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ヒストリー

ヒロシマの記録1946 3月


1946/3/1
雑誌「世界」3月号が「原子爆弾」特集を掲載
1946/3/4
中国新聞文化部が呼び掛け「中国文化連絡会」を結成
1946/3/7
広島市復興審議会が、同市の性格を「産業、政治、経済の中心都市、学園都市、文化観光都市を兼ね備えた総合都市とする」と決める
1946/3/9
広島市復興審議会が、土地の整理は都市計画法によらず「区画整理」で実施と決める。中心部の1,320ヘクタールに14万人、郊外約2,000ヘクタールに20万人の計34万人規模を想定
1946/3/10
雑誌「中国文化」創刊号発刊。原子爆弾特集号で栗原貞子氏の詩「生ましめん哉」など掲載(「奥付」「原爆被災資料総目録・第4集」)
1946/3/13
米戦略爆撃調査団が広島市入り(「広島県史」)
1946/3/22
トルーマン米大統領が、5月15日、7月1日に予定していたビキニ原爆実験を約6週間延期と発表
1946/3/22
ハワイ真珠湾の米陸海軍が、原爆実験の標的となる戦艦長門、軽巡洋艦酒匂をビキニ環礁に回航中と発表
1946/3/26
米ゼネラル・エレクトリック研究所長でノーベル化学賞受賞者のラングミューア博士が「ソ連が原爆をつくるにはなお3、4年を要するが、6~11年の内には米ソとも相手を全滅するに足る原爆を保有」と予測
1946/3/27
連合国軍総司令部の映画写真班タイアー大佐一行が、広島市役所の遺骨安置所で原爆死没者の遺骨引き取り場面を撮影
1946/3/28
広島戦災児育成所で初の卒業式。広島一中、二中志望者が2人とも合格
1946/3/31
日本学術研究会議原子爆弾災害調査特別委員会・医学科会の都築正男科会長が「原子爆弾災害調査研究報告」を脱稿。7月、200部を謄写印刷し、うち102部を「未定稿」として配布
1946/3/--
原爆による皮膚や神経の整形手術希望者が広島逓信病院で増える
1946/3/--
新広島駅の建設計画決まる。「新幹線の弾丸列車通過予定地」に合わせ、現駅の横に弾丸列車用駅を建設、裏手の東練兵場に鉄道局広島管理部、鉄道病院
1946/3/--
広島市復興審議会が、広島市役所は現在地に、県庁、郵便局、財務局、登記所は鷹野橋-紙屋町間と計画
1946/3/--
東洋工業本社に仮住まいの広島県庁の移転先決定が難航。旧兵器廠跡には二の足
1946/3/--
米原子爆弾調査団の報告内容を週刊誌タイムが伝える。「美しい花模様の着物を着た女性は体に鮮やかな模様の焼き印を押された」
1946/3/--
原爆の犠牲になった10数万人の霊を慰めるため、爆心地に大供養塔建設へ。広島市内の諸官庁、民間篤志家の賛同で供養会が発足、約50万円で建立目指す

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