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ヒストリー

ヒロシマの記録1947 9月


1947/9/10
ジョン・ハーシー氏「ヒロシマ」の登場人物の一人佐々木トシ子さんがキリスト教に入信、大分県別府市の「光の園修道院」へ入る(「回顧5年原爆広島の記録・9月4日付朝日新聞」)
1947/9/22
米極東軍司令官ホワイトヘッド中将夫妻が広島市訪問(「ヒロシマの記録」)
1947/9/23
広島市保健課が広島市似島に埋葬された被爆者の遺骨の放射能をフィルムで感光検査
1947/9/25
被爆後、広島市似島に送られ亡くなった1,500余の無縁仏のための千人塚建設が決まる(似島での死者は2,000人とも言われる)
1947/9/27
広島市と長崎市が共同で国会に非戦災者・非戦災家屋税免除陳情
1947/9/28
日本文化平和協会(JCPA)が広島商工会議所で発足。会長に長田新広島文理科大教授。前日、英連邦軍の協力で「日本の復興はまず人間から」などのビラを広島市上空から散布。森戸辰男文相、長田氏らが呼び掛け(9・28、9・30)
1947/9/--
ABCCの委託を受け、米スタンフォード大のウイリアム・グリョーリッチ教授(解剖学)が来日。被爆による幼児の発育影響調査が目的。広島・長崎の生後6カ月から10歳までの幼児数千人を約10年間、毎年レントゲン撮影し骨格の状態を調べる。国立予防衛生研究所が協力
1947/9/--
長崎農業技術協会の古野文夫協会長が、夏作物について放射能の影響を発表。麦、サツマイモ、ゴマ、ナスなど1.5~3倍の増収

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