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ヒストリー

ヒロシマの記録1947 3月


1947/3/1
トルーマン米大統領の指示に基づき米学士院(NAS)-学術会議(NRC)が広島にAtomicBombCasualtyCommission(ABCC-原爆傷害調査委員会)を設置。原爆による放射線の人体におよぼす医学的影響並びに医療に関する調査研究活動を開始(「放射線影響研究所10年の歩み」)
1947/3/7
広島市復興審議会が都市計画決定。空港は観音新開、市役所は国泰寺町に
1947/3/8
広島県労働組合会議結成(「原爆三十年」)
1947/3/10
広島赤十字病院で人類遺伝学のジェームス・ニール中尉が被爆者の血液学調査に着手。ABCCの日本における第一歩(「原爆三十年」)
1947/3/14
広島県など主催の県産業復興展覧会が広島市で始まる。24日まで
1947/3/21
広島市議会の予算委員会で木原七郎市長が退任あいさつ。「公職追放のG項該当者として当然の運命」(3・23)
1947/3/24
連合国軍総司令部が都築正男東大医学部教授に対し、公職追放の6カ月猶予と原爆の医学的影響調査研究の継続を認める決定(「広島新史・資料編1」)
1947/3/26
米陸海軍医と科学者で構成する米原子爆弾被害調査委員会がワシントンで、広島、長崎の生存被爆者について、(1)原爆が直接の原因かどうか確認されていないが、生存者の中から数人の障害児が生まれた(2)原爆の放射線による死者は女よりも男に多い(3)女性は不妊になる可能性がある(4)爆弾の熱波による火傷ががんを発生させるかどうかは現在のところ明らかでない-と報告
1947/3/--
原爆で焼失した市立長崎病院が、病院の跡地に復旧(「長崎年表」)

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