夢の広島都市計画決定版」を作成
1948/9/--
大映京都で被爆3年後の広島を背景にしたセミドキュメント映画「武器なき宣言」の企画が進む(夕刊ひろしま9・17)

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