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ヒストリー

ヒロシマの記録1946 4月


1946/4/2
米下院が原子力管理法案を可決。ウラニウムの採掘、探査などすべて政府管理下に
1946/4/13
中国新聞に広島市の長島敏復興局長が「平和と文化の都市夢みる広島復興の素描」を寄稿
1946/4/16
広島市相撲同好会が広島駅前広場で復興大相撲。横綱安芸の海、大関東富士ら100余人
1946/4/21
都築正男博士が5月10日から開設する「原子爆弾症相談所」準備で広島入り
1946/4/--
広島市の復興が遅れ、広島文理科大の香川県善通寺市への移転検討。文部省が下検分。広島県賀茂郡安浦町の広島県立医学専門学校も存廃が問題に
1946/4/--
広島県、市が広島文理科大、広島市立工専の存続に全力。工専問題で東京へ陳情団を派遣
1946/4/--
広島市郊外五日市町の戦災児育成所で親子対面が相次ぐ
1946/4/--
広島市が戦災供養塔の建設に伴い、埋没遺骨収集の協力を各町内会に呼び掛け
1946/4/--
広島市戦災供養塔の建設案決まる。建立地を爆心地の中島町慈仙寺鼻とし供養塔の他、畜類供養塔、礼拝所、納骨堂、写真陳列室、遺族仮宿泊所など約75万円で建設。将来、約500万円の記念施設建設も予定。建設推進で広島市戦災供養会をつくり、名誉会長に浅野家当主、会長に広島市長。事務所は広島市社会課内に

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