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ヒストリー

ヒロシマの記録1946 1月


1946/1/6
中国新聞が「ただ1弾で焼野原、文字通りピカ・ドン」の見出しで広島文理科大の藤原武夫教授の原子爆弾研究まとめを掲載
1946/1/9
広島市復興局が発足
1946/1/10
パターソン米陸軍長官が広島市を訪れ、約3時間被害状況を視察
1946/1/21
国連総会第1委員会が原子力委員会の設置決める
1946/1/22
日本占領軍オーストラリア軍総司令官のノースコット中将がインドのニューデリーで語る。「日本では広島地区を占領することになろう。広島には破壊しなくてはならない軍事施設がたくさんある」
1946/1/22
広島市宇品の旧陸軍共済病院が日本医療団宇品病院として新発足
1946/1/24
国連総会が11カ国による国連原子力委員会設置決議案を可決
1946/1/27
連合国極東委員会のフランク・マッコイ大将ら70人が広島市入り。広島逓信病院を訪れ、蜂谷道彦院長らから原爆患者11人の負傷状況について説明聞く。楠瀬常猪広島県知事がマ大将に「世界平和の象徴として広島再建」を提案
1946/1/30
中国新聞が原爆で夫、母、長女を失い5人の子供を抱え途方に暮れる女性と、夫の戦死後、幼い子供を抱え生活に苦しむ女性の「血の叫び」を掲載
1946/1/31
トルーマン米大統領が「近く原爆製造施設を民間に移管」と表明
1946/1/--
勤労学徒援護会が戦災学徒に見舞金。広島県は1,263万円、うち1,251万円が原爆被害者。3月末までに交付完了へ

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